モンティ・パイソンと差別と検閲


『モンティ・パイソン研究入門』表紙

 以前から積読だった『モンティ・パイソン研究入門』をざっと読み終わったところである。昨年の発売と同時に購入していたが、一昨年前に買っていた『モンティ・パイソン正伝』を優先して手をつけてなかった。しかし、これを読み終わるのを待っていたら、あと何年先になるか分からないので(二段組で辞書級の厚みがあるのよ)順番を入れ替えたのだが、なかなか面白かった。

 『モンティ・パイソン研究入門』(以下『研究入門』)はまさにタイトル通りの本で、一般的なモンティ・パイソン解説書である『モンティ・パイソン大全』、パイソンズによる証言をまとめた『モンティ・パイソン正伝』や『モンティ・パイソン・スピークス!』とは毛色が異なり、パイソンの笑いについて少しアカデミック入った感じで解説する本で、こういう時代背景など周辺知識を押さえた第三者による分析は貴重だし、翻訳も正確無比である。

 強いて難を挙げるなら、監修者である須田泰成さんの解説が、無理に "Monty Python 2.0"、"Comedy 2.0" といった言葉を使っている観があって苦笑してしまうところと、訳者である奥山晶子さんによるミュージカル『スパマロット(Monty Python's Spamalot)』のバランスの行き届いたレポートはすごくありがたいのだが、本書自体についての訳者からの解説がないのは片手落ちではないのか。

 以上は解説に対する言いがかりだが、『研究入門』の中身について強いて足らないものを挙げるなら、モンティ・パイソンの笑いにある差別性への切り込みだろうか。


 しかし考えてみれば、この話題は関わって損することはあっても得することはまずない地雷のようなものだから、触れないで正解かもしれない。

 イギリス人と差別というと、先ごろの Celebrity Big Brother でこの問題が図らずもクローズアップされた。これについて知らない方は、小林恭子の英国メディア・ウオッチの「英国の人種偏見とテレビ番組「ビッグブラザー」」というエントリを読むとよいが、番組そのものの雰囲気は Brits on TV特設コーナーを見たほうが掴み易いし、THE BRADY BLOG における階級問題を軸にした解説も一読をお勧めする。

 この番組自体にはほとんど興味がないが、個人的に気になったのは小林恭子氏が指摘する、英国人は自分が差別主義者であることを認めず、「自分たち自身が人種偏見・差別の現場に直面すると、黙り込むか、事実ではないと思うふりをする傾向」である。

 ワタシ自身は差別は感情の一種であり、人の心に差別があるのは別におかしくないと素直に考えている。もちろん差別心のままに相手を不当に遇したり、それが社会的通念のように居直ってはいけないのだが、それは憎悪や嫉妬といった感情を野放しにしてはいけないのと基本は同じである。

 誰でも自分の心の中に憎悪などのネガティブな感情があることまで否定はしないでしょ? 差別心だって同じことだとワタシは思うし、その差別心が恐怖やコンプレックスといったネガティブな感情、そして何より理解の欠如に起因することを省みることが重要であって、はなからそれがないかのように振舞うのは歪みを生むと思う。


 話を『研究入門』に戻すと、この本にはモンティ・パイソンが英国のあらゆる階級を笑いのネタにしたことには触れているが、それに付随する笑いの差別性については触れていない。

 モンティ・パイソンの差別ネタには強烈なものが多く、デニス・ムーアが有名な『空飛ぶモンティ・パイソン(Monty Python's Flying Circus)』第三シリーズ11回の放送における「これが偏見でショー」など極めつけで、そのはじまりを『モンティ・パイソン大全』263ページから引用する。

「こんばんは、「これが偏見でショー」の時間がやってまいりました。この番組は、皆様に、イタ公や黒ん坊、フランスの蛙野郎、出っ歯のチャイナ、ユダ公、ポーランド野郎、酔っ払いのアイリッシュ野郎などなどの奴らに偏見をブツけるチャンスをさしあげます!」

 このスケッチはアフリカ大陸の旧英国領における人種政策に対する攻撃的なサタイアなのだが、この後に続く「ベルギー人をけなす言葉コンテスト」を見て気分を害するベルギー人ももちろんいるだろう。もしその対象が日本人だったとしたら、ワタシはパイソンが嫌いになっていたかもしれない。実際『空飛ぶモンティ・パイソン』の中でも何度か日本人はネタにされているが、別にそれを見て気分を害することはなかった。しかし、これはある意味運の問題だったのかもしれない。

