From: 上野 To: yomoyomo Subject: 今更ながら「今更ながら宗教の話で何ですが」で何ですが Date: Tue, 26 Oct 1999 21:40:50 +0900 今晩は、上野です。 こう接近してメールをお送りするのも迷惑かとは思ったのですが、興味深かったので 失礼いたします。 ええと、逆立性、狂信性、非合理な求心力、、のくだりは、いわゆる近代的な思考が 『宗教』を記号化するのが今に始まった話ではないので別段何事のことも無いのです が、「元々オウムは仏教系であるが、、、原始キリスト教とどこが違うと言うのだろ うか」は少し意味不明ではないですか。(原始キリスト教に対する誤解はただの無知 なので棚上げするにしてもです) 「オウムは宗教ではない。ただの殺人者集団だ」との命題に論が始まって、「僕には オウム真理教が、極めて宗教らしい宗教に思える」と続き、原始キリスト教は(仏教 系と違って?)「狂信」的であり、マタイ伝を引いて宗教とは道徳性に狂信性を加味 したものであるとひとまず結論付ける。(「原始キリスト教と現世利益」懐かしいで すねえ、この命題。正しくは中世キリスト教ですよ) キリスト教に代表される選民思想は確かに宗教の一面なのに、そのことについては印 象付けただけで、話はなぜか教祖論に行ってしまい、宗教に必要なのは教祖ではなく 普遍性を持った方法論である。とまとめてしまう。(何故か最後の部分ではその役割 を教祖が負うものだと仮定していますが) 何やら記号化されただけの観念論で(残念ながら)良くわからなかったのですが、これ は「逆立」なのではないですか?宗教に対する思考の中で既に「原始キリスト教的な 結論」が先にあり(これが悲しいほどに皮相的な誤読なのですが)、宗教を括ってし まっている。(その割に仏教には心情的に寛容なように読めてしまいますが、、、こ れが僕の誤読でありますように!) 宗教に関して突き詰めて思考したことが無い様にも読めてしまいます。 誤読そのものは好きでして、yomoyomoさんも「村上なんとかが、、、オウム信者が結 構良い奴であることに驚いたらしい」と意図的な誤読をしてらっしゃいますが、なん と言うのか技術としての誤読と言うのは面白いし評価できると思っています。もし仮 に意図的でないとしたらあーだこーだ言う問題じゃないですし。 この回のコラムで辛いなと思ったのは思考の不徹底に関してです。マルクスから宗教 を語る気持ちは解りますが、その後に展開された数多くの魅力的な宗教論(ホカー ト、エリアーデ、レヴィ・ストロース、佐々木宏幹、つい先日おなくなりになった中 村元等など)を何も読んでいない事が見て取れますし、雰囲気だけで論じているので 細かな間違いも目立ちます。突き詰めていない思考の甘さは論の展開の浅薄さに繋が るのではないでしょうか。 宗教を語ると言うのは難しいことです。宗教論なんて物は好きな人が読めば良いもの ですし、それを知らなくては宗教を語れないと言うものではありません。宗教につい て考えていないことが罪だと言うわけでもありません。 しかし宗教を語ることの難しさを感覚的に捕らえることができなかったのなら、流行 り物だからといって手を出さないでほしかったと言うのが正直なところです。 一読者の感想として。 このメールの公表、解体、批評はご自由に。 補遺 キリスト教徒でも宗教家でもありません。