yomoyomoの読書記録

2009年05月25日

伊藤聡『下北沢の獣たち』 このエントリーを含むブックマーク

 何度も書いているが、ワタシは空中キャンプの愛読者で、その作者である伊藤聡さんが文学フリマに参加されるのを知ったときは、田舎に隠棲する我が身を呪ったものだが、ある方のご厚意により小説集『下北沢の獣たち』を入手できた(今度その方と飲むときには、一軒目はワタシが持たせてもらう)。

 ワタシが空中キャンプを好きなのはその文章の不思議さにある。空中キャンプの文章、そしてその作者である伊藤聡さんは、ワタシにとって謎そのものなのだ。

 『下北沢の獣たち』はその装丁からしてファンシーというか不思議というかそのつかみどころがなく、これをみているだけで自分が伊藤さんの本を手にしてる実感がわいて静かな興奮を覚えた。

 本書は千代田区在住のアイコさんを主人公とする「アイコ六歳」、猫の外的焦点化された視点で語られる下北沢ハードボイルド(そんなジャンルありません)である表題作、そして元グラビアアイドルとそのファンの語りが交互に入る「ひとすじのひかり」の三作からなる。

 その三作ともそれぞれ舞台も主人公も異なるのに、いずれにも独特の不穏さがあって、それが読み手を引っ張っていく。

 あらためて――これは自由と反抗の物語だ。私を支配し、服従させようとするなにかに向かって、濡れた運動靴でぴしゃりとおみまいする物語だ。(アイコ六歳)

 短編小説としてみれば「アイコ六歳」も表題作も割と良い話におちついているように読めるが、簡潔平易な文章なのに魅力的な比喩が適所にあり、そういう羽の伸ばし方が伊藤さんの文章の魅力なのだろう。

 われわれがこの世界で生きていくあいだには、と僕はおもった。笑いながらスジを出さなくてはいけない瞬間がかならずある。誰にでもだ。この世界はきっとそのようにできていて、しぶしぶではあるが、僕はそうした世界で生きていくことに決めた。(ひとすじのひかり)

 最後の「ひとすじのひかり」だけは少し感じが違い、これはスーパーという三作の中で最も現実感のある舞台と、自然に語るように嘘をつく主人公と、彼女を見つめるストーカー気質のファンという設定が強力なのだと思う。

 いずれもよくできた短編小説である。しかし、ワタシは本書を読んで、この短編の主人公たちはこれからどうなるのだろう、と考えてしまう。ちょうど表題作の最後でゴロゴロが呟くように。

 もっと読みたいのだ。ワタシは伊藤聡さんの小説を、もっと長い小説を読みたい。本書を読んでまったく身勝手にも思った。もっともっともっと。


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