やゆよ記念財団 --はなげと嘘とチェーンメール--


 電子メールを日常的に使うとなると、spam やデマメール、チェーンメールといった副産物を呼び寄せてしまう。これはいかんともしがたい。数年前 PENPAL GREETINGS! ネタ[註1]が INTERNET Watch に載っているのを見て、こんなのに反応してしまう馬鹿もいるのか、と思っていた矢先、チームの同僚からそのまんまのメールが来て苦笑したことがあった。

 しかし、かくいう僕もチェーンメールに荷担したことが一度ある。96年の夏だったが、同期から「幸福のメール」というのがまわって来て、(一部のネタの)余りの面白さに職場で一人で笑ってるのもなんなんで、大学時代の友人数人に転送してあげたことがあった。その一人からまもなくチェーンメールについての非常に厳しい指摘があった[註2]。その時は楽しい気分に水を差されたようでむっとしてしまったが、残念ながら先方の言い分がこの場合正しい。

 でもこれは僕にとってはよかったと思う。一度はっきり怒られないと、自分が悪いことを自覚せず、同じ過ちを犯してしまうというのはそう珍しいことではないからだ。


 チェーンメールであることを自覚して転送する輩もいるだろうが、大抵は数年前の僕のように、内容の面白さに思わず他の人間に教えたくなって、という感じだろう。もしくはそのメールの真実性。98年一部で出回った富士通に関するデマメールなどはその典型だろう。あれも少しでもコンピュータについて知る人間なら杜撰極まりない内容であることは分かるが、同時にデマのやり玉になったのが富士通だというのが反面納得できる気もするのだ。

 さて、98年末会社の同期のメーリングリストに、一通のメールが流された。内容は「痛みの単位としてのハナゲ」についての文章である。例によって送信者はチェーンメールについての認識が欠如しているようだった。以前別の同期から「どらえもんの最終回」が流されたときも注意しようかとも思ったが、以前の僕のようにむっとしながらも納得するかどうか顔の見えないメディアでは測りがたく、リアクションは取らなかった。但し今回は違う。ネタ元を僕は知っているのだ。それが「やゆよ記念財団」である・・・とネタ振りが長すぎましたね。


 メーリングリストには、「ハナゲ」ネタがやゆよさんが作者であること、「やゆよ記念財団」の URL、そしてチェーンメールには気を付けようねという控えめな指摘を書いてメールを返信しておいたが、確かにこれをばらまきたかった気持ちも分からんでもない。だって真剣に面白いんだもの。

 僕がやゆよ記念財団を知ったのは97年のことで、Yahoo Japan! の Cool! 指定を受けて間もなかったと思う[註3]。とにかく面白かった。バックナンバーを職場で読みながら声を押し殺しても表情に浮かぶ笑みを噛み殺しながら読み耽ったものだ。

 日本人が作ったジョークサイトが余りなかった頃だったから、というのもあるが、シンプルで落ち着いた構成がまず好感が持てたし、何より新聞記事のような真面目さを装った文体が魅力的だった。その中でも件の「痛みの単位としてのハナゲ」は五指に入る名作である。但しこれは財団設立(?)間もない頃のものであり、何で今ごろこれがチェーンメールになるのかな、と不思議にも思った。


 年が明け、99年初めてやゆよ記念財団にアクセスしたところ、「はなげ問題について」というコーナーが出来ていた。件のチェーンメールはかなりの範囲で伝播していたらしい。

 筆者がチェーンメールを受信したときは気が付かなかったのだが、微妙な点でネタに改変が加えられていた。やゆよさんはこれを何よりも気にされていた。自分の表現に対しプライドを持つ人間なら当然だろう。それが作者の知らないところで不特定多数の人間に回覧されたのだから尚更である。

 しかし当方が非常に感心したのは、改変されチェーンメールと化した自分の作品について本質を見失わず、冷静かつユーモアを交えて対応するやゆよさんの姿勢だった。ジョークサイトの作者に対して「ユーモアがある」とはかえって馬鹿にしているようだが、結構こういう時に本性が現れたりするんだよね。ヒステリックに当たり散らす人間もいたりするから。

