2015年11月12日
西寺郷太『ウィ・アー・ザ・ワールドの呪い』(NHK出版新書)
以前から著者の本を買おう買おうと思っていたのだが、ちょうど海外に短期間出ることが決まった際に、これがよい機会だと出たばかりの本書をぽちっとして、持って行った。
USA・フォー・アフリカの「ウィ・アー・ザ・ワールド」だが、ワタシはアルバムをレコードで持っており、リアルタイムにアメリカの大スターたちの競演に胸躍らせたのを覚えている。本書は、この非常に稀有なコラボレーションの実現にして世界的に商業的成功を収めたこの曲が、アメリカン・ポップスの青春を終わらせたというのがテーマになっている。
だから本書は、「ウィ・アー・ザ・ワールド」自体について語る前に、そもそも「アメリカン・ポップスとは何か?」というところから始まる。いきなり音楽出版の話から始まるのに面食らう人もいるかもしれないが……と書くと自分がさも分かったかのようだが、ワタシ自身本書に名前が出るオーティス・ブラックウェルのことは、昨年ある人に教えてもらって初めて知ったんだよね。
アメリカン・ポップスの歴史から「ウィ・アー・ザ・ワールド」の共作者であるマイケル・ジャクソンの話につながっていき、そして80年代の音楽シーンを語る上で欠かせないディスコと MTV を踏まえて、マイケル、共作者のライオネル・リッチー、そしてプロデューサーのクインシー・ジョーンズという完全に黒人アーティスト主導のプロジェクトが実現する過程を追っていく。
ワタシは著者と同い年で、まさに「ウィ・アー・ザ・ワールド」のメイキングビデオもリアルタイムで見ていたが、こうして本書を読むと、やはり記憶の改ざんが起こっていたことに気付かされる。そのあたりを修正するためにも本書を読んでよかった。
「ウィ・アー・ザ・ワールドの呪い」という話自体は著者は何年も前からしており、ワタシもケニー・ロギンスについて書いたことがあるが、ヒューイ・ルイスにしろホール&オーツにしろシンディ・ローパーにしろ、あそこで輝いていた人たちの多くが、見事に80年代後半にキャリアの失速を迎えていて、それはリアルタイムに不思議に感じていたものである。
ただ本書に不満がないわけではない。「ウィ・アー・ザ・ワールド」のレコーディングに参加したはずなのに、ジャケット写真に写っていない2人の特定がちょっとした謎のような演出がなされているが、マイケル・ジャクソンについての著書が複数ある本書の著者が、まさかクインシー・ジョーンズの自伝を熟読してないわけはなく、その時点で1人について見当はついていたはずだ。しかも、その2人についての何かしら証言なり新事実が掘り起こされるわけでもなく、いささか肩透かしに終わっている(ただ、それに関連して、ジェームス・イングラムが2回ソロをとるなら、最初のはリンジー・バッキンガムに譲るべきだったという意見には大賛成だ)。
また本書は「ウィ・アー・ザ・ワールド」のレコーディングについての記述は詳しいが、この曲がリリース後どのような評価を受けたか、どういう波紋を呼んだかの記述が乏しいのも不満である(せいぜいダリル・ホールの「子供じみたひどい曲だった」という言葉の引用があるくらいで)。
当時ワタシが読んだのでは、クリストファー・クロスが確か「ミュージック・ライフ」のインタビューで、「クインシー・ジョーンズは友人だと思っていたので、声がかからなくて正直傷ついた。でも、パーティと同じで呼ばれてないのに行くわけにもいかない」と語っていた覚えがある。そうした証言を含めれば、本書のタイトルにある「呪い」が浮き彫りになったと思うのだが、それは一冊の新書に期待しすぎなのだろう。
こうして本書を読むと、今から考えると声がかかっていておかしくないのになぜか呼ばれなかったマドンナや、当日トラブルに巻き込まれたプリンスは結果的に参加せずに済み、その「呪い」から逃れられた形なわけで、本書と同時期に刊行された『プリンス論』もあわせて読むべきだったと後悔したりした。