Wikitravel:旅行者の役に立つコピーレフトなコンテンツ

著者: Evan Prodromou

日本語訳: yomoyomo


以下の文章は、Evan Prodromou による Wikitravel: Functional Copyleft Content for Travelers の日本語訳である。


コピーレフトなコンテンツの理念をけなす人たちがよく指摘するのが、ソフトウェア以外の表現だと、コピーレフトがソフトウェアと同じようには機能しないので、ソフトウェアと同じユーザメンテナンスの仕組みは必要ないということだ。ああまあ、ソフトウェアのドキュメンテーションは別としてね。でも、それって本当なんだろうか? ソフトウェア以外のどんな種類の情報でもうまくいかないのだろうか? Wikitravel などいかがだろう。

コピーレフトなコンテンツというのはつまり、フリーソフトウェアのモデルに倣った自由に再配布・編集可能なソフトウェア以外の情報のことだが、立ち上がりは多難なままである。コピーレフトなコンテンツ向けのライセンスはたくさん作成されており、Creative Commons プロジェクトも始められてはいるが、オープンなライセンスの元で利用できる文書、音楽、視覚芸術、映像の数は、決して目立つほどまでいたっていない。[原注]

このようにコピーレフトなコンテンツが不足しているのには、多くの原因が考えられる。まず、ソフトウェアと比べ、プロプライエタリなコンテンツを扱う独立系出版に、ソフトウェアの場合より大きなインフラが存在するというのがあるかもしれない。つまり、作り手の立場からすれば、フリーソフトウェアのモデルを採る必要性が薄いというわけだ。

また、プログラマがプログラムにつぎ込むのより、作家、音楽家、アーティストのほうが自身の作品につぎ込む感情的な投資が大きいというのもあるかもしれない――間違いなく反例はあるだろうが。自分が創り出したものを、誰かがいじくりまわすのに耐えられるアーティストは少ない。そのアーティストが、自身と芸術が同義であるというところまで自分自身を深く投影している場合、それをいじるのは大変な個人に対する冒涜なのである。

最後のは、ソフトウェアでない情報特有の主観性かもしれない。大部分のプログラマは、自分が作ったソフトウェアのバグが修正されるのを喜ぶが、短編小説のオチを「手直し」されるのを目の当たりにして喜ぶ作家がどれくらいいるだろう? またあるプログラムがおかしな動作をしていると判断するのは(やや)簡単だけど、ある楽曲をどのように改良できるか判断する場合、誰の意見を尊重すればいいんだろう?

コピーレフトなコンテンツが少ない理由としてしばしば挙げられる、でも僕は党派的だと思うものに、大部分のコンテンツは役に立たないというのがある。エンドユーザは、ソフトウェアを改良するのと同じようには、コンテンツを改良する生理的欲求を感じないというわけだ。ユーザは、気に入らない曲を手直ししようと「痒いところをかく」必要などない。ただ肩をすくめて即座に次の曲への早送りボタンを押すだけである。

実際には――ソフトウェアのドキュメント以外にも――非常に役に立つ多様なコンテンツが存在する。参考資料の分野では、コピーレフトなコンテンツが、急速に広がりつつある。コピーレフトなコンテンツの参考資料を代表するのは、もちろん、フリーな百科事典 Wikipedia である。Wikipedia は、ウェブの読者なら誰でもどのページをも編集できる Wiki モデルを採用しており、数千人もの貢献者により共同で編集されている。

Wiki の開発モデルは、コピーレフトなコンテンツにあるもう一つの障壁を崩すのに役立つ。Wiki では、どちらかというとコンテンツを個人的に「所有」しにくい――これはそのように決められているというよりも、気分的にそうだということだ。しかし、一番重要なのは、参考資料だと創作やアートよりも主観的なところが少なくなることである。読者は、第一次世界大戦が11月の12日や10日でなく、11月の11日に終結したとはっきり言い切れる。成果が事実に基づくので、バグの存在がより明確になるわけだ。

しかしながら、本文の目的は、Wikipedia とは別のコピーレフトな参考資料である Wikitravel、並びにそれが扱う領域を解説することにある。Wikitravel は、フリーで(自由の方のフリー)、完成しており、最新情報が載った信頼できる世界規模のトラベルガイドである。僕は、旅行というものが、コピーレフトなコンテンツの支持者が発展させる準備の整った分野だと思うのだ。

