何故か GQ JAPAN のロゴの入った小包から本書を取り出して唸った。厚い。重い。ずっしりくる。本文は二段組でぎっしりである。日本語版に参考文献はおろか索引までつかないという話を聞いたときは腹が立ったものだが、この厚みを見るとこれ以上値段を上げたくなかったという文春の意向も分からないでもないな、と一瞬思ったりもした。
とりあえずは訳者である山形浩生による本書のサポートページ、並びに原書の査読評価書にリンクしておく。特に後者を読めば、本書がどういう本かは分かっていただけるだろう。
本書を書店などで手に取られる方の多くもおそらくその厚みにたじろぎ、訳者あとがきを先に読み始めるだろう(笑)。そこには katokt と yomoyomo という文藝春秋の書籍になじまないハンドル名を見つけて呆れるかもしれない。一応この二人が校正を手伝ったということなのだが、実際には katokt さんが主にその役を果たされ、ワタシはもっぱら訳者の文体にケチをつけていただけなのだが。後に訳者は本書に関するバイトを募集したが、当方は本書を献本された以上の何の報酬も受けていないので誤解なきよう。逆にいえば、少なくとも本書に関しては金銭的報酬があれば関わることはなかった。僕が好きで半ば勝手にやったことである。山形浩生の仕事に関われるということ、それ自体が僕にとっての報酬なのだ。これまでも氏の仕事に関わるチャンスはいくつかあったのだが、今回たまたまタイミング的に合致したというのもあるし、査読評価書を読み、これは是非関わりたいと思ったのも大きい。
本書は非常に重要で、価値のある本である。そして間違いなく日本でも大きな論争を呼ぶだろう。福祉、食糧、エネルギー、森林破壊、水質汚染、公害、酸性雨、癌、地球温暖化…考えられるほとんどの地球規模の環境問題について、驚くほど網羅的に一貫した姿勢で取り組み、読み解いた力作である。そしてそれぞれに導き出される分析はある意味ショッキングですらある。
前述の通り査読評価書を読んでいたため、どういう展開になるかは分かっていたが、それでも面白かった。さすがにこれだけの範囲をカバーするとなると個人的には退屈に感じられる章もあるが、それでもこれだけ専門的な内容に踏み込んだ内容の本を読ませるのだから大したものである。改めて本書の分厚さに、ワタシはこれだけの本を読んだのかと驚いているところだ。
いくら参考文献と索引を削ったとはいえ、定価4500円では手を出せない人も多いだろう。そういう方も是非、図書館で借りてでも読んでほしい。その時間もないというなら、第一章だけでも立ち読みしてほしい。第一章において本書を貫く考えがしっかりと提示されているし(これが海外の書籍の良いところですな)、ワールドウォッチ研究所に代表される環境保護団体のやり口を実に分かりやすく斬った必見の章でもある。
そして強い興味を持たれたら、借りるなり買うなりして本書の主張が正当なものか、それとも本書を貫く武器である統計学の分析が、(本書でも元文章が引用される)「ウソとしての統計」か判断していただきたい。
さて、本書が面白いというのはさきほども書いた通りだが、しかし、本書を読んでいたとき、必ずしも常に気持ちが良かったわけではない。ワタシは訳者のように「これは名著!」と盛り上がってばかりではなかったことを記しておく。
それは別に本書の記述のデタラメを見抜いたとかいう話ではなく、ワタシのようにグリーンピースなどの環境保護団体に対して常々胡散臭く思い、また捕鯨などの一部の問題については憎悪すら抱いている人間ですら、現代を支配するドグマ、すなわち地球環境は悪化する一方だという考えが深く染み込んでいるのを認識させられたからだ。正直、本書における「どんどん良くなっている」式の記述を見て、それだけでかすかに不快感を覚えたことがあったくらいだ。
そうした意味でこれははっきり書いておきたいのだが、本書を読みもせず、また斜め読みした程度で、「環境問題を騒ぎ立てる奴はインチキ」とか「何もしなくても問題なし」といったように本書が利用されるのは防がねばならない。しかし、見分け方は容易だと思う。浮いた金をどこに突っ込むかということをきちんと示しているか見てみれば良い。何も有効な対案も示さずに、本書を利用、または逆に批判するのは好ましくないということだ。
もちろんこれだけ網羅的に扱っているのだから、いくつか穴はあるだろう。そしてそれが明らかになるのは本書にとって、そして何より我々人類にとってありがたいことである。だってそれで少なくとも環境問題における優先事項が明らかになるでしょ?
ワタシ自身飽くまで本書を読んだだけ(つまり参考文献、ウェブリソースにはあたっていない)だが、恣意的な情報操作を行っている環境保護団体があるのは間違いないし、本書における主張の多くは妥当なものだと思う。ただ水関係では第13章はどこか歯切れが悪く感じられたし、第19章の水質汚染の話は素人的にホントかよと思うのも事実である。あとこれは叩きまくってやろうと思ったら訳者あとがきでしっかりフォローされていたが、第20章のゴミ問題の議論は、日本に当てはめるには問題アリ。だってアメリカのゴミは「たった」一辺29キロの正方形におさまるって、それを人口比を入れても他の先進国(特に日本)に置き換えたらどうなるか分からんのか。あと食糧問題における魚を重視しない姿勢は許せん! …ってこれは単にワタシのオヤジが漁業で食っていたからなんですが。すいません。
前述のように当方はドグマに冒された人間なので、やはり成長の限界ってあるんじゃないかねーという不安を基調とする考えがこびりついているのだが、それでも我々が現代文明の枠組の中で、科学的に環境に取り組むことがちゃんと成果を上げていることが分かるのはそれだけで素晴らしいことだと思う。現実的な希望というのはこういうのを言うんじゃないかと思うくらいだ。
もちろん本書の主張を鵜呑みにすることはない。それは著者自身戒めていることである(『Effective COM』の話を思い出しました)。我々は本書に対しても懐疑的(skeptical)でなくてはならない。そして、最終的に判断するのは読者である我々である。
最後に付記しておくと、本書の訳文は通常より少しだけかためになっていると思う(これは当方のケチが認められたという意味ではない)。訳者は不満だろうが、僕はそれで良かったと思う。少なくとも本書は、そうした次元で難癖を付けられたり、揚げ足を取られる余地があってはいけない本だと思うからだ。