yomoyomoの読書記録

2014年12月14日

ブレイディみかこ『ザ・レフト─UK左翼セレブ列伝』(Pヴァイン) このエントリーを含むブックマーク

表紙

 『アナキズム・イン・ザ・UK −壊れた英国とパンク保育士奮闘記』に続き、著者に献本いただいた。ワタシは本を読むのが死ぬほど遅いのだが(しかも年々さらに遅くなっている気がする……)、面白かったので一気に読んでしまった。

 数年前に確か新聞の夕刊である学者さんが学生時代を回顧する文章を読んだ覚えがあって……とこの文章を書くために少し調べてみたら、竹内洋の文章だった。福田恆存を面白いと思い、それを学生仲間に話したところ、その場にいた女子学生は、彼を誰かに紹介するとき必ず「この人ウヨクよ」と添えるようになったそうだ。この場合の「ウヨク」は、「右翼」でなく「バカ」に近い意味だった、と竹内洋は書く。

 福田恆存を推しただけで「ウヨク」扱いされ、それはすなわち「バカ」認定という「左派にあらずんばインテリにあらず」な時代も過去にはあったわけだ。当然ワタシはその世代ではないが、少なくとも80年代までは左寄りのほうがリベラルで頭良いように見える雰囲気があったことは分かる。

 現在はその逆、ではさすがにないが、今の日本では自分がレフトであることを表明することに難しさがあるように思う。本書の著者よりも10近く下のワタシからすると「サヨク」といったら社民党の愚鈍さであり、朝日新聞の押し付けがましい説教臭さであり、未だ福祉国家の支持者であることを恥じることがないワタシからしても、とにかくイヤなイメージがこびりついてしまっている。

 ele-king の連載に加えYahoo!ニュース(個人)でも健筆を奮う著者が、(これらで既に書かれたものと内容的に被るところはあるにしろ)書き下ろしで本書を執筆するにいたったのは、一つには(英国と同じではないにしろ)日本社会の右傾化と排外主義への憂慮があるのは容易に想像できる。いや、「憂慮」というと少し偉そうだがそうではなく、そういうご時勢だからこそのパンキッシュな反骨精神というほうが近いか。

 ワタシが本書を楽しく読めたのは、本書の緩さにある。最初に1945年のスピリット現代に伝える映画界の大御所ケン・ローチというブレの無い人が据えられているが、その後はなんでこの人が「レフト」? という人も入っており、各人の意見も平気で相反する。底辺層にとってのお金の重要さを訴える人とお金に依存しない社会を訴える人、今年の大きなトピックとなったスコットランド独立運動を支持する人と不支持の人、自らの名声を利用してレフトな信条を伝えようとする人と政治的信条をインタビューなどで明かさない人、そういった相反する人たちがこの本では同居している。

 これは大事なことで、本書の刊行記念筆談で水越真紀氏も指摘しているように、左翼の衰退は日本を含めた多くの国で言われていることだが、その原因として、左翼は往々にしてほかの左翼に対して心が狭く、自分こそが正しい左翼だと言いたがるというのが確実にあるだろう。

すべての人を認め、受け入れるというインクルージョンを理念に掲げるわりには、社会主義陣営は排他的になり過ぎているのだ。それに、ちょっと真面目すぎる。原理・原則にばかり囚われすぎて、笑いを忘れている。(98ページ)

 汚れちまったアンガーに。

 とでも言おうか、下層のアンガーはレイシズムで汚れていることがある。そしてそのアンガーを頭から否定し、バカとして無視・排斥するからこそ、レフト・ウィングは所謂上から目線のインテリと見なされて下層の庶民を取り込めなくなってしまったのである。左翼が「弱者」と定義する人間にとって、実は左翼の人々こそがもっとも遠いところにいるのかもしれないのだ。(117-118ページ)

 そうした緩さがありながら本書がてんでバラバラの内容になっていないのは、ここに選ばれている人たちがすべて著者と同じく反骨精神の持ち主だからだ。個人的には、昔からその政治性を分かっているつもりだったビリー・ブラッグの話が特に面白く読めたし(彼の文章が素晴らしく歯切れよく訳されていて、著者もそれに心を砕いたのではないか)、彼が説く「大人のナショナリズムの必要性」は日本の左翼も学ぶところが多いだろう。

 ただ本書は肩肘張らずに読める本で、男性同士の性行為が違法とされているシンガポールを訪れたイアン・マッカランが、朝のテレビ番組に出演し、「どこかお勧めのゲイバーはありますか?」と司会者に質問して番組が強制終了された話に笑ったり、3年前に起こったロンドンの暴動で盗人と化したガキどもに吠えた老婆とされた女性が実は40代だったとか、小ネタで笑わせることも忘れていない。

 が、本書は現役選手でゲイであることを初めてカムアウトした黒人サッカー選手ジャスティン・ファシャヌの話を持ってくることでシリアスさをぐっと増す。彼は黒人としてもゲイとしても過酷な差別を受け、同胞からもサポートを受けられず行き場を失い、タブロイドセレブとなった挙句悲劇的な最期を遂げる。

 そこにいたり、本書が上に書いたようにただ笑えるだけでなく、ポリティカルコレクトネスや多様性の難しさについて読む者がちゃんと考える材料たることに気付かされるのである。


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