将棋の消費について


 先日、河口俊彦の『大山康晴の晩節』を購入し、一気に読了した。プロ棋界に興味を持ち出した当時から著者の文章を読んできた、というよりプロ将棋、並びに将棋界の見方に関し全面的に影響を受けた者として、著者の念願だった大山康晴論をこれまで買わずに済ませていた理由が自分でもよく分からないのだが、読んでみて評判通りの本だと思った。ただ書き手としての根気というか、微妙に説明を端折っているところ、あと少し文章を加えればもっと広範に伝わるところが気になったが、これは著者の年齢的な面があるのかもしれない。

 個人的には、本書の第一章が、かつて当方が文章にした昭和60年度のA級順位戦を活写したものだったのが嬉しかった。もっとも当方の文章は、この著者の文章のパッチワークのようなものであるが。

 ……と文章を始めたものの、どうも書いていて内心そわそわした感じが消えない。将棋についての文章を書いたところで、果たして何人の読者が興味を保って読んでくれるのか甚だ心もとないからだ。

 例えば、バトンものもすっかり下火になったが、「将棋バトン」というのを勝手にでっちあげたとする(コレ、流通してないよね?)。設問は例えば、「あなたが最後に指した将棋の戦形と勝敗は」とか「あなたがよく並べなおす、もしくは思いいれのある対局を五局挙げてください」になるだろうか。

 すげー地味。そしてそれに対して、「昨日将棋倶楽部24で久しぶりに中飛車を指したのですが、急戦をしかけられていいようにやられてしまいました」とか「昭和57年7月30、31日の名人戦最終局。中原誠名人と加藤一二三十段(いずれも当時)による四ヶ月に及んだ「十番勝負の死闘」の最終戦にして、これを制した加藤が初挑戦から22年にして悲願の名人位を獲得した将棋です。終局間近、9時間の持ち時間の残り時間が10分を切っていた加藤は、そのうちの7分を使い受けの手を読んだもののどうしてもそれでは負けなので、攻めるしかないと運を天にまかせて5二角成と角を切った瞬間、最終手となる3一銀の妙手で詰むことが分かったそうです」とかマジメに答えている自分を想像しただけでバカ受けしてしまうのだが、将棋を知らん読者にとっては心底どうでもいい話だろう。

 しかし、それを言うなら実は Musical Baton だって同じなのだけどね! ただ、少なくとも将棋じゃセンス競争は働かないよな。


 『大山康晴の晩節』は著者の大山論の集大成なので、逆に言えばこれまで著者の文章を読んできた当方からすればそこまで新しい発見は少なかったが、これを読んでワタシが思ったのは、過去将棋はどのように一般のファンに消費されてきたのか、そしてこれからはどのように消費されるのだろうかということだった。

 河口俊彦にしてもやはりプロ棋士だけあって、飽くまでその側から将棋を見ている。大山・升田時代、中原・米長時代、そして羽生世代以降の将棋を分類して語り、その見方にはなるほどと思うものの、そうしたトップレベルのプロ将棋を棋力でいえばその足元にも及ばない将棋ファンがどのように娯楽として、どのような心情で消費してきたのかという視点が欠けているように思うのである。

 例えば、戦後の木村義雄、升田幸三、そして大山らの戦いに多くの人たちが熱中したのは、何より当時娯楽となるものが圧倒的に少なかったからというのが大きいのは間違いないが、ファンが棋士(将棋指し)の対局、特に名人位を巡る戦いを一種の剣豪小説を読むように感情移入したからではないか。当時の将棋指しはそれに足るだけのキャラ立ちした人が多かった。木村は半ば成金趣味的に堂々と権威の象徴として振る舞い、それに対して升田が「ゴミとハエ問答」に代表される反骨精神を露にした言動で応じたのだから面白くないわけがなかったわけだが、『大山康晴の晩節』にも以下の文章がある。

丸田、原田といった長老はいつも「昔は貧しかった」と言う。私は違うと言いたい。着る物、食べる物その他すべてにわたって、一般の人とは比べものにならないほど贅沢をしていた。(中略)昭和二十年、三十年代の碁打ち、将棋指しは、特権階級のようなものだったのである。(41ページ)


