ネット×ジャーナリズムの歴史とその最新潮流としてのデータジャーナリズム

インターネットの国内外の動向に明るいyomoyomoさんが、データジャーナリズムについて解説した記事です。いま注目を集めるデータジャーナリズムの潮流と背景をぜひご確認ください。

最近、翻訳にちょこっと携わっている『The Data Journalism Handbook』(公式サイト)を取り上げ、ようやく日本でも注目され出しているデータジャーナリズムの話をしようと思います。しかし、その前にインターネットとジャーナリズムの関わりの歴史をおさらいさせてください。

ネットとジャーナリズムとの兼ね合い、もっと言えばネットが実現するジャーナリズムという観点で最初に大きな議論となったのはおよそ10年前、情報発信を容易にしたパブリッシングプラットフォームとしてのブログの流行時までさかのぼります。

当時「ブログはジャーナリズムの新形態か?」「ブロガーはジャーナリスト足りえるか?」といった今から見ると暑苦しい議論がなされたわけですが、一部の例外を除いて大半のブログは独自の報道を行っていないし、ジャーナリズムを実践しているつもりもないわけです。ゆえに両者は別物だという『ウェブログ・ハンドブック』(毎日コミュニケーションズ)の著者レベッカ・ブラッドの冷静な見方が今読んでも妥当に思えます。

スコット・ローゼンバーグは『ブログ誕生』(NTT出版)の中で、当時のブロガーとジャーナリストの対立について、「一見正確性や客観性などが問題のように見えるが、その実、争われていたのは資格であり、権利であり、敬意であった」と述懐しています。ただそこに増長し、認められたいブロガーとそれに反発する既存ジャーナリストという構図にとどまらない論点があったのも確かで、それは結論ありきの一面的な報道、特に一方向的な報道に対するネットユーザの強い不満を反映していたのは間違いありません。

シリコンバレーの有名コラムニストにして、ブログに積極的に取り組んだ最初期のジャーナリストであるダン・ギルモアの『ブログ 世界を変える個人メディア』(朝日新聞社、現在訳者により全文オンライン公開されている)は、そうした潮流を背景に、参加型で双方向的な草の根ジャーナリズム、市民ジャーナリズムの可能性を訴えるものでした。

当時韓国における市民参加型のネットニュースサイトオーマイニュースの成功が、2002年の大統領選挙における盧武鉉の勝利に果たした影響とともに喧伝され、草の根ジャーナリズム、市民ジャーナリズムへの期待が高まったわけですが、それもじきに萎んでしまいます。オーマイニュースについて言えば、鳴り物入りで開始した日本版は早々に失敗の烙印を押され、本家も盧武鉉政権の迷走とともに勢いを失いました。ダン・ギルモアにしても、新聞社を辞めて立ち上げた市民記者参加型のニュースサイトは一年足らずで失敗に終わります。

今にして思えば、ネットが可能にした個人のエンパワーメントに期待をかけすぎ、一方で報道に足る文章を訓練もなく書ける人間はそういないという前提を欠いていたように思います。情報の伝播の簡易性にしろ伝播速度にしろ、Twitterなどのソーシャルネットワークサービスの機動性、リアルタイム性が実現するまでは時期尚早だったのかもしれません。ただ、参加型メディアという考え方は、その後のアメリカにおけるハフィントン・ポストなどに受け継がれており、その成功はブログ以降のパブリッシングプラットフォームの成熟なしにはありえなかったでしょう。

このような前史を踏まえ、そろそろネットジャーナリズムの最新潮流であるデータジャーナリズムの話に移ろうと思います。データジャーナリズムが今注目される理由にはいくつかの背景があります。

既にIT業界で「ビッグデータ」という言葉がバズワード化しているのは、ご存知の方も多いかと思います。「ビッグデータ」は単に情報が大量というだけではなく、非定型でリアルタイム性が高いデータを扱える技術基盤が整ったこと、またその「ビッグデータ」が価値をもたらすのがIT系企業に限らないことにおいて、報道分野にも応用が期待されています。

またアメリカではオバマ政権が、国家安全を盾に情報公開法をないがしろにしたブッシュ政権と反対に、政府に関わるデータを自発的、積極的にネットに公開する方針を採ったことがあります。ティム・オライリーの「プラットフォームとしての政府」論に顕著ですが、政府が必要な生のデータをオープンにしてくれれば、後は自分たちで必要なサービスを作るという自助精神に基づくGov 2.0、オープンガバメント運動の広がりがその方針と噛み合った形です。

そして何よりジャーナリストと読者の意識の変化があります。ソーシャルメディアにより一般市民がジャーナリスト以上の機動性を手にしたことは、例えば近年の「アラブの春」の政変時にも言われた話ですが、ジャーナリストと読者の間の情報の流れが双方向的になり、読者が報道を検証することが珍しくなくなりました。そうした検証を行う背景には、やはり既存の報道への不満、具体的には報道の公平性や客観性が疑われているのですが、報道の検証時にそれらを担保するものが「データ」になるわけです。

