2014年03月24日
後藤元気編『将棋エッセイコレクション』(ちくま文庫)
筑摩書房の伊藤さんより献本いただいた。本書はタイトル通り将棋にまつわるエッセイを集めたものだが、棋士、観戦記者、作家、市井の将棋ファンと様々な立場の人の文章を、また新旧も広く集められている。
どちらかというと短めの文章が中心で、個人的にはもう少し長めの読み応えのある文章が多かったほうがよかったかなと最初思ったが、何度か読み返してはっとするところがあるような本になっている。そのあたり編者も心を砕いたのだろう。
ワタシは将棋ファンとしてどうしても棋士という人種を崇めてしまうところがあり、中平邦彦の「聖性」に引用されている金子金五郎九段の以下のような言葉に痺れてしまうのである。
「棋士にとって対局とは、”幸福を争い合う場”ではなく、”大いなるものに生かされていく”ことを知る道場なのだ」と。さらに、「人が将棋を好むのは、一つしかない勝ちを、二人が争いとろうとする意志の闘いに魅力を感じるからであろう。つまり将棋は、”勝つこと”に集約されている。その中に真と善と美がある。善とは、最高の将棋を大衆にささげることで、自分だけのために”勝ち”ではないという誓いが必要だ。仏教でいうところの大乗の精神である」と。(16ページ)
他にもいろいろ宝石のような言葉がある。先崎学が書く、「プロは、将棋を勝つためにすべてを犠牲にしなければいけない」「だから棋士達は、将棋盤の前に座る時、決して評論家の目にはならない。なったらお終いである」もそれらの一つだろうが、果たして彼は今も自分の過去の言葉を胸を張って言えるだろうか。
これは編者も意識したのだと思うが、ある人物が複数の文章で繰り返し語られるところがあり、たとえば山口瞳の「血涙十番勝負ーー米長邦雄七段戦」の後に高橋呉郎の「江分利満氏との対局」があったり、団鬼六先生についても同様だし、芹沢博文の妻による証言、鈴木輝彦の文章の後に最後あたりに芹沢博文自身の文章が収録されているところなど。山口瞳『血涙十番勝負』の米長の回は、これ自体素晴らしいし、その後の山口と米長のトラブルを知る人間にとってはなかなか含みがある文章である。あと芹沢博文の文章は晩年の「白芹沢」の名文と言える。
他にも鈴木輝彦の文章にある、盤側に座った河口俊彦の顔を見た瞬間、自玉に詰みがあるのが分かってしまった逸話など盤側の微妙な話、青野照市が書く反則負けの話など棋士が普段そう書かない心理の話などもあり、本書はなかなか幅広く、読みどころが多い。
本書を読んで苦笑いを禁じ得ないのは、河口俊彦の「対局日誌」とそれに対する桐谷広人(そう、あの株主優待で暮らしていることで有名なあの「桐谷さん」)の反論だが、昨年末河口老師にお目にかかる機会があったとき、本書の構成案を伊藤さんより見せていただき、当然老師に桐谷さんの文章はどう思われたかという質問が出たのだが、老師曰く「オレその文章読んだことないんだよね」とのことで、「えっ、そうなの!?」と驚くとともに、老師の長持ちに秘訣はこうしたところにもあるのかもしれないと思ったりした。