2006年11月15日
村上春樹『風の歌を聴け』(講談社文庫) 
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以前、人力検索はてなで村上春樹の本で最初に読むなら何が良いか尋ねたが、結局処女作である本書を買った。
いや、さすがというか読ませるね。かつて中上健次が村上春樹の作品を評して、あまり好きではないがとにかく読ませる、リーダビリティがあるという意味のことを言っていたのを読んだ覚えがあるが、カート・ヴォネガットあたりを準拠枠とした構成の上で、とにかく読ませる文章が続く。思わず引用したくなるような文章多数。それが最後までほぼ均質に続く。
そうした文章も一歩引いてみると、斎藤美奈子が『妊娠小説』でやってみせたようなツッコミどころも多いのだが。「それでも気になるんなら公園に行って鳩に豆でもまいてやってくれ。」ってバカじゃん、みたいな。
これは間違いなく才能に違いないのだけど、一方でよく受け入れられたなと今更思ったりもした。当時ならなお拒絶反応を示した人もいたのではないだろうか。江藤淳が村上龍の『限りなく透明に近いブルー』に対して言った「現代日本文学のサブカルチャー化」というのを本作に対して言った人がいても不思議ではない。別にワタシはそれを「退廃の象徴」などとは思わないが。
これからも彼の小説はおいおい読んでいくことになるだろう。少し前に仲俣暁生さんにお目にかかる機会があったのだが、せっかくなら初期村上春樹作品について聞いてみればよかった。そういう貴重な機会に限って大事なことを忘れてしまう。そういうものだ。