2005年04月11日
田辺忠幸『最古参将棋記者 高みの見物』(講談社+α文庫)
将棋界にまつわるトリビアというか、面白い裏話でもあるかなと読んでみたが、正直期待外れだった。
「記録係をもっと重要視せよ」とか千日手周りなどのいくつかの提言を除けば、はっきりいってオヤジのぬるい与太話でしかなかった。
さて、本書の表紙写真には木村義雄、大山康晴、升田幸三、中原誠、米長邦雄、そして羽生善治と歴代の名人が写っているが、皆比較的若い頃の写真を用いられているのが印象的である。
そしてこうして名前を並べると、唯一名人経験者でない芹沢博文が写っているのに気付く。名人どころかタイトルを取ったこともない芹沢がこのように並ぶところに、彼が昭和の棋界に(記録に残らないところで)いかに大きな役割を果たしたかということが分かる。
芹沢がもっとも輝いていた時期については山口瞳の『血涙十番勝負』にも詳しいが、昨年河口俊彦の「小説新潮」の連載で彼の隆盛と破滅について書かれていたのを読んでいたこともあり、またそれに材をとった文章を書こうと思っていたので(今も少しは思っている)、興味深く読んだ。
昭和50年の第一回「将棋の日」を蔵前国技館で盛大に行ったのに芹沢が果たした役割は河口の文章を読んで知ってはいたが、将棋史上初の公式戦海外対局となった昭和51年の棋王戦ハワイ・ホノルル対局も芹沢が言いだしっぺだったというのは知らなかった。「こうときまってからの芹沢さんの行動は素早く、かつ周到だった」というのもさもありなん。
本書で個人的に面白かったのは坂口安吾の文章。
坂口安吾といえば、実に素晴らしい観戦記を書いた作家で、木村義雄名人が塚田正夫八段に敗れた戦後初の名人戦の第七局の情景を余すことなく伝えた「散る日本」はその最たるものだろう
と紹介される安吾が昭和26年に『新潮』に発表した「戦後文章論」が本書に引用されているので以下孫引き。
終戦後の文章で際立って巧妙になったのは、まず各新聞の碁将棋欄です。みんな揃って達人になった。実は短いけれども、卓抜な読み物です。特に三象子がうまい。対局の技術上のことも、心理上のことも、急所だけピタリと押さえて一般向きの興味津々たる読み物に仕上げています。(中略)三象子の文章が特に生きていて、いちじるしく活写の筆力が鋭いのは、彼は木村にも升田にも同情しない。別に悪意は毛頭ない。ただ真実を書きまくっているから生きているのですよ。しかし文章もうまいなァ
安吾がこれを書いて半世紀以上経つが、どうやらその間新聞の将棋欄の観戦記は、質的に衰退の一途を辿ったようである。