 どこまで意識的だったかは分からないが、その棋譜を掲載する新聞社、並びに当時観戦記者を務めた新聞記者や流行作家も将棋指しの高等遊民性に奉仕している(「ゴミとハエ問答」は、新聞の観戦記に掲載された話なのだ!)。

 一例を挙げれば、昭和23年、当時の塚田名人に対する升田対大山の名人挑戦者決定戦は高野山で行われている。戦後の交通事情の悪い、しかも厳冬期になんで高野山でやるよ! しかし、「高野山の決戦」というと何かとんでもない戦いに思えるし、実際最終局に大山が「最後のお願い」で指した王手に対して一目危ない方向にふらふらと逃げたため案の定トン死をくらい、升田が「サッカクイケナイ、ヨクミルヨロシ」と発して駒を投じた話や、対局後将棋盤を検分すると盤がへこんでいた、つまり両者ともそれぐらいの気合で駒を打ちつけていたといった話は語り草となっている。当時の将棋ファンはポカで敗れた升田を「悲運の升田」と呼び、この頃から大山は悪役になったわけであるが、当時腐女子がいたなら、升田攻め大山受けのやおいマンガが描かれていたに違いない……というのは言いすぎですね、すいません。

 そうした観点からすると、中原・米長時代は、大山に敵意をむき出しにして挑んだ山田道美(『大山康晴の晩節』を読むと彼の評価が変わる)や、芹沢博文といった棋士を経た上での将棋界の市民化の時代だったと言える。上記五名が全員対局者として登場する山口瞳の『血涙十番勝負』は大山・升田時代から中原・米長時代への移行期を捕らえた名著であるが、先日読み直していて面白い記述を見つけた。トッププロに飛車落ちで挑むも満足のいく将棋が指せない口惜しさから、山口瞳は一度連載の中止を宣言する。それに対して以下のような読者からの叱責があったという。

「サラリーマンは定年まで勤めあげることに意義がある。恙なく勤めるというのは大事業であると書いたのは貴方でしょう(後略)」(203ページ)

 21世紀を生きるサラリーマンのワタシとしては、「サラリーマンは…」の文章にクラクラきてしまうわけだが、当時の日本はそれが当たり前のように信じられた右肩上がりの時代だった。『米長邦雄の本』にも駒が下がる手を見せると「勢いのない手」と不機嫌になったという先崎学の文章があったが、中原誠の「前進できない駒はない」という言葉に代表される前進主義が正しいとされ、また一般の将棋ファンもそれに健康性を見て支持したのではないか。


 更にそうした観点から羽生世代の将棋を見れば……と話を続けてもよいのだが、これについてはワタシでなくてもいろんな人が書いていることだし、それにここまで忍従してくれた将棋に詳しくない読者もいい加減退屈しているだろうから割愛させてもらう(それにしても AERA の「スローライフ戦法「一手損角交換」に学べ」にはびっくりしたな)。

 さて、現在将棋界最大の話題といえば、何と言っても瀬川晶司氏のプロ入り問題である。真剣師(平たく言えば賭け将棋指し)だった花村元司以来61年ぶりの特例プロ入り編入試験……という報道を見て、案の定小池重明の存在が黙殺されていることに当方は悲しさを覚えてしまうのだが、それはひとまず置こう(小池重明については団鬼六先生の『真剣師小池重明』『真剣師小池重明の光と影』を読んでください)。

 編入試験についての情報は将棋連盟のページを見ていただくとして、小池重明のときのようなしょうもない流れにならず、また将棋連盟の真剣度も伝わるので(対戦者の変更などゴタゴタもあるが)ここまでの経緯についてはワタシは一応好意的に見ている。double crown さんには「yomoyomoさんが好むいわゆる因縁モノがちょこちょこあって面白く楽しめそうです」と書かれてしまったが(笑)、最初は違和感を覚えた対戦相手の選定についても、米長連盟会長の説明を聞くとそれなりに納得もいく。

 今回の一件は、何と言っても(小池重明のような破滅の道を辿ることなく)将棋プロになりたいという熱意と棋力を保ち続けた瀬川晶司氏の尽力によるわけだが、結果はどうであれ瀬川氏もそれを受けて立つプロ側も力を出し切りすっきりした結論が出ることを心から願う。


