2006年04月06日
河口俊彦『新・対局日誌【第一集】二人の天才棋士』(河出書房新社)
河口俊彦のライフワークといえる「対局日誌」が書籍としてまとめられている。さすがに全八集を買う余裕はないが、まさにこの「対局日誌」の連載によって将棋界についての知識を得た恩返しに一冊ぐらいは買っておこうと第一集を選んだ。時期的には昭和61年度の一年間になり、ワタシが以前書いた文章にそのままつながるものである。またこれより後の将棋界については、同じ著者の『人生の棋譜 この一局』という本もある。
基本的に将棋界が注目を集めるのは名人戦を中心としたタイトル戦が主なのだが、それだけ見ていたのでは将棋界のことは分からない。河口俊彦は普段のプロ棋戦を取材し、先崎学が帯コメントで書く独特な将棋の選び方で棋士の生態を描くことで、「これまで隠されていた棋界内部の有様や出来事を世間に伝え(p.19)」てきた。ただ将棋雑誌であればそうしたタイトル戦についての記事と対局日誌がセットになっているからよいが、対局日誌だけ読んでいたのでは、例えば本書で言うと二冠王だった米長邦雄がいつのまにか無冠になっていたりして混乱してしまう。本シリーズにはそれを補う棋戦情報が編集者により加えられており助かる。
本書の副題は「二人の天才棋士」で、具体的には羽生善治と村山聖のことなのだが、二人ともデビュー当時であり本書の主役ではなく、記述が主に割かれるのは中原・米長を中心とした旧世代である。そうした意味では看板に偽りありと言いたくなるが(副題に惹かれて第一集を選んだので)、当時新人類と呼ばれ、タイトルを獲得していた五十五年組をも追い越さんとする羽生の強さは本書にも書かれているし、「終盤は村山に聞け」という村山伝説が誕生した夜についての稿もあるのだからよしとするか。
三階の研究陣は、棋士室と事務室の二手に分かれていたが、事務室の中心は内藤で「一目詰みあり」という。数分すると、棋士室の方から人が来て、
「村山君が詰まない、と言っています」
と教えた。これが結論である。村山聖新四段は神様みたいなもので、彼が詰まぬと言えば、その通りなのである。(p.263-264)
本書の主役が旧世代なので、対局室の描写も現在とは随分異なる。田中寅彦に敵愾心を剥き出しにする前田祐司も勝負が終わればすっきりと一緒に食事に行くし(対局後に食事や飲みに出かける描写が本書には多い)、A級2位からまさかの二年連続降級してしまう森安秀光が対局後泥酔して往来の激しい通りをふらふらと歩く描写など、現在では見られなくなった棋士像も書かれている。それ以外にも、当時は同日に大阪で行われている対局の情報は FAX 経由で送られてくるので現在の目からするとまどろっこしくて、これにも時代を感じる。
さて、本書の読書記録は以上だが、先日惜しくも、本当に惜しくも最年長昇級を逃した内藤國雄九段についての著者による評言を引用しておく。
内藤は、目に前にいる人にはいじわるはせん、そういう主義のようである。口には出さぬけれど、そんな人柄であることは、棋士なら知っている。関西で圧倒的な人望があるのは当然なのである。(p.253)
あと、故ナンシー関も不思議がっていた石立鉄男の名前が唐突に出てきて面白かったのでそれも紹介しておく。
宮田が「もう一軒、私の知っているところへ行きましょう」というので、六本木の方へ行ったが、お目当ての店は終わっていた。それならと石立鉄男さんのマンションに押しかけたが、着くと宮田はテレビゲームをはじめ、前田は石立さんに、会心の一局を並べて見せた。私はといえば、いつの間にか眠っていたのである。(p.98-99)