2010年04月15日
山形浩生『訳者解説 新教養主義宣言リターンズ』(バジリコ)
訳者名で客を呼べると言われる山形浩生の、これまた本編よりも面白くて分かりやすいとすら言われる訳者解説を集めた本である。
ワタシは少し前に Twitter で速水健朗さんに「山形信者のyomoyomo」と書かれたことがあり、アニリール・セルカンと並んで2009年のキーパーソンに選ばれた評論界の瑛太に軽侮されて落ち込んでしまったのだが、本書に訳者解説が収録された14冊のうち、レッシグや esr など元々かかわりのあった分野の本をのぞけば全滅に近い未読率で、まったく忠誠心の低い信者もいたものである。
だから本書に収録された文章の多くは今回初めて読んだが、確かにどの本の訳者解説も面白い。本の概要にとどまらず、作品の原著者にとっての、また社会的な位置づけ、そして忌憚ない評価まで含め、読み応えのある文章が並んでいる。その語り口を痛快とみるか、余計なところまで訳者がでしゃばるなと見るかは意見が分かれるだろうが、本の内容に沿った通常の訳者解説と、原著刊行からの40年を踏まえた服従実験批判の二段構えからなるスタンレー・ミルグラム『服従の心理』など見事である。
そのように本書を読むだけで楽しめ、未読の本の内容まで分かった気になってしまうのだが、当然ながらそれではいけないだろう。そうした意味で本書にはどうしても倒錯的なものを感じてしまう。
そこで本書の副題が「新教養主義宣言リターンズ」であることを思い出す。前作『新教養主義宣言』に多く収録されていたのは書評だが、それだけ読んでいて分かった気になるのがいけないのは書評でも同じだろう。それでは、それこそ信者呼ばわりされるレベルである。
ぼくは多くの人にとっての「読む」というのが、書かれていることを読んでその論理を頭の中で再構築して理解する、ということではないんじゃないかとにらんでいる。多くの人は、ことばの出現頻度と語調にしか反応していないようだ。そしてそれを、何か自分がすでに知っているお話のパターンに何とか落とし込みあてはめるのが「読む」ということらしい。そして、結論はその既知のパターンに沿ってしか理解できない。(9-10ページ)
そう考えると、自分はこの十年で何をやれたのだろう、山形浩生の仕事から得られた興奮、(このシリーズの意図に沿うなら)教養が持つ力、おもしろさをどこまで自分の仕事を通じて拡げることができただろう、と読後ちょっと暗くなってしまった。
それにしても著者はいろんな本を読んでるね、とノリノリで書かれたであろうデブリン&ローデン『数学で犯罪を解決する』の多分野にまたがる長大な訳者解説を読んで思うわけだが、とりあえずワタシとしては(荒唐無稽さを増す『LOST』に辟易しつつあるので)『NUMBERS 天才数学者の事件ファイル』の DVD をレンタルするところから始めてみようかしら。