 瀬川氏は意識していないかもしれないが、今回の試験対局はその結果に関わらず、将棋のプロとアマの関係の決定的変化を象徴する契機として後に振り返られることになるだろう。それは「これからはプロもアマも協力して将棋を普及させましょう」といったぬるいお題目の話ではない。

 一つには新聞社との契約金に依存した将棋連盟の経営形態が破綻しつつあるというのがある。だから瀬川氏の熱意には敬意を払うが、そこまでしてプロになりたいものかねと首を捻る向きもあるくらいで、現代の棋士は金にならない職業であり税務署の査定も最低ランクだったと記憶する。今回の試験対局について、将棋連盟自ら「タイトル戦に準ずる対局」と宣伝し、対局映像をブロードバンド配信する(おまけにブログまで用意する)という一種の見世物化に踏み込むのは、裏を返せば連盟もそこまで追い込まれていることの表れだろう。

 そして更に言えば、もはや四段になったから以後は将棋だけ指していれば食っていけるという時代は終わったことをプロ棋士も自覚する契機になるだろう。以前より新聞社から棋戦にアマを加えるよう求める圧力は強まっている。これは平たく言えばプロ棋士の指す将棋がクソ面白くないからそれだけでは金を出せないと言われているわけで、それに目を瞑り耳を塞ぐ世間知らずのプロ棋士はまったくどうしようもないわけだがそれはさておくとして、また一方でアマ棋界のトップレベルが下層のプロと肩を並べているのは実は今に始まったものではないのだが、彼らのプロ棋戦への参加を通じてそれが一般に認知されたのが大きいと思う。

 かつては相撲と将棋がもっともプロとアマの差が大きい世界と言われ、実際瀬川氏も抜けられなかったプロ養成機関である奨励会については、情緒的なところが鼻につくとはいえやはり『将棋の子』を読んでもらうのが一番だとは思うが、その地獄のような下積みを抜けても立場が安泰でないなんて救われない、とプロ棋士は思うだろう。しかし、個人的にはあまり同情はしていない。それは無様にアマに負けてのうのうとしているプロ棋士に対してシバキ主義的な感情をどうしても持ってしまうというのもあるが、ワタシの感情などよりも大きな流れがあると確信するからだ。


 ここで梅田望夫氏の「インターネットの普及がもたらした学習の高速道路と大渋滞」を思い出していただきたい。この「高速道路」という比喩はいろんなところで使われたが、梅田氏自身が書いているように、これは元々羽生善治(本文章を書いている時点で)四冠王による、この10年のITの進化とインターネットの普及による将棋の世界の変化についての発言であった。

将棋が強くなるための高速道路が一気に敷かれたということだと思います。でも、その高速道路を走り切ったところで大渋滞が起きています

 この前後の正確な文脈が分からないので間違っているかもしれないが、ここでの「高速道路を走り切ったところ」は間違いなくプロの世界の話だろうが、その入口は瀬川氏などを見れば分かるようにプロ/アマ棋界の両方にまたがるものだろう。

 これに関して伊藤直也氏は「プロになるための高速道路が整備されたということは何を意味するでしょうか。それは、エンジニアの相対価値の低下を意味します」と書くが、それを元の文脈である将棋界にあてはめれば何の相対価値の低下を意味するのかは自明だ。それに前述の財政的な事情も重なれば、もはや後戻りはできない。

 今後瀬川氏に続いてプロを目指すアマ強豪が出てくるかもしれない。しかし、それは現在もわずかばかりに残るプロ棋士の高等遊民性を保証するものではない。プロ棋士としてそれなりの額を稼げるのはある程度上位者だけになるだろうし、そうした意味で「兼業棋士としてのフリークラス」というのが妥当な落としどころだと思う。逆に言えば連盟はそれを見越した、普及活動に功績のあるプロ棋士も報われるような制度改革を進めていかなければならないだろう。