以上のような背景を踏まえ、数値データの収集と分析を重視するジャーナリズムとしてデータジャーナリズムが注目されていますが、『The Data Journalism Handbook』は、データジャーナリズムの作法について、データを入手して前処理を行い、データから文脈を見出し、複数のデータをマッシュアップし、記事内容を読者に分かりやすいよう視覚化し、記事を効果的に配信する方法まで、英ガーディアンのデータブログなど先駆者の成功例をその当事者が解説する本です。

何より「データジャーナリズム」をタイトルに冠する本となると、現時点でこの本しか存在しないのもあり、本書はその言葉が出るたびにこれから引き合いに出されるはずです。書籍版がオライリーから8月初めに刊行されましたが、実は全文がクリエイティブ・コモンズの表示 - 継承ライセンスの下でオンライン公開されています。各事例が比較的読みやすい分量にまとまってますので、適当に摘み読みすることも可能です。

日本語で読めるデータジャーナリズムについての記事となると、朝日新聞に掲載された<データジャーナリズムの世界>全四回がお勧めで(その1その2その3その4)、記事の登場人物は大方『The Data Journalism Handbook』の執筆者だったりします。ちなみにこの記事を書かれているのは、上で紹介したダン・ギルモアの著者の訳者でもある朝日新聞社の平和博氏です。

『The Data Journalism Handbook』を読んで痛感するのは、これは間違いなくジャーナリストに必要なスキルセットを変えるということです。具体的には統計学や計量経済学分野の知識ですが、それに加え具体的にデータを処理する際にはGoogle Fusion Tablesなどのウェブサービス、GNU Rなどのソフトウェアも利用できないといけません。

今後、新聞社やテレビ局ではこうした技術系の作業を担う人材の必要性が高まるでしょう。『The Data Journalism Handbook』にもハッカーの雇い方が解説されていますが、好都合なのはHacks/Hackersに代表されるジャーナリズムと技術の重複部分を担う動きが活発化していることで、既存のジャーナリストとブロガーが反目し合っていた約10年前と異なり、ジャーナリストとハッカー層の協働が期待できるわけです。

このハッカーの社会参加意識は、ウィキリークスやアノニマスに代表されるハクティズムの盛り上がりとも無縁でないはずで(これについては塚越健司『ハクティビズムとは何か ハッカーと社会運動』[ソフトバンク クリエイティブ]がぴったりの文献になるでしょう)、ハクティズムはサイバーテロなど違法行為に転がる危険性を孕んでいますが、一部のハッカーがジャーナリズムの一翼を担うことで、ジャーナリスト/ジャーナリズムという言葉から想起されるイメージも変わっていくのではないでしょうか。

さて、日本におけるデータジャーナリズムのインパクトとなると現状ではないに等しく、はっきり遅れている分野の一つといえます。しかし、それも必然的に変わっていくでしょう。『The Data Journalism Handbook』で日本人として(おそらく)ただ一人執筆者 に名前を連ねる東京新聞の記者Isao Matsunami氏は以下のように書いています。

2011年の壊滅的な地震とそれに続く福島原発の惨事の後、デジタルジャーナリズムの分野で大方遅れをとっている日本のメディアの人間にもデータジャーナリズムの重要性がはっきり認識されるようになった。 政府や専門家が被害について信頼できるデータを出さず、我々は途方に暮れた。役人は(放射性物質の拡散を予測した)SPEEDIのデータを大衆から隠匿したが、たとえそれがリークされても我々にはそれを解析する用意がなかった。ボランティアが自らの機器を使って放射能に関するデータを集め出したが、我々には統計、補間、視覚化などの知識が備わってなかった。ジャーナリストは生のデータにアクセスし、公式見解に依存しないことを学ぶ必要がある。

現状はまだ「とにかく政府や各省庁は生のデータを公開しろ」と要求する段階ですが、最近ようやく政府 の公開情報について著作権手続きを不要にする方針が固まるなど、データ利 用の素地は牛歩の歩みではあるものの整いつつあります。

冒頭で『The Data Journalism Handbook』の翻訳にちょこっと携わっていると書きましたが、これは少し前に津田大介氏から打診があったことがきっかけでした。彼のデータジャーナリズムへの関心は、今年予定している政治メディアの立ち上げとも密接に関係していると筆者は想像します(なお、本文章は彼の有料メールマガジン「津田大介の「メディアの現場」」2012年7月25日号に掲載された八田真行氏のインタビュー「データ・ジャーナリズムの現在と未来:海外事例から学べること」に多くを負っています)。

津田大介氏は政局報道中心の既存メディアに対し、政策の検証を中心とするメディアを模索していますが、これは既存ジャーナリズムの限られた取材に基づく定性的な分析と、データジャーナリズムの定量的な分析との対比に重ねてみると分かりやすいですし、『The Data Journalism Handbook』の事例はそうした政治メディアにも有効でしょう。

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