yomoyomoの読書記録

2010年02月15日

伊藤聡『生きる技術は名作に学べ』(ソフトバンククリエイティブ) このエントリーを含むブックマーク

表紙

 人気ブログ空中キャンプの伊藤聡さんによる本で、その愛読者であるワタシは当然発売日に買って読んでいたのだが、正直に書くと最初どうも違和感というかピンとこなかった。おそらくは書名にひっかかったのだと思う。「生きる技術」とは何ぞや。あと命令形なのも著者らしくない感じがした。

 正直困ったなと思っていたのだが、先月末伊藤聡さんが出演する夜のプロトコルのイベントがあり、この機会は逃せないと阿佐ヶ谷ロフトAの整理券番号6番をゲットしたのだが、その行きの機内で改めて本書を読み直し、今度は素直に楽しむことができた。

 おそらく、こうした小説を読むことができる機会は、十八歳になるまでのあいだに限定されているのだと、わたしは気がつきました。もし、十八歳までにこちらの小説を読まなければ、その機会はほぼ永遠に失われてしまうのだと。(4ページ)

 名作とされる本、特に長篇小説は学生時代に読んでおくのがよい。本書でも述べられているが、社会人になってそうした本に向かい合う時間をとるのは難しい。あとこれはワタシの話だが、30を過ぎるといわゆる古典的名作と向かい合うのはヘンな照れが生じるし、何より本を読む集中力も読解力が昔に比べて落ちている。

 最初読んだとき特に感心せずに当たり前のように読み進めた著者の文章が、実は(ワタシより年長である)著者の集中力と作品に対する正しい光のあて方に支えられているのに気付いてなかった。それをさも当たり前のようにさらりと読者に提示するところが著者の真骨頂である。

 本書では十の古典的名作が取り上げられているが、今も金文字で名作扱いされているものは避けられ、名前と著者ぐらいは知られているが実は読まれてないものが周到に選ばれている。ワタシがちゃんと読んでいたのは『異邦人』、『車輪の下』、『老人と海』、『赤と黒』と半分に満たず、前文に書いたことも言い訳にしか思われないが、既読のはずの本でさえ本書を前にすると、自分は何を読んでいたのかと情けなくもなった。またこれも書いておかなければならないが、元テキストを読んでなくてもアンネ・フランクに呆れ、トム・ソーヤーに憤慨する著者の楽しい語り口は十分に楽しめるので、単純に読書案内として読んでもよい。個人的には第7章の『ハックルベリィ・フィンの冒険』が最も良かった。

 「ロシアの貧乏といえば、やはり「コペイカ」にとどめをさす。(75ページ)」とか「東京ですごした最初の四月は、人生に一度きりしかやってこない四月であり、きっと誰にでも、あのように特別な四月の記憶があるのだとおもう。(186ページ)」とか彼の文章のファンならガッツポーズをとりたくなる表現が要所で決まっているが、著者独特の浮遊感と温かみのある文体が、著者の生来の文才だけに起因するものでなく、また何となく得られたものでもなく、平凡な日常や厳しい現実の中に存在する美を見いだす肯定的な姿勢により獲得されたことが本書、特に章間に収録される「貧乏」、「暴力」、「父親」、そして「死」についての文章を読むと分かるように思う。

 その日常の中にある美を見いだす姿勢を著者は名作から学んでいるわけで、それこそが生きる技術と考えれば本書の書名は何もおかしなものではなかった。

 上で夜のプロトコルのイベントの話を書いた。そのタイトルは「プロフェッショナル・エッセイスト(!?)の作り方」だったが、岸本佐知子さんの文章がそうであるように、著者が求めているものはもはや「エッセイ」という言葉に納まるものではなく、限りなく創作に近いものだと思う。こんな良い本を読んでおきながら欲が深い話であるが、『下北沢の獣たち』に続く著者の創作集を読みたいという気持ちが一層強くなった。

 以下余談だが、件のイベント後の打ち上げで伊藤さんと少しお話する機会があった。特に二次会はすぐ隣に座ることができ、しかも目の前には峰なゆかさんというもう二度とありえない配置だったにも関わらず、それだけで満足でぼーっとなってしまい、後から聞きたいことはいくらでもあったろうにと頭を抱えることとなる。打ち上げも二次会となると皆かなりアルコールが入っており、元々口の悪い連中の口がさらに悪くなるわけだが、伊藤さんが他人の悪口に同調することがまったくなかったのを思い返し、尊敬の念が強まった。

伊藤聡さんのサイン


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