yomoyomoの読書記録

2010年10月18日

トレイシー・キダー『超マシン誕生 [新訳・新装版]』(日経BP社) このエントリーを含むブックマーク

表紙

 日経BPの橋爪さんから献本いただいた。

 この本の名前を初めて見たのは Joel Spolsky の「ビッグピクチャー」でだったと思うが、恥ずかしながら当時はこの本のことを知らなかった。

 ワタシは『闘うプログラマー』に大変感銘を受けた人間だが、本書は『闘うプログラマー』や Joel Spolsky の書評の対象である『プログラマーのジレンマ』の原典にあたる本と言える。

 本書はデータゼネラル社のミニコン「イーグル」の開発に密着取材したものである。何しろ Macintosh も Windows もない時代の話で、データゼネラル社も当時その競争相手だった DEC ももはや存在しない。ソフトウェアではなくハードウェア〜ファームウェアが話の中心であることなど時代を感じるが、小飼弾が書くようにただの昔話でない現代的な意義を持つ本である。

 新しいコンピュータを作ろうとする苦闘を伝える本であるというだけでなく、本書と『闘うプログラマー』はいくつか共通点がある。それはそれぞれの本が書かれた当時のデータゼネラルとマイクロソフトに共通するある種の乱暴さ、そしてトム・ウェストとデイヴ・カトラーというそれぞれの開発リーダーの強靭さ、リスクテイカーとしての資質である。

 もちろん相違点もあって、Windows NT が当初から重要プロジェクトと目されていたのに対し、イーグルはむしろ傍流の扱いで、主流プロジェクトがダメだったときの保険という名目で何とか開発にこぎつけたものである。何とか社内リソースを確保しながらメンバーをその気にさせる(本書では、サインアップさせるという表現が使われている)過程がリアルだし、本書の主人公であるトム・ウェストは最初に「嵐を楽しむ男」と評され、逆境を逆手に取れ、リスクテイクこそ活気に満ちた人生の精髄と見なす男だが、同時に本書には中間管理職の難しさも描かれている。

 彼の下で働くメンバーも個性的に描かれている。イーグルのアーキテクトを務めたスティーブ・ワラックはこう言う。「技術者は何かをつくりたいんだ。俺は給料を稼ぐだけのために六年間も大学に通ったわけじゃない。給料を稼ぐことが技術工学の目的だとしたら、技術工学なんてクソくらえだ」

 本書は30年前の時点で、技術者を駆り立てるものがお金ではなく、自分が何かを作り出したと自負できるやりがいのある仕事(本書ではピンボールゲームという言葉で表現されている)であることをはっきりと書いている。参謀役であるエドワード・ラサラは語る。「僕が求めていたものは、チャンス、責任、認知度だ」

 そして本書が優れているのは、その裏面である長時間労働(トム・ウェストは最後に、仕事自体が一種の罠であり、他の問題に対処しない言い訳になる悪癖だと認めている)、プレッシャーに押しつぶされる技術者の姿もちゃんと描いているところだ。

 イーグルは苦闘の末に完成し、Eclipse MV/8000 として世に出る。しかし、本書の最後はハッピーエンドではない。トム・ウェストをはじめ開発メンバーが世間から賞賛を受けたわけではないし、それどころかトム・ウェストは配置換えとなり、主要メンバーはデータゼネラルを去る。そのなんともいえないグダグダな感じ、技術者のモチベーションを殺ぐ「技術的なやり甲斐の低下」「限られた行動の自由」「労働形態の厳格な管理」も同じく企業に属する技術者としてリアルに感じた。

 おそらく給料は、大聖堂をつくった石工たちが働いた動機のほんの一部だっただろう。彼らは神に捧げる神殿をつくっていた。それは人生に意味をもたらす類いの仕事だった。それこそがウェストと彼の配下の技術者集団が求めていたものだとわたしは思う。彼ら自身が「金のためにマシンをつくる仕事をしているのではない」とよく言っていた。いざプロジェクトが終わってみると、彼らの中には、もらってしかるべき金銭も評価も受けていないと感じる者もいたし、それに憤慨している者もいた。だが、彼らはプロジェクトそのものについて話しはじめると、喜びが戻った。顔が輝いた。(351ページ)


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