ロック三大ギタリスト、と言っても若いロックファンにはピンと来ないのだろうか。もしくは知識として知ってはいても、だからどうした? という感じか。それでも、エリック・クラプトン、ジミー・ペイジ、そしてジェフ・ベックの三人が成し遂げた偉業というのはロック史に燦然と輝くものである。
商業的な成功、という点ではジミー・ペイジだろうか。70年代最大のロックバンドだったレッド・ツェッペリンのカタログは、未だに総計年百万枚単位で売れ続けている。Zep 以後の彼が残骸としての仕事しかしてないとしても、孫に渡す小遣いに困ることはまずない。
ギタリストとしての総合的な技量、という尺度ではやはりクラプトンだろう。個人的には彼のことをブルーズの求道者、などと賞賛してある文章をみると脱糞したくなるくらい彼のことをアーティストして全く評価してないのだが、白人ギタリストしての長年にわたる安定度、というのでは群を抜いている。
しかし! 作品の、そしてギタリストとしての将来的な評価、生命力というのを考えると、僕はジェフ・ベックが一番だと思う。まあ、一番好きなのは未だにジミーなんだけどさ・・・
残念なことに三大ギタリストの中で商業的成功を尺度にした場合見劣りするのがジェフ・ベックで、彼は三大ギタリストが在籍したことで知られるヤードバーズを商業的成功に導いているが、それも60年代の話だし、それ以降となるとロッド・スチュアート、ロン・ウッドを擁した第一期ジェフ・ベック・グループにしろ、70年代中盤以降のソロインスト作にしろ、それなりの商業的成功を収めているが、他二人のレベルには程遠い。
インタビューを読んでもすごくいい人みたいなのだが、困ったことに組織運営者としての力量が欠如しているようで、「アルバム二枚でバンドぶっ潰してしまう病」などと揶揄されたものだ。それに嫌気がさしたか70年代中盤以降はフュージョンの先駆けともなった「Blow By Blow」(昔は、ギター殺人者の凱旋、とかいったとんでもない邦題がついていた)などでソロで健在振りを示すが、どうも趣味性に絡めとられた感があったし、リリース間隔も長くなった。何しろ新作「Who Else!」は10年振りのソロ作だったのだから。
そして、10年振りの来日公演である。前回の来日公演は見てないし、年齢的なこと(そして作品のリリース間隔!)を考えると、今回が「現役ギタリスト」としての彼を見る最後のチャンスであることは覚悟していた。
ライブが始まる前は期待よりも不安の方が大きかった。新作はテクノも取り入れたソリッドな作品だったが、前作「Guitar Shop」の方がリズム的に多彩な分上であるように思ったし、ツアーから遠ざかって長いのだからライブとしての整合性を求める方が酷かもしれない。(しつこいが)ジミー・ペイジの残骸同然のプレーを映像として見てしまった以上、超人ベックの指が動かんでも責めるのはよそう・・・と期待値を下げて僕は友人と会場に向った。
やはりというべきか、客の年齢層は幅広かった。我々の二列先に禿げオヤジ二人が座ったときには暗澹たる気分にもなったが、そう遠くないうちに僕もああなるのだ。ベックも50代中盤、一般社会に当てはめれば働き盛りを過ぎ、定年以後の生活を意識すべきかな、と思う間もなく会社の業績悪化で早期退職を強要され、子供たちも独立した家では妻に疎まれ居場所がなく、老後の楽しみとなる趣味もなく、会社を離れると友達もいない。最近どうも背中が痛いと病院に行くと・・・えーと、僕は何の話を書いてるんだっけ。
完全に人の埋まった会場には軽めのテクノもどきの音が流れている。ひょっとして彼は現在テクノにはまっているのだろうか、とぼんやり考えているうちに客電が落ちた。僕は思わず立ち上がり、「ベックせんせーーい!」と意味不明の雄叫びを上げていた。
何なのだ、このカッコ良さは! ライブの間中僕はベック先生に釘づけだった。この年齢になっても全く太ることなく、「ロック史中の人物」的な重々しさを感じさせずギターを弾きまくる姿は美しかった。指が動くかどうかなんて杞憂で、そんなレベルではなかった。心配していたピッキングも安定していたし。
ギターインストなんて前時代的スタイルだろう。いくらテクノを取り入れたと言っても、時代におもねったものでない代わりに、最先端を走るものでもない(ライブでの打ち込みはちょっといただけなかった)。それならどうしてこんなに彼の姿がかっこよく、放たれる音が力強く清々しいのか。
ベックがポーズを決めるたびに一々盛り上がってしまったが、このかっちょよさこそがロックの魅力そのものであることを再確認させられた。無様なものがロックなものか。確信のないものがロックなものか。
考えてみればジェフ・ベックのブルースロック -> ハードロック -> ソウル -> クロスオーバーときて現在に至る音楽的変遷は結果的に時代時代のツボをおさえたものだったが、それは彼の流行感覚でも前衛意識でもなく、極私的な「このスタイルが一番燃える!」というギタリストとしての動物的確信から獲得されたもので、近作でのハウスやテクノの導入にしても、要はこの音こそが最も現在活気があり、ギタリストとしてのベックを燃えさせるものだからに違いない。
だから同時に「ストレイ・キャッツのようなエネルギーをぶちこんだロカビリーをやりたい」「グレゴリオ聖歌は勉強になった」などと妙な趣味性に流れてしまう危険性が彼の場合常にある。プロデュースに客観的な視点(「Who Else!」の場合、付き合いの長いトニー・ハイマス)があると、何とかそれがマーケットに向き合った音になる。
ただそのために十年待たされるのはたまらない。忘れた頃に他人の作品でゲストとしてやたら気合の入ったプレイを数曲やったりしてファンを激怒させるのもこの人の悪癖だが、これも他人の方がベックのギタリストとしての商品性を客観視できているからだろう。
ライブに話を戻すと、新作のほぼ全曲が演奏され、アンコールの二曲も含め計三曲が前作からで、ビートルズの "A Day In The Life"(!)のカバーを挟みながらも、所謂往年の名曲は、「哀しみの恋人達」「蒼い風」などほんのわずかだった。
こうした選曲は、現役感覚を確かめられるかわりに、逆にベテランミュージシャンとしての商品性に対する配慮の欠如などと言われることもあるのだが、ベックの場合、新作の音こそが彼を最も燃えさせるのだからその心配はない。というか、CDを聴いたときにはそれほど感心しなかった曲も、この日の全編ハードロックともいうべきスタイルで統一されて演奏されると、正直シビレさせられた。
ただ個人的には、絶対演らないだろうと思っていた「哀しみの恋人達」のイントロを聴いた瞬間、絶叫して涙が込み上げてしまったんだけど・・・オヤジだ。
終演後、よかったよかったと友人と言い合いながら会場を後にしようとすると、友人は英会話の先生、僕は同じビルで働く先輩と偶会した。色んな人が同じ時間を共有したのだが、恐らくは皆の思いは満たされた筈だ。
極めてロック的な天才ベックの堂々たる帰還・・・本当に彼は彼以外の誰だって言うんだよ! 彼の他に誰がいるって言うんだよ!
[後記]:
結局99年に行ったライブはこれ一本・・・悲しい。