昨年の冬、フィアンセと僕が東南アジアに旅行に行ったときに、Wikitravel の着想を得た。そのとき僕たちは、タイのある島にフェリーで深夜に到着し、ガイドブックに載ってある安くて古風なホテルを探すべく砂利道を歩き出した。重いリュックを背負って数マイル歩いた後、ホテルがある場所にたどり着いたのだけど――そこには、雑草から突き出たちっぽけなぼろ屋がほんのわずかあるだけだった。確かに以前にはそこにホテルがあったのかもしれないが、それは昔の話だった。

僕はガイドの誤りに腹が立ったし、もちろんその島にあるぼろい下宿屋のどれかに泊まるために船着場まで歩いて戻らなくてはならないのにも腹が立ったが、フィアンセのほうが僕よりずっと怒っていた。「これの一番ひどいことって何か分かる?」と彼女は聞いてきた。「こんな目にあうのが私たちだけじゃないってことよ。ガイドブックに最新の情報が載ってないものだから、数百人の――もしかしたら数千人もの――人たちが、これからもずっとこの空き地にやってくるんだもの。ガイドブックは来年も更新されないだろうから、ここに未だにホテルがあるという記述が問題になって確かめられるなんて望み薄だし。誰も私たちの失敗から学びようがないってわけ!」

トラベルガイドは、伽藍開発モデルの古典的な例といえる。少人数の編集スタッフが、一つの国、都市、地方に赴く一人ないし二人のライターと契約をする。そうしたライターは、新しいアトラクションなりを調べるのが主で、既に掲載されている情報を検証するのにはあまり時間を費やさない。そんなこと不可能なのだ――それをやっていたら、大抵の標準的な規模のガイドブックだと、作るのに何年もかかってしまう。かくして、何千人もの、いや何万人もの旅行者が、たった一握りのライターと編集者により提供される情報に頼るわけだ。

我々に必要なのは、トラベルガイドのバザールモデルだったのだ――つまりそれは、何万人もの旅行者が、レストランの批評、観光リスト、ホテルガイド、そして時刻表を追加、削除、拡張する手段である。こうした旅行者は、毎日ガイドに載っている情報の実態に気付いて――そしてそれを呪って!――いるんだ。だったら、どうしてついでにガイドを訂正しちゃいけないわけ?

僕には Wikipedia の経験があったので、当然コンテンツ整備を行うのに、Wiki にコピーレフトを組み合わせたモデルで解決できると思った。もちろんだけど僕達は休暇中だったので、しばらくは身が落ち着かなかったのだけど、一旦安定したところ――2003年7月にモントリオール――に戻ると、いくつか Wiki ソフトウェアをインストールし、実験を始めたんだ。

それはたちどころに評判を呼んだのだけど、それにはちゃんと訳があった。僕達は、1972年にケンブリッジで得ることができたのと同じ古典的なハッカー主義に近い文化に入り込んでいたのだ。独立心の強い旅行者は、多くの意味でハッカーによく似ているんだ。以下に挙げる、共通するニーズとモチベーションを持っているというわけ。

数ヶ月運営すると、Wikitravel には500以上もの場所のガイドが書き込まれ、毎日10から20もの新しいガイドが追記されている。どのガイドも、Creative Commons の Attribution-ShareAlike 1.0 ライセンスの元で利用可能である。そのライセンスは、Wikitravel に追加されたデータが、ウェブなりどこぞで見つけられる限りフリー(自由の方のフリー)であることを保証するコピーレフトなライセンスである。

我々は、Wikitravel がウェブで入手できるコピーレフトなコンテンツの世界に多大な寄与をしていると考えている。今年(訳注:2003年)の感謝祭の週末以降は、Wikitravel を情報源にするだけで初めての場所にも旅行に行けるようにするつもりである。あとは我々以外のインターネットユーザが、我々と同様に Wikitravel を有用なものだと思うかどうか様子を見るだけである。

[原注] パブリックドメインに入った作品をオープンコンテンツに含めないと、当然そういうことになる。ソニーボノ著作権保護期間延長法ができるまでは、パブリックドメインのコンテンツは、ものすごい勢いで増えていた。もちろん今だってちょぼちょぼとは増えているけれど、それって大概新しいものではない。


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初出公開: 2004年05月24日、 最終更新日: 2004年07月10日
著者: Evan Prodromou
日本語訳: yomoyomo (E-mail: ymgrtq at yamdas dot org)