 先鋭的な笑いの多くが差別性を持ってしまうのはある意味仕方のないことで、そのあたりについては筒井康隆が何度も書いているが、一方でパイソンだから無条件に許容、賞賛されるべきという道理もない。『研究入門』の訳者である奥山晶子氏のブログでパイソンの男性優位性に触れたエントリがあるが、それでパイソンを受け付けない女性がいてもおかしくはないわけだ。


 『モンティ・パイソン研究入門』の解説において喰始氏は、「今の時代、モンティ・パイソンは絶対にテレビでオンエアできません」とおそらく日本のことを指して書いているが、本国イギリスでも『空飛ぶモンティ・パイソン』には再放送できないものがあるという話を聞く。前述の「これが偏見でショー」もおそらくそれに該当するだろう。

 もちろん過去が一方的に現在より規制が緩かったわけではない。『空飛ぶモンティ・パイソン』製作時から BBC の検閲があったことは『研究入門』でも触れられている。

 1960年代から70年代のカウンターカルチャーや新しい政治勢力に対抗する「組織的な抗議」が行われるにつれ、『フライング・サーカス』にも組織的な反対の声が上がるようになった。この運動によりBBC内部では自粛の傾向が進み、次第に上層部は「制作されたものに、放映前に非常に強い興味を示すようになってきた」。(28ページ)

 最も有名なのは第三シリーズ5回「全英プルースト要約選手権」スケッチにおける、司会者から趣味を聞かれた参加者の「動物の首を絞めること、ゴルフ、そしてマスターベーションです」という台詞が問題となった件だろうか。

 BBCの意向を知るや、パイソンズはBBCのお偉いさんを取り囲み、「ぶっちゃけ、お前もオナニーするだろ?」と詰め寄ったそうだが(おい)、結局放送では「マスターベーション」のところがカットされてしまう。

 もちろん現在日本で発売されている DVD ではちゃんと戻っているが、件のスケッチで司会者役だったテリー・ジョーンズが書くように、「マスターベーションがダメなら、じゃあ何で動物の首を絞めるのはオッケーなんだ?」ということであり、今だと逆にそっちのほうでアウトかもしれない。結局道徳や良識と呼ばれるものも相対的であり、時代により変わるのだ。

 驚いたのは、この文章を書くために YouTube で件のスケッチを見たところ、「マスターベーション」がカットされたバージョンだった。もしかして一部の地域で発売されている DVD は、未だカットされたバージョンなのだろうか。

[2011年1月23日追記]:本文執筆時にリンクした動画がアカウント停止により消えており、現在はりつけている動画は検閲されていないバージョンである。

 上でパイソンの笑いが男性的であるという話を紹介したが、このスケッチ自体、司会者の衣装や喋り方、審査員のお飾り加減、コンテストの優勝者が何の脈路もなく「おっぱいが一番でかい女性」になるところなど、いわゆるミスコンテストを揶揄したものなのだけど、こういうのを見てそうした印象を強める人もいるのかもしれない。


 検閲の問題は当然ながら英国だけにとどまらない。『研究入門』は、米 ABC で初めて『空飛ぶモンティ・パイソン』が放映されたときに構成をばらばらにされ、検閲を入れられたために裁判になった話から始まるが、この問題は日本でも起こっている。

 1986年にはじめて『空飛ぶモンティ・パイソン』がビデオソフト化されたとき、戦場で犠牲者を決めるくじ引きで何度やっても自分が当たるのに業を煮やした上官が苦し紛れに「助かりたい奴は両手を挙げろ!」と叫んで両手を失っている牧師を犠牲者にするスケッチ、ボーンマス海水浴場の婦人科医チームと『宝島』のシルバー船長チームがサッカーをやり(なんじゃそりゃ)、一方的に婦人科医チームが点を入れまくる(船長、片足ですから)というスケッチが身体障碍者差別と問題になり、これらを含む回が丸ごとビデオに収録されず、かのスパムスケッチなどパイソンを代表するスケッチが日本では長らく見られないという事態も起こった。

 これは前述の裁判沙汰の話とも関係するが、『空飛ぶモンティ・パイソン』は30分番組丸ごとでひとつの作品なのでこうせざるをえないわけだが、そうした意味で彼らが一番乗りに乗ってた第二シーズンの最後の回も、おそらくはイギリスで再放送できないのだろうな。

