2006年11月13日
小川洋子『博士の愛した数式』(新潮文庫)
言わずと知れた大ベストセラーで、少し前に累計で売り上げが200万部を突破したとか。当方も文庫落ちしたときにこれ幸いと購入したが、今まで読む時間が取れなかった。
前述の通り大ベストセラーにして映画化もされた本なので評判もいろいろ聞いていた。一方で著者が取材したのが『国家の品格』の藤原正彦であることを知るといささか興が冷めるようにも思えるが、そんなことを考えるのはワタシだけかな。
小川洋子の本は、『妊娠カレンダー』以来二冊目である。主人公の息子が生まれたときの描写の不穏さがいかにも著者らしかったが、全編を通しての平明ながら慎重な筆致もやはりこの人のものだ。
事故の後遺症で記憶が80分しか持たない数学者、という設定は予め知っており、もっとそれを活かしたトリッキーな内容なのかと思っていた。それもできたはずだが、著者は飽くまである意味退屈ですらある平明な語り口を崩さず、そうした面白さよりも主人公が図らずも目撃してしまう博士の一日のはじまりの悲しみや博士が主人公の息子に対して示す庇護心を丁寧に描写していく。博士の世話を通じ主人公が発見していく内的な地平は、やはり尊いものだとしか言いようがない。
その時、生まれて初めて経験する、ある不思議な瞬間が訪れた。無残に踏み荒らされた砂漠に、一陣の風が吹き抜け、目の前に一本の真っさらな道が現れた。道の先には光がともり、私を導いていた。その中へ踏み込み、身体を浸してみないではいられない気持ちにさせる光だった。今自分は、閃きという名の祝福を受けているのだと分かった。(p.86)
他の患者たちは皆うつむき、私たち二人を意識の外に追い出そうと苦心していた。そういう時に漂う気まずい雰囲気の中で、どういう態度を取ったらいいか、私は十分に心得ていた。ピュタゴラスの定理のように、あるいはオイラーの公式のように、毅然としていればいいのだ。(p.229)
本書は、個人的にはこうなってほしくないなと思っていた、つまりはある意味必然的なストーリー展開を最後に迎える。私事であるが、本書の舞台となる1992年は、当方が大学に通うために一人暮らしをはじめた年で、また大学が関西にあったため、92年の阪神の躍進もテレビで見ていた。本書を読んでいて当時感じていた心細さを思い出したこともあったのか、ただひたすら悲しい気持ちになった。
小説を読んでいて、悲しい気持ちになるのは実はそれほど多くない。この小説がこれ以外にありえない数字とともに終わるとき、涙が頬を伝った。