yomoyomoの読書記録

2016年07月24日

ブレイディみかこ『ヨーロッパ・コーリング――地べたからのポリティカル・レポート』(岩波書店) このエントリーを含むブックマーク

表紙

 昨年末、はてな村反省会2015とかいう集まりがあり、ワタシは当然参加していないのだが、そのレポートを見てちょっと良いなと思ったのは、「今年一番良かった人」という話題があったらしいこと。

 こういうのいいと思うのだが、そこでヨッピーさん池内恵さんARuFa さんとともに名前が挙げられていたのが本書の著者である。

 個人的には内田良さんをリストに追加したいところだが、それはともかく昨年2015年に日本語圏のインターネットにおけるもっとも優れた仕事である著者の Yahoo! ニュース個人ブログを中心に編まれたのが本書である。

 『アナキズム・イン・ザ・UK −壊れた英国とパンク保育士奮闘記』『ザ・レフト─UK左翼セレブ列伝』に続き新刊をご恵贈いただいたが、前作と異なり、収録された文章はほとんど既に読んでいたことになる。ただ一冊の本として読んでいくと、一本のストーリーラインが見えてくるように思えるのが面白い。

 かつてデヴィッド・キャメロンは、ゼロ年代のアンダークラスの台頭や下層社会でのモラル低下を「ブロークン・ブリテン」と呼び、荒れた社会の修復を約束して政権に就いた。その「ブロークン・ブリテン」の有り様については著者の『アナキズム・イン・ザ・UK』に詳しく、そこで著者は「ブロークン・ブリテン」のアナキズムとケイオスに新たなうねりの胎動を感じていたのだが、その噴出が描かれるのが本書である。

 さきほど「一本のストーリーライン」と書いたが、それは本書に何度も名前の出てくる英国の左派ライター、オーウェン・ジョーンズの言葉を借りれば、「左派がぐるりと一巡した年」としての2015年が中心となる。2015年は、「高まる期待と、理想主義のうねりと、残酷な失望と、冷たいリアリティの年だった」のだ。

 著者は、『アナキズム・イン・ザ・UK』において散々壊れた後に新たなうねりを予感し、前作『ザ・レフト』において英国における左翼の根強さと復権を書いていたが、本書では新たな求心力を持った左派が支持を集める様がレポートされている。

 具体的には、スコットランド独立の是非を決める住民投票と SNP(スコットランド国民党)であり、スペインにおけるポデモスの躍進であり、英国労働党の(総選挙大敗を受けた)党首選挙で当初泡沫候補扱いだったのが、あれよという間に一般党員の支持で勝利した「マルクス主義の爺さん」ジェレミー・コービンである。

 そうした左派の躍進について書くとき、既存の感覚ではどうしても「ねじれ」を感じるのだが、それについても本書は自覚的である。

 例えば SNP は左派政党でありながら同時にナショナリスティックであり(だから日本で言うネトウヨ的支持者の扱いが問題になったりもする)、労働党はその軸となる信条がぶれてしまった挙句党内の有力者たちと一般党員の間にどうしようもない乖離が生じ、それがジェレミー・コービンを党首にしたが、党運営を厳しいものにしているし、意外なところではビートルズの時代から右翼御用達新聞として知られる(ワタシの世代ではスミスの "The Queen Is Dead" の歌詞だろうか)デイリーメールが、まさかの正論を唱えてコービンと足並みを揃えるなんてことが何度も起こったりする。

 それを踏まえた上で「もはやこれは「右と左」の構図ではない。欧州は「上と下」の時代だ。(169ページ)」と著者は宣言する。

 ワタシは日本人なので、どうしても本書の内容を日本にひきつけて考えたくなるし、「一国の政権がやたら「わが国らしさを取り戻せ」などと精神論で愛国を語るときには、その裏側で、形あるものが海外の金持ちにばんばん売られているという現実がある。(66ページ)」とか、「「移民に八つ当たりして右翼政党にのぼせてる暇があったら、現実に自分を苦しめている相手と現実的に戦って自分で現状を変えろ」という地べたの女たちの現実主義は、社会の右傾化に対するカウンター的現象でもある。(78ページ)」といった示唆的な言葉が本書には多いが、そうした欧州のおける左派の躍進をそのまま日本にも当てはめようとする見立てに対し、著者は本書で何度も違和感を表明していて、そこにも著者の視点の確かさがある(ブライトンで開かれた労働党の党大会の会場にやってきた、「WAR IS NOT OVER」というジョン・レノンの歌詞が印刷されたTシャツを着た日本人の(ナイーヴな)若者の描写などなんとも言えない気持ちになる)。

