生きていれば、不思議なことが起こるのを見れるものだ。
ウェブサイトを始めて約4年半にして、Yahoo! JAPAN に登録されたのである。昔からの当サイトの読者の方々ならご存知だろうが、ワタシは「Yahoo! JAPAN -- 俺はあんたらを愛し、憎む --」という文章を書いており、これは三度 Yahoo! JAPAN への登録を試み、受け入れられなかったことがメインのネタになっている。しかし、それを書いたのだっておよそ二年半も前の話である。その後、Yahoo! JAPAN に登録申請をしたことはない。
その文章では「頼まれたって登録してやるかという心境に至った」ことを書いた後、「まあ、向こうから頼みにくることなんて100年待ってもないでしょうが」とフォローを入れているのだが、それが現実になったのである。
当然ながら Yahoo! JAPAN が頼みにくるわけはなく、正確には当サイトをディレクトリを登録したことを簡潔に事後通知するメールが Yahoo! JAPAN Surfer Team から届いただけである。
しかし、そのメールには重要な情報が欠けていた。それは当サイトがどのディレクトリに登録されたのかということだ。この文章を書くために Yahoo! JAPAN で確認して、ワタシは思わず深いため息をついた。「ウェブログ」だったからだ。
そっち関係の話はもう辟易しているので、ま た ウ ェ ブ ロ か よ と思ったのは確かだが、一方で愉快に思うところもあった。それは何も blog の推進と発展を目的として設立された協会が入ってないがこれは一体どうしたことだ、重大な手抜かりですよ! ということではまったくなく、Rebecca Blood の『ウェブログ・ハンドブック』に、ワタシの状況と符合する文章があったからだ。
私はRebecca's Pocketをこれまで少なくとも三度はYahoo!に登録したんだけど、ついぞ私のサイトを載せてくれない。私はちゃんとYahoo!の指示に従ったし、私のサイトよりずっと若いウェブログがたくさん掲載されているというのに。Yahoo!は私のサイトをリストにもう加えてはくれないのだろう。何故? 誰か分かる? 思うに、私の外見がお気に召さないのかしら。Yahoo!の登録なんて、まったく問題じゃないんだけどね。うちのトラフィックはYahoo!に登録してもらわなくたって増え続けているし、あなたのウェブログだってきっとそうよ。
ウェブロに限らず、個人サイトの作者なら心当たりのある方も多いのではないだろうか。後半の開き直りというか、スネ方が微笑ましい。しかし、これには続きがある。この部分に注釈がついているのだ。
バカげた運命の悪戯で、本章を書いた三日後に、Rebecca's PocketはようやくYahoo!のディレクトリに追加された。私は決して彼らを許せないかもしれないけどね。ところで、私のウェブログはYahoo!のディレクトリからは月に約3件のヒットしかないことをお知らせしておこう(とどのつまり、私は「R」に分類されたに過ぎない)。気を揉む価値などありゃしない。
まったく、人生にはこのバカげた運命の悪戯がつきものなのだが、彼女の当惑とバツの悪さ、そしてやはり拗ねているところが伝わるのが可愛らしいぞ、レベッカたん。
しかし、である。彼女の文章には、「拗ねている」とばかりも言えないポイントが含まれている。それは、もはや Yahoo! のディレクトリに登録されることにほとんど意味はないということだ。ワタシとしても、三年前に登録されていれば嬉しかったろうがねえ、というのが正直なところである。
思えば YAMDAS Project が Yahoo! JAPAN に過去登録されなかった原因に、このサイトが特定の話題に焦点を絞ったものでなかったことがあるだろう。これは凡人が「人気サイト」とやらを作りたい場合にやってはいけないことの一つだと思う。しかし、一方でその緩さがあったからこそこのサイトは四年以上も続いてきたのは間違いない。
YAMDAS Project に、他のサイトと際立っているところがあるかといえば…ないだろう。それでもこのサイトの特徴をあえて一つ挙げるとするなら、このサイトがどのコミュニティにも属してこなかったことがある。「どこにも属していない」などと書くと、一匹狼みたいでヒロイックだが、実際のところはそうしたかっこいいところはまったくなく、単に自分にとっての拠り所、基盤を持てなかったというだけの話である。
何度も書くように、ちょっとシリアスで笑える雑文サイト(バカ)を目指してサイトを作り始めたが、そうはならなかった。コンテンツとしては、Technical Knockout にあるものが最も認知度が高いのだろうが、技術系と言われこそすれ、何かエキスパートとして認知されている分野があるわけではない。最近では『Wiki Way』を訳した流れから blog 関係に首を突っ込んでいるが、書けば書くほど一部の人間の恨みを買い、日本ブログ協会様に名指しで敵指定される始末である。
先日数名の方と楽しく飲む機会があったのだが、そこでも少し話題に上ったのは、例えばワタシの名前が @random/1st のプログラムの中にあったり、ワタシの訳文が JF に収録されていることの違和感であった。それは僕自身ずっと感じてきたことである。以前は正直そうした状況にフラストレーションを感じたのだが、ようやくそれを受け入れることができたようだ。
当事者として書いている文章もあるが、自分と対象との間に距離がある題材を選ぶということ、それは悪いことばかりではない。コミュニティの外部からの視点を持った文章を書くというのが自分にできることの一つなのかもしれない。
元々馴れ合いは大嫌いなのだから、別にコミュニティに属する云々は自分にとって優先事項にはならない。結局のところ、一人で書くという本質は何も変わりはしないのだ。
当然ながら、翻訳をはじめとして、ワタシは様々な方々に助けられてきた。それは yomoyomo というどこの骨とも知れない人間を、そのサイトのコンテンツのみから判断し、信用してくれた方々である。ワタシだってこれまでそうしてきたわけである。そのつながりだけで十分だったわけである。
しかし、一方でいつまで自分はウェブサイトを続けるのかなと思うのも確かだ。こういうことを考えるとき、自分のメンタリティが雑文系のそれなのだなと痛感するわけだが、どういう風に自分のサイトの幕引きをしたものかとときどき考えるのである。
サイトを止めたい、というのはこれまでもたびたび書いてきたことであり、それについては友人から注意されたこともある。確かにこうした話題を何度も書くのは何より無様だし、何度も書いていては狼少年に見られても仕方ない。それに、第一ワタシはもう少年という歳じゃないのだ! 個人サイトにおけるロバート・スミスとでも呼んでください。
継続の効用、という言葉を上に書いたが、もう一つ挙げるなら、大体どうやればウェブサイトを継続できるか大体要領が掴めるというのがある。しかし、これはただ続ければ良いというものでもないのだ。
「個人サイト4年寿命説」が言われたりするが、最近の当方の文章のテンパリ方は、死に急いでいるというか、サイト自殺願望のようなものがあったのかもしれない。
正直それを無理に自制するつもりがない代わりに、ウェブサイトへの執着・未練が自分の中に残っているのも確かである。そうした不確かさのままに続いていくのだろう。ワタシ自身、その不確かさがあるのを好ましく思う。しかし、必ず終わるのだ。ワタシが望む形かどうかは別として。
サイト作者が変化するように、サイト自体も変わっていく。それでも上に書いてきたような、大げさに書くなら一種の倫理観は基本的に変わっていないし、これから変えるつもりもない。それはどういう文章が YAMDAS Project に公開されるべきか/公開されないべきかという審美眼にも直結している。
但し、その審美眼は、いろいろ厳しい制限(と自分では思っている)がある一方で、オナニーしたらスペルマに血が混じっていて死ぬほどびびったという話も許可してしまう甚だ心もとないものでもあったりするのだが。