一般レベルでは、羽生善治、佐藤康光、森内俊之に代表される「羽生世代」が将棋界において新しい地平を切り開いたという認識になっているのだろうが、実際には羽生世代の一つ前の世代である「55年組」がそれまでの棋士達と一線を画した存在であった(この呼び名は、彼らが昭和55年にプロ四段になったことからきている)。それまでの将棋と人生を一体化して考えるような将棋観と異なる両者に線を引いたデジタル志向、データ重視主義は旧世代を大いに戸惑わせ、時に苛立たせた。
一時は名人位を除くタイトルをほぼ独占して「花の55年組」と呼ばれた彼らだったが、その後すぐさま羽生世代に追い抜かれ現在に至っている。彼らは感覚こそ新しかったものの、結局羽生世代に比べれば才能が劣っていたということだ。
年齢的には羽生世代よりもさらに下になるものの気質的には思いっきり旧世代の当方としては、55年組の飛躍のない指し方を苦々しく見ていたのだが、その中で唯一本書の著者である島朗には、極めて55年組的なメンタリティーと同時にそこに留まらないユニークさを感じ、ずっと気になっていた。
そして(2002年)現在、他の55年組メンバーがだらしなく低迷する中で、一流棋士の証明であるA級に在籍しているのは島だけになっている。
その島が上に挙げた三人に加え、森下卓、先崎学、郷田真隆といった羽生世代の将棋と生活について書き記したのが本書である。彼がその役割を果たすのに適任であるのは間違いない。それは島の世代が羽生世代の先駆であったから、というだけではなく、まだ奨励会(将棋プロの養成所)にいた頃から羽生世代にしっかりと目をつけ、森内、佐藤、そして羽生と現在の研究会隆盛のはじまりとなった島研を主催していた「兄貴分」であるからだ。
少し前の「将棋世界」誌に(森内名人誕生に合わせて)その島研の四人による回顧対談が掲載されていたが、当時棋聖のタイトルホルダーだった田中寅彦が「俺も入れてくれ」と申し出たところ、「レベルの違う人はどうも…」と島に断られたといった逸話に事欠かない(もちろんこれは棋士好みの作り話であり、島はそんな常識のない人間ではない。しかし一方で、島にはそうしたことをしれっと言いそうな雰囲気がある)。
そしてその本書だが、期待に違わず羽生世代の生き方というものをしっかりと描いてくれている。旧世代の優秀な語り部であった河口俊彦がただの小言爺と化した現在、将棋界のスポークスマンとしての島の役割は大きいと思う。
島の文章の特徴として、「お前その場にいて見てたんかい!」とツッコミたくなるようなディテール描写があるのだが、それは暴露を目的としたものではなく、本書の主人公達の生活と思考を適切に表現するのに欠かせないし、むしろ自分が「目撃」したものだけをネタにしてあれこれ理屈やら解釈を加える手法より清清しいものを感じる。もちろん当事者にリサーチはしているのだろうが、やはりこういう風にディテールを書かれ、内面描写をされると、書かれた人達も面食らって苦笑するのではないか。書くのが島だから許しているところもあるのだろう。
上で島のことを羽生世代の「兄貴分」と書いたが、彼は先輩風をふかすことはしないようだし、派閥を作ったり徒党を組むようなこともしない。その理由と棋士同士の付き合い方については本書の最初のほうでも述べられているが、そうした適度な距離感を保っているからこそこれだけのものが書けるのだろう。個人的には例えば羽生が名人挑戦者になる直前に起こした上座騒動などについて書いてほしかったが、それは無理な注文というものか。
そうして活写される棋士像であるが、あまりにも爽やか過ぎる、きれいに書き過ぎではないかと思われる向きもあるだろう。もちろん棋士が棋士について書くのだからそうしたところも確実にあるだろう。しかし将棋界について一応知識のある当方から見ても、本書で書かれる棋士像は過度に美化されたものではなく、羽生なら、佐藤なら、森下なら本当にこういうことを考え、行動しているのだろうなと納得させられたのも確かである。
旧世代の棋士のように自らの闘志を露にして戦うことがないだけに、外側から見ているとややもすれば没個性的でおとなしいだけの優等生エリートにも見えた彼らが、切磋琢磨しながら勝負哲学、人生哲学を確立していく姿を読むことができるのは気持ちが良かった。また本書では、羽生がプロデビュー後勝ちまくりながらも自らの将棋を変化させていったことが書かれているのも興味深かった。
そしてやはり本書を読んでも痛感するのが羽生善治という人のいろんな意味での大きさである。森下、森内、佐藤といった人達にとって、羽生は同世代の仲間でありライバルでもあるわけだが、その存在が大きな壁であり脅威であることが、ある意味羽生世代の他の棋士の支えとなり、その前の55年組のような衰退を許さなかった原因になっているのが分かる。森内が名人位を獲得し、佐藤が二冠王となったのは、本書でも繰りかえし書かれる「羽生には勝てないんじゃないか」という意識を彼らなりに克服した結果なのは間違いない。そうした意味で、将棋ファンとしては、森下卓さん、あとはあなただけですよと言わずにおれないわけである。