2013年02月04日
マット・メイソン『海賊のジレンマ ──ユースカルチャーがいかにして新しい資本主義をつくったか』(フィルムアート社)
実は昨年夏に読んだ本である。当時この本などについて独立した文章を書く予定だったので読書記録には取り上げなかった。その後構想が頓挫したままになっていた。今更ではあるが、軽く読書記録を書いておく。
ワタシが本書の原書について文章を書いたのが2009年秋で、それからも大分経つ。本書刊行時点で情報が古くなっているのを危惧したが、ある程度その通りだった。が、それはそれで面白いとも思った(これについては後述する)。
ワタシのサイトの読者であれば、「海賊」と聞いてジャック・スパロウよりも著作権侵害を指す海賊行為、またそれを行う人間のほうを想像するだろう。基本的にその理解でいいのだが、本書は単に音楽でも映画でも無料で自由にダウンロードさせろ、と与太を書き綴る本ではもちろんない。
本書はまず「海賊」を巧妙に再定義する。本書に取り上げられる「海賊」は、何よりクリエイティブな存在である。そして、権威によりかからない DIY 精神とリアルなストリート感覚を持ち、その活動はトップダウンでなくボトムアップで、反抗心と即興性とユーモアを兼ね備える。彼らのクリエイティビティーの発露の過程でたまたま著作権法など法律にひっかかることもあるが、「海賊」たちが作り出す新しい文化を前にすれば、どちらが時代遅れかは明白である、というわけだ。本書は横紙破り、並びにその効用についての本と言ってもよい。
その本書の第1章で最初に取り上げられるのがリチャード・ヘルというのに失笑してしまうが、その第1章の章題が「パンク資本主義」であることからも分かるように、本書の「海賊」というのは「パンク」がかつて体現したものを受け継いでる存在とされている。
本書が扱う話題は音楽関係に留まらず、映像制作、コミック、オープンソース、ファッション、ストリートアートと多岐にわたるが、既存の「境界線」を壊す者こそが海賊というのも本書の主張である。
原書が2008年に出た本の訳書を今読んでみて、はじめに書いたようにさすがに古さを感じるところがある。解説で八田真行氏が書くように、盧武鉉やオーマイニュースのように尻すぼみになったものも含まれる。しかし、これは著者が意図したものではないだろうが、そうした本書の登場人物の一部のメッキのはがれ具合に、「海賊」としてのクリエイティビティーを持続する難しさも見えてくる。
本書は今も楽しめる本であるのは間違いないが、構成に致命的な欠陥を有する。アウトロになってようやく書かれる「海賊のジレンマ」に対する既存ビジネスの対策なのだけど、これこそ本書の中核になるべき話で、その話にちゃんと章を割けよ! こんなかっこいい、パンクでクリエイティブな話があるぜ、という段階は終わり、具体的にそうしたクリエイティビティーに伴う軋轢や摩擦とどううまく折り合いをつけてビジネスにしていくかが今は重要なのだから。