2009年12月21日
アナリー・サクセニアン『現代の二都物語 なぜシリコンバレーは復活し、ボストン・ルート128は沈んだか』(日経BP社)
日経BPの新婚の竹内さんから献本いただいた。
以前ポール・グレアムがボストンとシリコンバレーの投資家の比較をし、シリコンバレーの優位性を書いていてふーんと思ったが、ボストンとシリコンバレーの比較はこの本が決定版だったんだな。ポール・グレアムの文章を読んだときは、お堅い東海岸とカジュアルな西海岸の精神文化の違いなのかな、で済ませていた。実際そういう面も確かにあるが、それだけでないのが本書を読むと分かる。
本書は、ボストンにおける MIT の電気工学教授ヴァネバー・ブッシュと DEC の創業者ケン・オルセン、シリコンバレーにおけるスタンフォード大学の電気工学教授フレデリック・ターマンと HP のウィリアム・ヒューレットとデビッド・パッカードというそれぞれの地のテクノロジー産業の始祖の話にはじまり、産学連携といった共通点がありながら、両地が異なる地域の産業システム(地元機関や文化、産業構造、企業組織)を発展させたことを追っていく。
シリコンバレーは地域的なネットワークをベースとした産業システムを持っており、この産業システムは関連技術の複合体の専門的な生産者の間で、集団的な学習と柔軟な調整を促進させる。地域の濃密な社会的ネットワークとオープンな労働市場によって、実験と起業家精神がうながされる。(p.19)
70年代にはボストンのルート128もシリコンバレーもそれぞれ半導体とミニコン産業で栄えるが、80年代に入って前者は日本企業に追い上げられ、後者はワークステーションやパソコンにより窮地に陥る。しかし、ボストンのルータ128企業の内向性が適応を阻害してミニコンに変わる産業を見つけられなかったのに対し(本書刊行後に DEC がコンパックに買収され、そのコンパックも HP に買収されたのは象徴的)、シリコンバレーは「イノベーションと即応性の伝統を再活性化(p.206)」することで復活する。PC〜インターネット時代を生きてきたワタシの世代からすれば、シリコンバレーは一貫して情報産業のメッカと漠然と思っていたが、それは違うんだね。
シリコンバレーとルート128の対照的な経験は、地域ネットワークの上に構築された産業システムのほうが、実験や学習が個別企業の中で閉ざされている産業システムより柔軟で技術的にダイナミックだということを示している。(p.279)
日本人であるワタシとしては、この両者を日本における産業文化、企業文化と比べて考えてしまうのだが、実際本書のペーパーバックの序文には、本書に対する日本の対応がきわめて衝撃的だったことが書いている。
本書にはシリコンバレーを訪れた『フォーチューン』誌のライターが、「企業同士で驚くほどの協力が見られ、その密接ぶりはほとんど日本的だ(p.65)」と表現しているし、「自主」残業をやらないと「愛社精神がない」と言われたインテル社のような事例を見てほぅと思ったりする。しかし一方で、リスク回避が自縄自縛的に強化され、起業があまり歓迎されずロールモデルがほとんどいないところなど企業組織や精神文化はルート128のほうに近い。これらは表裏一体なのだろうか。
本書を読んで衝撃を受けた日本の政策指導者や企業重役たちは、本書に「次のシリコンバレー」の必要条件を学ぼうとした。しかし、その種の試みはあまり成功していない。
サイエンスパークを始め、世界中の地方自治体が「次のシリコンバレーを育てよう」とする各種の試みを行っているが、それがことごとく失敗していることは、市場調整に必要な資本や労働技術の自由な流れを確保することだけに専念するアプローチの限界を裏づけている。(p.286)
思わず納得しそうになるが、訳者の山形浩生はこの文章にツッコミを入れ、本書の政策分析を弱さを指摘している。シリコンバレーのような柔軟な産業ネットワークを実現するのは難しく、簡単に公式など導けない。本書はインターネットが一般化される前に刊行された本なのでそのあたりの事例についての記述はないが、未だ価値を失っていない。しかし、そう簡単にシリコンバレーの条件はつかめないもので難しいなぁと思った。