 しかもそこにはやゆよさんの屈指のネタである「痛みの単位としてのハナゲ」の感動的な(!)成立過程、さりげなく添えられたジョークなど、98年後半のネタに不満を募らせることが多かった筆者は、「やゆよさん、完全復活!」と喝采したい気分だった。またその後、やゆよさんのもとに「ハナゲ」ネタに触発された新ネタが届けられるにいたって、チェーンメールがきっかけとなって「表現」が生まれることもあるのか、と痛快な気分になったものだ。


 が、問題はそこでは終わらなかった。チェーンメールを受け取り、それを半ば事実と思い込んだ人(以下N氏)が、やゆよさんに対し、結果責任の認識が足らない、あさはかだ、と非難した[註4]メールが届き、僕自身久方ぶりにやゆよさんにメールを差し上げた。上記部分と重複するところを除くと以下のようになる。

 メディア自体に意志(善意、悪意)は存在せず、意志を持つのは飽くまでメディアを利用する人間で、その人間性や能力がメディアにより拡張されるのだ。しかし、メディアによりその拡張のされ方が異なる[註5]。同じ電網世界においても、Web、ニュースグループ、1対1の電子メール、不特定多数の間を巡るチェーンメールではその拡張のされ方も異なるのである。はっきりいって別の文脈(メディア)でどう扱われるかを予め考えて表現できる人間などいない。


 しかしN氏は、表現者は「結果責任」を負うべきだと考える。PL法なんかを例に挙げているが、その考えの行き着く先は、「電子レンジに猫を入れていけないと書いてなかったから、濡れた猫を電子レンジに入れて暖めようとして殺してしまったのはメーカーの責任」という認識あたりまでいくだろう。

 これは実は大袈裟な話でもなんでもない。日本の Linux 情報ページには、「福岡県からアクセスされる方へ」という注意事項が存在した。 福岡県青少年健全育成条例は、「貴方のホームページからリンクをたどっていって、いつか青少年健全育成に有害な内容にたどりつくようなら、その貴方のホームページは有害なのである」という支離滅裂な結論に現実に行き着いているのだ。

 そしてその「結果責任」を考慮して Web ページを作るとしよう。当然ながら自らの表現の権利の保証について厳密に定めた copyright.html を記述する義務があるだろう。僕はもう青少年ではないが条例は遵守しなければならない。すると必然として YAMDAS Project から他のサイトへのリンクなんてもってのほかだ。リンクを全て外さなければならないし、悪用されないよう YAMDAS Project へのリンクも全て拒否しよう・・・でも誰がそこまでして Web ページを作るだろうか。もうそれは HyperText なんかではなくなってしまう。たまに「許可を得ないリンクを禁止します」なんて戯言を書いている Web ページがあるが、僕はそうしたサイトにはリンクどころか二度と来訪したくもないもの。


 99年に入り、「インターネットを使った犯罪」とやらがメディアを賑わしている。神戸の少年事件の際、プロバイダに圧力かけて Web サイトを潰した朝日新聞をはじめとして、既存のメディアの電網世界に対する恐怖心は相当なようだ。少し前筑紫哲也の「ニュース23」で田原総一郎と筑紫哲也がこの手の話題で対談をやっていたが、やたら恐怖心を煽る筑紫哲也を、田原総一郎が一つ一つ正論で叩き潰していく様が痛快だった。これを見ても、インターネットに対する恐怖というのが無知に依るものが大きいのは分かる。しかし、著作権保護や安全性保護などは電網世界が実際に抱える問題なのは間違いない。

 しかし、既存のメディアのレベルで問題を押え込むのは不可能、というのが筆者の個人的な意見である。逆に言えば、そうした価値観、情報ルールを破壊・解体してしまうのが電網社会特有の人間性の拡張の仕方なのだと思う。それは確かにこれまで一部の特権階級が独占していた情報資産の解体を行った。が、同時に我々のような一市民の情報も同様に解体してしまう。これは恐ろしいことだが、もう後戻りはできない。


