2013年07月15日
松村雄策『苺畑の午前五時』(小学館文庫)
ワタシが雑誌 rockin' on の読者だったのは主に1989年から2004年までのおよそ15年だが、ワタシがリアルタイムで知らない創刊時から現在までその金看板ライターと言ってよい著者の唯一の長編小説である。
ワタシは著者の文章が何より好きで、『岩石生活(ロックンロール)入門』、『アビイ・ロードからの裏通り』、『リザード・キングの墓』、そして『悲しい生活』と氏の本はいくつも買ってきたが、『苺畑の午前五時』だけはその存在を知った時点で絶版状態で、長らく読みたいと思いながら手に入らなかった。
昨年末本屋で、氏の新刊とともに本書が復刻されているのを知り(Kindle 版もあるでよ)、これ幸いと買った次第である。
これを読む前に読んでいたのが円堂都司昭『ソーシャル化する音楽 「聴取」から「遊び」へ』なのだが、この本は村上龍の『69 sixty nine』に対する批判的な言及から始まる。思えば著者は村上龍とほぼ同年代であり、作品のタイムスケールは違うので単純に比較対象にはならないのだが、読みながら『69 sixty nine』との違いをちょっと思ったりした。
本書は、著者といえばこれというべきビートルズとの出会いから彼らが解散してしまうまでの8年間の主人公の変化を描く、東京原住民である著者らしい青春小説である。
ただ青春小説といっても、「エバーグリーン」みたいな安易な言葉を使いたくなるような、大人の目から見ておさまりのよい、穏当なものでないのが著者らしいと思う。前半のヒロインであるみどりが後半も何か物語に絡みそうで絡まないところなど構成に難を感じるところもあったが、楽しんで読めた。
しかし、本書を読んで確信したのは、ワタシは小説家としての著者よりも飽くまで文章家としての著者が好きだという事実だったりする。