yomoyomoの読書記録

2010年08月08日

真実一郎『サラリーマン漫画の戦後史』(洋泉社) このエントリーを含むブックマーク

表紙

 著者の真実一郎さんから献本いただいた。

 真実一郎さんの「インサイター」は、移転や休止期間を経ながら10年近く愛読させてもらっている。ワタシは真実一郎さんの文章が大好きで、それは氏がワタシには絶対に書けないセンスある表現ができる人だからだ。

 いつ頃からか真実一郎さんはサラリーマンを題材とする映画、小説、マンガの研究にフォーカスを定めた印象があり、もう一つの氏の柱である(グラビア)アイドル研究とあわせ、これは氏の座右の銘である「巨悪も美女も眠らせない!」の実践ではないかと冗談で書いたりしたが、前者については具眼の士たる編集者さえいれば絶対本になるはずだと睨んでいた。

 本書の書名を知ったとき、正直ワタシは少し心配した。著者のサラリーマン研究は映画、小説、マンガとどれも面白いし、ジャンルをどれか一つに限るのはどうかと思ったのだが、それは杞憂だった。本書には映画や小説についてもちゃんと言及されている。

 本書では、平凡で均質的な日本人の典型としての「中間層」、「一億層中流社会」と言われた日本そのものとしてのサラリーマンものの源流を源氏鶏太の小説に求めており、そしてその<源氏の血>(人柄主義、勧善懲悪、会社に対する帰属意識、そして作品の中で具体的な仕事が描かれない)をマンガの世界で継承し、最大の成功を収めたのが弘兼憲史『課長島耕作』であるという見立てが出発点となっている。

 本書は、「サラリーマンもの」の方向性を決定づけ、その後高度成長の終焉やバブル経済など日本の時代状況とともに受容に差はあれ継承されてきた<源氏の血>が、「失われた○年」がはじまる90年代以降、サラリーマンという存在そのものとともに本格的に解体されていくストーリーとも言える。その中でキラリと光る文章がいかにも氏らしく、「『劇画・オバQ』のQ太郎に共感する人は、実は今のほうが多いような気がしている」という見立てにハッとしたり、「サラリーマンには2種類しか存在しない。『宮本から君へ』が大好きなサラリーマンと、『宮本から君へ』が大嫌いなサラリーマンだ」という強引な断定にたじろいだり、「ちなみに気になったので確認したところ、『100億の男』では正上位、後背位から対面座位や松葉崩しまで、余裕で10以上の体位が描かれていた」という配慮に笑ったり。

 上でワタシはマンガ以外のジャンルの話を書いたが、個人的には完全にマンガにフォーカスして第4章「終わりの始まり」からが一番面白くて、それはやはりサラリーマンの会社に対する帰属意識を支えた終身雇用に代表される日本的経営の「終わりの始まり」と重なるからか。そして最後の第5章「サラリーマン神話解体」ではそれまでのマンガとともに本書のストーリーを語る感じから、マンガの紹介が単発的な印象が強まる。これはゼロ年代におけるフラット化、そして何より章題にも挙げられる「サラリーマン神話解体」を踏まえた意識的なものであり、もはや「最大公約数としてのサラリーマン」は成り立たなくなったことの反映だろう。

 個人的には、いきなり柳沢きみおだけで1章語り尽くすような狂った構成もみたかった気がするが、本書はサラリーマン漫画というこれまで研究対象になりにくかったジャンルを戦後日本における「サラリーマン」の隆盛の凋落の概略とともに俯瞰できる、著者と同じく一介のサラリーマンとして読み応えのある筋の通った好著であった。


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