 もはや旧来の右と左の話でなく、「上と下」の時代というのは日本にも当てはまる話だろう。「「きちんと機能してくれる一貫性のある野党」が切実に、世の中が殺伐とするほど求められている。それはたぶん英国だけの話ではない(204ページ)」のだ。しかし、日本の旧来からの左派政党、リベラルとされる言論人を見ていても嫌気がさすばかりである。それは「「負ける」という生暖かいお馴染みの場所でまどろむことをやめ、「勝つ」ことを真剣に欲し始めた(136ページ)」欧州の新左派とのガッツの違いもあるだろう。

 しかし、それだけではない。何より「緊縮自体が非人道的な政策(184ページ)」と、敵が緊縮策という病であることを見定めている点において、著者は同じ左派に分類される論者の中で抜きん出ている。それだけで抜きん出るというのもどうかと思うのだが、本当なのだから仕方がない。本書に何度も出てくる「パンと薔薇」の話ではないが、経済成長と信条は両立するはずなのだ。なんでそんな当たり前のことも分からないのか。

 斎藤美奈子は「リベラルはどこがダメか」を検証することで、ようやくその当たり前のところまで到達している。しかし、その彼女が「景気回復に後ろ向きでは勝てない――これは左派リベラルの盲点だったのではあるまいか」に書いているのに呆然としてしまった。それが「盲点」だったって、左派リベラルの人たちってどれだけ高等遊民なんですかね?

 さて、本書が「左派がぐるりと一巡した年」としての2015年の本で終わってくれれば、それはそれでおさまりがよかったのかもしれないが、現実はそうはならなかった。

 英国の EU 離脱を問うた国民投票の結果である。もちろん本書は、その結果を踏まえた文章は収録されていないが、本書を読むと、EU 残留派が国民に訴えた主張が、スコットランド独立の是非を決める住民投票における残留派のそれと、結局のところ経済的な脅し一辺倒だったという意味で丸かぶりして見えるし、「テレーザ・メイ内務相などは党大会でほとんど排外的と言ってもいいスピーチを行って「あれは右すぎ」と党内のリベラル派にドン引きされている。(202ページ)」など今改めて読むと趣き深い文章もいくつもある。

 本書で輝いている左派にしても、英国の EU 離脱をめぐる国民投票において、元々 EU 懐疑派のジェレミー・コービンは、その誠実さゆえに EU 残留を強く訴えることができなかったし、同時期に行われたスペインの総選挙においてポデモスは第三党のままだったが、100万票以上も得票数を減らしており、敗北と書いてよいだろう。欧州においても現実は厳しいし、本書で輝いて人や党がこれからもそうだなんてことはまったく言えないのである。

 ただジェレミー・コービンに関しては、イギリスのメディアが喧伝するよりもしぶとく現実を動かしているように本書を読むと思えるし、「長いこと「与党も野党も大差なし」と言われてきた英国で、野党が正常に機能し始めたことは英国の人々に新鮮な驚きを与えている。(285ページ)」という記述を、やはりどうしても羨ましく思ってしまうのだが。

 最後に書いておくと、本書の著者とワタシとでは世代が違うし、生まれもワタシは中流家庭だったので、彼女が日本社会に抱いた疎外感や怒りをすべて共有しているような顔をするのは、著者に対して失礼だろう。さらに書けば、政治信条についても、彼女の仕事の支援者について、「ワタシはああいうのは大嫌いです」とご本人を前にはっきり言ったこともあるくらいで、もちろん違いはある。

 それでも書き手としての誠実さ、そして何より書くものが面白いという点で、本書の著者をワタシは深く尊敬している。本書の最後に著者の次の仕事が日本についてのものであることが予告されており、具体的にあの問題についての本だろうなと予想はつくが、彼女の仕事から当分目が離せない。


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