 結局のところ、電網社会に関わる人間がそれぞれ行動に責任を持たなければならない、という面白くも何ともない結論にたどり着く。N氏は、やゆよさんのあたかも新聞記事のように嘘を書く文体も非難しているが、何を大袈裟な。情報の質の問題だろう。たかが「痛みの単位としてのハナゲ」である。それが真実/虚偽であることを錯誤して、誰が被害を被るのだろう。N氏は、やゆよさんをあさはかだ、反省しろ、と非難する前に、当事者でもないくせに自分のあさはかさのみをのうのうと拡張させた自身のあさはかさを顧みるべきなのだ。

 インターネット=暗黒世界と決め付ける人間は愚かだ。無知が徒に恐怖を煽り差別を助長する構造と同根である。しかし、「インターネットは善意から出発したメディアだ。大多数は善良で、インターネットは真の自由を実現する仮想世界だ」なんていう言説は尚更馬鹿である。大体なんなんだ善意、善良って。いつから人間の道徳倫理はそんな単純になったのさ。


 「ハナゲ問題」がテレビにまで取り上げられ[註6]、結局のところ、騒動にやゆよさんが振り回された感があるが、当方の長文のメールに対しても非常にウィットに富んだ返信をいただき、一層やゆよさんの見識に唸らされた。「ネタは一通りやり尽くした感がある」と書かれていたが、今回の騒動がきっと一つのブーストになるに違いなく、それを更なる嘘文化の発展につなげてくれる筈だ。期待してますよ、やゆよさん!

 さて、最後に余談を書いておくと、当方は yomoyomo というハンドル名を使用しているが、この名前を「やゆよ記念財団」のどこかで見つけることができる。実は昨年から半ば勝手に当方が掲示板の書き込みなどでこの名前を使用してきた。99年に入り、Web サイト立ち上げを決意した際に yomoyomo を使いたいとやゆよさんに申し出、快諾していただいた。その点においても筆者はやゆよさんに感謝しなければならない。やゆよさんありがとうございました。お互いがんばりましょう・・・と同じ目線で書けるようになるまでになりたいもんだなあ。


[註1] そういう題名のメールを読んだらコンピュータウィルスに感染しますよ、このことを多くの人に知らせてください、というデマ&チェーンメール。平文のメールを読んだだけで感染するウィルスは原則として存在しない。同種のものに「Good Times」「JOIN THE CREW」がある。そうしたものを集積したページも、筆者が仕事上の質問メールで困らせた坂根昌一さんがまとめたページをはじめとして複数存在する。

[註2] 実はこの友人、三回も別々のところから同様のメールが届いたらしい。自分からは誰にも出していないのに。それは腹も立つわな。

[註3] 現在は Cool 指定を外されているようである。一体何なのだろう。

[註4] 本来ならこれは「やゆよ記念財団」の「はなげ問題」コーナーを見ていただくのがよいのだろうが、このコーナーが99年2月中旬に削除されたので、筆者の下手な要約で勘弁願いたい。

[註5] マクルーハンのメディア論も乱暴にまとめるとこうなる。マクルーハンについては興味はあるが、僕自身考えがまとまってない。「ホット/クールなメディア」という非常に強力便利ではあるが、その実よく分かんない定義に足をからめとられた部分もあるように思う。

[註6] TBS の深夜番組で取り上げられたときは椅子から転げ落ちそうになった。しかもそこに元ネタの「やゆよ記念財団」が取り上げられないなんてひどい! あと、3月23日の朝日新聞夕刊の「偏西風」というエッセイに「ハナゲ」が取り上げられた。テレビで既にフジやTBS、新聞でも読売に先を越されて大分経ってから、しかも元ネタのソースを全く記すことなく、あたかも同僚が作ったかのような書き方をしている。記者として恥ずかしくないのだろうか。そうした馬鹿どもが正義の味方面するのが朝日新聞の体質なのだろう。


[後記]:
 やゆよ記念財団には、当サイトを初めてリンクしていただいた。大変光栄だし、このご恩は忘れない。でも今考えると、嘘界における皇帝であるやゆよ帝からハンドル名を襲名(とはいわんな。勝手に名乗ったのだから)した人間なんてワタシぐらいのものではないか。これはすごいことではないだろうか


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初出公開: 1999年02月13日、 最終更新日: 2000年05月22日
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