 この回は女王陛下が番組を見るという設定の放送で、それにも関わらず後半カニバリズムをネタにしたスケッチを連発するのである。

 そしてその最後にとどめとして繰り出されるのが、ワタシがモンティ・パイソンの全スケッチの中で一番好きな葬儀屋スケッチである。

 これもかなり BBC と揉め、妥協案として客席から野次とブーイングを入れ、そして最後には客がなだれ込んで抗議するという演出にして放送にこぎつけている。Wikipedia のページを見ると、ビデオパッケージ化の際にも BBC はこれをカットしたがったそうである。

 字幕なしに理解するのは難しいので、ざっと訳してみる。

「何かお手伝いできますでしょうか?」
「だと思います。母親が死にまして」
「ああ、我々の仕事ですね。仏さんの始末」
「えっ?」
「はい、三通りできます。埋めるか、焼くか、あるいは捨てるか」
「捨てる!?」
「テムズ川にドボン」
「何だって!?」
「えっ、お母様のこと好きだったんですか?」
「そうですよ!」
「ああ、それじゃ捨てるのは止めましょう。どちらがよろしいでしょう。埋めるか焼くかできますが」
「うーん、どちらがお勧めですか?」
「どっちもひどいもんです。焼くとするとお母様は炎の中でカラカラカラと焼き上がりますが、彼女が実は死んでなかったらちょっとショックです。でも、すぐ済みます。で、一握りの灰になって、それが彼女だという振りができるわけです」
「うん」
「一方埋めるとしますと、お母様はたくさんのゾウムシや汚いうじ虫に食われるわけですが、これも彼女が死んでないとちょっとショックですね」
「分かりました。まぁ、間違いなく死んでますよ」
「彼女、今どこです?」
「この袋の中ですが」
「見せていただけますか? おっ、すごく若く見えますね」
「ああ、そうですね」
「おい、フレッド!」
「何だ?」
「食えるのが来たぞ」
「ええっ?」
「よっしゃ。オーブンの用意するよ」
「ちょ、ちょっと待ってください。あなた方、僕の母親を食おうとしてるんですか?」
「……はい! でも生じゃないですよ。調理します」
「ええっ!?」
「はい、フレンチフライやブロッコリーやセイヨウワサビのソースとローストしますから」
「ふむ、僕もちょっと腹が減ってきましたね」
「そりゃいい!」
「パースニップもつけてもらえます?」
「フレッド! パースニップを用意しろや」
「うーん、やはりどうも気が咎めるんですが」
「それじゃこうしましょう。とりあえず食べるんです。それで罪の意識を感じるなら、墓を掘ってそこにゲロを吐けばいいんです」


 さて、お堅い話はここまでとして、最後に最近のパイソン動向について少し書いておく。

 昨年マイケル・ペイリンのパイソン時代の日記が刊行されたが、奥山晶子さんのブログのこれについてのエントリが、気がつくとマイケル情報掲示板と化していた。マイケル日記はとても面白そうなので(それにしてもマイケルって信じられないくらい良い人だなぁ)、これの版権を押さえた某社は早く邦訳を出しなさい、と改めて思った。

 そしてマイケルというと、最近 The Sun のインタビューでモンティ・パイソンであと一枚コメディアルバムを作りたい旨を語ったとのこと。「ただしソースはサン」とはいえ、本人の弁なのだから間違いないだろう。

 1999年の結成30周年記念のときはエリック・アイドルが呼びかけ役だったようだが、その彼は現在『スパマロット』で狂い咲き状態の成功を収めているため、逆に再結成には応じないかもしれず、難しいところである。

 しかしテリー・ジョーンズが癌から生還した今年あたりが五人で何かやる最後のチャンスかもしれない(マイケルにしても映画やテレビからの引退を表明してるわけで)。

 この日本においても、須田泰成さんによる『空飛ぶモンティ・パイソン』の脚本『Just the Words』の邦訳が控えている。パイソニアンの楽しみは尽きないようだが、ワタシ的にはそれまでに『モンティ・パイソン正伝』を読んでおきたいところだ。

 しかし、まず間に合わないだろうな。


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初出公開: 2007年02月05日、 最終更新日: 2011年01月23日
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