サイモン・シン「フェルマーの最終定理」(新潮社)


表紙

 大分前に買っていたのだが、ざっと読んだきりほったらかしにしていた。ゴールデンウィークで時間ができたので再読させてもらった。

 当方が購入したのは2001年8月25日発行の14刷だが、この手の本にしては間違いなくベストセラーに入るものだろう。だが、これは数年で価値が下がる本ではない。末永く広く読み継がれるべき本である。もし本文を読んでいるあなたが学生さんであれば、おい、こんな場末のウェブサイトを見る前に、この本をちゃんと読んでおけよ、とお節介にも忠言させてもらう。これは理系・文系の区分けには関係ない。

 ただ、そう簡単に読み飛ばせる本ではないのでその点には注意するように(だからワタシにとっても今回が初読のようなものだ)。専門外のサルにも分かるようにといった類の逃げ・言い訳をせず、しかも一方で数式をそのまま読者に投げ出して話をさっさと進めるようなこともせずに、著者のサイモン・シンは、丁寧に読者を本の中に引き込んでいく。最終章が少し散漫なことを除けば、その構成力は見事の一言。

 情けないことにワタシは本書の元となったテレビ番組を見ていないのだが、ドキュメンタリーの BBC は健在ということなのだろう。


 本書は多面的に楽しめる本である。まず数学、主に数論自体の面白さを伝える本として。この定理だけなら誰だって理解できる式が、300年以上に渡り解かれずに残っていたこと自体がミステリーであり、一種の小説として読める。

 そして本書は、数学を築き上げてきた数学者達の歴史を辿る本でもある。数学の枠に留まらないキラ星のような知の巨人達が、単に歴史を説明するための顔見世でなく、フェルマーの最終定理という17世紀の嫌味な秀才の謎かけとそれを解かんとする長年の試みを解説するのに欠かせざるピースとして続々登場するのだ!

 何より重要なのが、元々は当の彼らも、証明されたところでパズルが一つ解けた程度のものと思っていたものが、結果として数論に留まらず様々な分野への応用に貢献し(例えば本書を読めば、著者が次に『暗号解読』を書いたのも納得できる)、何より谷村=志村予想を介して数学に深い統一性をもたらしたということである。これは最近の安易な実学至上主義の風潮に対し示唆するところも多いはずである。

一見すると関係のないテーマ同士が結びつくことは、どんな学問分野においてもそうであるように、数学においても建設的な意義をもっている。というのも、そんな結びつきが存在することは、両方のテーマをいっそう豊かにする基本的真理の存在をほのめかすからである。(単行本 p.233)

 これが本書のテーマであると同時に、学問というものが内在するかけがえのない価値を言い表していやしないか。


 本書の主人公は、(フェルマーの最終定理そのものを別とすれば)最終的に定理を解くこととなったアンドリュー・ワイルズである。例えば本書に表面的なドラマ性を加えるために、ワイルズの秘密主義についてもっと批判的に書くこともできただろう。何より多くのアマチュアを含む数学者がそれを解いたことによる栄誉に預かりたいと群がった定理なのだから、その辺りの人間模様をもっとドロドロと書くことだってできただろう。

 しかし、著者の語り口は一貫してフェアでありながら寛容さを感じさせ、ワイルズの苦闘と快挙を穏やかに浮かび上がらせる。また訳者が指摘するように日本人研究者、女性数学者などのマイノリティへの温かい視座も特筆すべきで、それらが本書の読後感の良さにつながっている。

 そして最後に触れておかねばならないのは、本書のような価値のある本を揺らぎのない日本語に訳した、訳者の青木薫氏への感謝である。氏が目頭を熱くしながら原書を読んだときの感動は、まったく減ぜられることなく本書の読者にも受け継がれている。

 素晴らしい著者による素晴らしい書籍が、素晴らしい訳者を得て素晴らしい訳書として今ここにある。どうしてこれを読まずに済ませられるのか? というか、これまで済ませていた自分を恥じているわけであるが。


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初出公開: 2004年05月06日、 最終更新日: 2004年05月07日
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