無茶苦茶な作品である。
楳図かずおの今のところ(という但し書きは必要ないのかもしれないが)最後の長編にして、彼の作品としては最長のものである。竹熊健太郎は「漂流教室」の続編的作品と位置付けているが、僕はむしろ、構成などに「わたしは真悟」との類縁を強く感じる。つまり「14歳」は彼のキャリアの集大成といえる作品なのだ。
…なのだが、ディテールに関していえばもはや笑うしかないレベルである。子どもを主人公に据えた作品なら目立たなかったその老大家らしいズレも、本作のように作品世界の枠組が大きくなると隠しようがない。このディテールの陳腐さは、本作の救いがたい欠点になっているし、それ以外にも腹立たしいくらいくだらない設定(人間が死ぬと本性が現れるようになるなど)やありがちな展開を特に考えることなくそのまま持ってきた設定(人造人間の人類への反乱)も散見される。それに過去の作品にだって結構破綻はあったけど、本作は特にそうした矛盾が多いぞ。
しかし一方で、そうした欠点を補うだけの作品世界を楳図かずおが構築しているのも確かである。本作におけるチキン・ジョージというキャラクターの創造は見事としか言いようがない。考えてみれば「わたしは真悟」の意識を持つロボット、本作における突然変異により誕生した生命体、もしくは滅亡する地球といった題材は、それ自体は目新しいものではなく、むしろそれまでにも小説でもマンガでも嫌というほど既に取り上げられてきたものなのだが、楳図はそこから我々読み手の予定調和を突き崩す作品を作り出してくる。殺人プロレスに続くセックスシーンに総理大臣の呼びかけが重なる場面など読んでみても、一体どうやってこうした展開を考え付くのかと思うのだが、それこそが彼の天才たる所以だろう。竹熊健太郎が『人間が「想像すること」の恐ろしさと素晴らしさに、これほど固執している作家を私は知らない』と書くのはそういうことではないか。
また彼は我々が卑近に感じている恐怖も実は取りこんできたのだが、本作も例外ではない。それは例えば「わたしは真悟」における孤立し、嫌われる日本であるし、「漂流教室」でいえば公害問題であるし、本作でいえばそれから一歩進んだバイオハザード、そしてメディアによる情報操作である。また「14歳」というタイトルから例えば神戸の事件に代表される少年犯罪を連想する人もいるだろう。そうしたところでも天才的な直感を感じるが、ただ本作をそうした事件にそのまま結びつけるのは絶対無理があると思う(ので僕はしない)。
楳図かずおは一般にホラーマンガの第一人者として知られている。もちろんその通りなのだが、「イアラ」や「漂流教室」や「わたしは真悟」といった彼の代表作をすべて単純にホラーマンガと呼ぶことはできない。ただ本作は、作者自身「100%ホラー」と評した「神の左手悪魔の右手」(これの第一作「錆びたハサミ」はとんでもない傑作)を経ているからだろうか、ストーリーから受ける印象は上に挙げた過去の代表作よりも、サスペンスよりはホラーに倒れている。また本作では楳図マンガとしては考えられないほど直接的なセックス描写が何度も登場するが、その描き方は収奪的で無機的である。作品全体から受ける印象も冷たいが、「わたしは真悟」にあったような冷酷な美学には結実されていないのは残念である。
ただ「14歳」には地球の、そして宇宙の終わりを描ききったという別の成果がある。これまで挙げてきた隠しようもない欠点がありながらも、そして最後にも登場するきよらの説明的な台詞に半ばぶち壊しにされながらも描かれる「宇宙の終わり」の先にあるもの、そして前半に宣言される「本当の友達」という言葉を反芻せずにはおれないチキン・ジョージの最後のカットを目の当たりにすると、これで良かった、これで十分ではないかと感慨深くなる。