 普及が重要、というのはそれこそ昔から誰もが言っていることだが、将棋連盟の普及活動が時代に即したものかは大いに疑問なところである。新聞社の庇護が当たり前のように続くという天動説に胡坐をかいている驕りが透けて見える、というのは言いすぎか。しかし、高齢化社会になれば自然と将棋人口が増えるという説を聞いたことがあり、まったくバカげた話だと思ったものだ。若いうちから嗜んだこともないものを歳を取ってから始めて面白いわけがないじゃないか。とにかく指してもらわないことには始まらないのに。話題になってなんぼなのに。そうした意味で橋本崇載五段のビッグマウス、今回の瀬川氏のプロ入り試験関係でも神吉宏充六段の関西棋士らしいエンターテイナーぶりは天晴れだと思う。そして加藤一二三九段の……これは自覚的なものでないので適切じゃないか。

 さて、一将棋愛好家として個人的なことを書かせてもらえば、インターネットというのは本当にありがたいなと思う。何を今更と言われるだろうが、ワタシは三十数年間の人生の中で、最も将棋にのめりこんでいた時期よりも今のほうが密度の濃い将棋を指しているし、実際当時よりも今のほうが強いと思う。端的に言えば将棋倶楽部24のおかげである。このサイトは日本将棋連盟のしょうもない活動(「将棋倒し」という言葉に抗議したりとかね)よりも将棋ファンに貢献している。

 それに今では、Bonanza というフリーウェアなのに無茶苦茶強い将棋ソフトまで登場する時代である。ワタシも評判を聞いて試しにダウンロードして戦ってみて、まったく相手にならないのにびっくりした。説明を読み、これの棋力が将棋倶楽部24のレーティングで2400程度であるのを知り、ごく短期間2000台に到達したことがある程度のワタシがかなわないのは不思議でもなんでもないのに気付いて安心するような悲しいような気持ちになったが。

 立て続けにコロコロ負かされるうちに、ある程度勝てるコツはおぼろげながら分かってきたが、正直言ってそうして勝ったところで楽しくない(負けると間違いなく不快)。ワタシ自身長らくソフトウェアを相手に将棋を指してなかったのでこの味気ない感覚を忘れていたわけだが、やはり人間相手でないと将棋で勝っても楽しくないのだ。

 この間将棋ソフトがアマの全国大会でベスト16に進出ということがあり、これはもういくところまで行くのだろう。まったく恐ろしい時代だよ。それはそれでよいとして、アマ初段レベルならば強さ的にはフリーウェアが相手でもう十分なわけである。これからはその過程(読み)を人間相手に教育するようなソフトが求められるのかもしれない。

 でも最後は人間になる。人間だもの(by みつを)。


 上で梅田望夫氏の文章を引き合いに出したので、もう一つそちら系の言葉を引っ張っておくと、Mass Amateurisation(Mass Amateurization)というのも本文章の題材に当てはまるかもしれない。

 これは Clay Shirky の Weblogs and the Mass Amateurization of Publishing が初出だったと思うが、件の「高速道路」の比喩は飽くまでプロレベルの話だから我々にはあてはまらないが、前述の通りインターネットのおかげでバイパス道路ぐらいは我々にも与えられたと言えるのではないか。

 ここまで引っ張ってきて何が書きたいかというと、誰かブロガー将棋大会とか開かないのかなということ。そういうのが開かれるなら、ブロガーでないワタシも喜んで参加しちゃうかもね。

 事前にネゴを行ってネット上で行うことも可能だけど(実際少人数でそういうのを行う例は多い)、せっかくならリアルでやったほうが絶対楽しいに違いない。日頃偉そうなことを書いているあのアルファブロガーがへっぽこな手を指して周りに笑われたり、仲の悪いブロガー同士があたって盤上だけでなく盤外でも口三味線で応戦したりするのを想像すると愉快じゃない。もちろんその様子をブログで(誇張を交えながら)レポートする。

 ワタシの頭にあるのは、かつて井伏鱒二が主催し、太宰治なども熱心に参加した阿佐ヶ谷将棋会のイメージだが(古い!)、それをブロガーがやったらまさに Mass Amateurisation じゃあありませんかね。強引か。

 まあ、アルファブロガーになりたいという人はいるとしても、ブロガー名人位を目指す人はそうはいないだろうからハードルが低いのは間違いない。


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初出公開: 2005年07月14日、 最終更新日: 2005年07月16日
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