明日近藤さんが見る空は


I believe in heroes
I believe in stars
I believe that we'll meet one day
say hello in some astral bar

Seahorses, "Love Me And Leave Me"

 先月、株式会社はてなの近藤淳也さんと少しメールのやりとりをする機会があり、近藤さんは「7月にちょっと動きがあるので、それに向けてどたばたしています。」と書かれていた。氏とメールのやり取りをすること自体稀なため高揚していたのか、ワタシは深く考えずに「恐らくは面白い動きがはてなの中で準備されていると思いますので、何よりそれを楽しみに待ちます。」と返信に書いた。しかし考えてみれば、はてなはいつも「ちょっと動きがある」会社なわけで、そんなんいつものことやんけと後になって苦笑したのを覚えている。

 ご存知のように7月14日、はてなが米国シリコンバレーに子会社を設立し、並びにその代表に近藤さんが就任することが発表された

 多くの人と同様、ワタシもそのニュースに驚きつつ、ITmedia に掲載されたインタビュー「はてな、アメリカへ」を読んだ。

 確かにこの7月、ちょっとどころでない動きが準備されていたわけである。近藤さん、並びにはてなという会社にはこれまで良くも悪くもいろんなレベルで驚かされてきたが、やはりそれでも今回は特別に驚きが大きかった。


 ITmedia の記事とその元となるインタビュー音声を聞くと、近藤さんの中では今回の決定に至るまで筋道が通っていることが分かる。シリコンバレーへの憧れは以前から語っていることで、そうした意味ではまったく予想できなかった話ではない。しかし、願望を語ることとそれを実行することには常に距離があるわけで、国境を隔てるとなると尚更である。ワタシの中で浮かんだ言葉は、やはり「はてなを突き動かす天然の狂気」だった。

 大体、『スター・ウォーズ エピソードIII』を観ていて「東京でぬくぬく暮らしていてはいけない」と思い、アメリカ行きを考えたなんて、神宮球場でヤクルト対広島戦を外野席に寝ころんでビールを飲みながら観戦していて、ヒルトンが二塁打を打ったときに、突然「そうだ、小説を書こう」と思い立ったという村上春樹の逸話を思い出してしまったよ、ワタシは。

 余談だが、『スター・ウォーズ エピソード3』を観ていないという取材者の岡田有花に対して、「観てないんですか? それでライトセーバーを振り回す資格あるんですか!?」と真剣に迫る近藤さんも近藤さんだが、それに対して「映画館は暗くて怖い」と頑なな岡田有花もなかなか面白い人だ。


 ワタシのようなぬるま湯人生な人間が書いても説得力はないが、はてなの現在の状態が「ぬるい」と断じる近藤さんの感覚は理解できる。

 はてなという会社がネットメディアをはじめとして、最近では雑誌やテレビなどマスメディアでも分不相応に持ち上げられて取り上げられる一方で、登録ユーザ数の伸び悩んでいるように見える。後者に関しては mixi などと比較すれば一目瞭然である。もちろん、クローズドなソーシャルネットワークサービスと異なり、登録ユーザでない単なる閲覧者でも(ロングテール的)収入源となりうるので単純に登録ユーザ数で比較はできないが、はてなはキャズム越えに失敗したのではないかという見方が出るのも当然だろう。

 だから今回の近藤さんの決定にしても、闇雲に IT 産業の中心地と目されるシリコンバレーに打って出るというだけではなく、日本を本拠とするはてなという企業そのものに喝を入れる目的もあるに違いない。そしてその諸々を踏まえ、行動に移すときが、近藤淳也時間で「今」だったということなのだろう。

 インタビューを読んだだけでは、はてなのサービスを海外展開するのと、アメリカでまったく新しいことをしてそれを日本のはてなに還元するのとどちらに軸足を置くのか明確でないが、当人が「行ってみて考える」と明言しているのだから、これはもう何を言っても無駄なのだろう。


 近藤さんはシリコンバレーの技術者と自分達を比較して、「やっていることは同じだが文化が違う」と言う。まさに言いえて妙で、ネットユーザは皆 (X)HTML で書かれたウェブページを見ているところから始まり、同じ基盤技術を利用しているわけだ。やっていることからして違うなんてことはない。

 ただ TechCrunch なんかを見ていて思うのは、アメリカではその分野にはもういくらでもプレイヤーがいるじゃないかという分野でも果敢にというか飽きもせずというか新規参入ウェブサービスがどんどん立ち上がる。もちろんそれらは既存のサービスと同じではなく、それぞれ独自の売りがある(それが成功につながるかは別の話)。そして、その売りの部分をよく見てみると日本の同様のサービスとは違ったユーザ層、利用形態を想定しているのが分かり、そうした差異が面白かったりする。

 喩えて言うなら、我々は同じ空のもとで生きているが、空の色はそれぞれ違うというところか。

 そうしたどんどこ新しい試みが立ち上がる本場のカオスに身を置き、現地の技術者と交流しながら、新しいサービスに取り組むということなのだろうが、カオスに呑み込まれることなくサービスを立ち上げ、日本のはてなユーザとアメリカの Hatena ユーザの交流なんてものが起こるところまでいくと素晴らしいのだが、そこに達する道のりは相当に険しいだろう。


 以前『「へんな会社」のつくり方』の読書記録にも書いたが、ワタシは近藤淳也という人を大好きで、はてなのサービスのファンである。後者に関しては、一部のサービス、という留保がつくが。更に書けば、はてなアンテナが利用者を小ばかにしたような稼動状態でなければ、という留保もつくが。ついでに書けば(以下略)

 かつて梅田望夫さんは、はてなの取締役就任時に近藤さんについて、

世の中に、優秀な人というのは想像以上にたくさんいるものだが、不思議な人間的魅力を伴う「器の大きさ」と「動物的な強さ」を併せ持つ個性に出会うことは滅多にない。

評しているが、ワタシもこれはすごくよく分かる。

 リーダータイプと言うとバイタリティに溢れる押しの強い人物をイメージするが、近藤さんはそれとも少し違っていて、黙々と自分から動いて形を作り、常に自分の頭で考えて導き出された言葉で周りを納得させる人だと思う。近藤さんと話をすると、彼の発想のヘンさに驚くだけでなく、唐突かつ的確な「なんでですか?」に自分がいかに固定概念によりかかっているかを思い知らされる(近藤さんはヘンではあるが常識人でもあるので、例えばワタシのように親しくない人間に「なんでなんで?」とは言わない)。


 そんな近藤さんがアメリカに渡れば、必ずやものすごいものを作り、アメリカのネットサービス界を席巻するに違いない……わけはないっての(笑)

 彼から見れば筋道は通っていても、傍から見ればやはりこれは無謀な挑戦に違いない。「向こうに行っても鳴かず飛ばずで誰からも注目されず、日本の会社もガタガタになって成長が止まってしまう」という最悪のシナリオも十分に予想できる。

 しかし、ワタシは今はただただ近藤さんの前途を祝したい。

 文章を一通り読めばお分かりなように、ワタシは陰険で性格が暗く、いつも物事の暗い面に目がいく人間である。しかし、そうしたワタシのような人間でさえ、近藤さんと話をするだけで元気が湧いてくる。自分が何か為せるのではないかと本気で思いそうになるくらいだ。同じ場にいて、同じ体験をすること、突き詰めれば同時代人であることを誇りたくなるような稀有な人なのだ。

 今回の発表を聞き、ワタシは今年中に自分のサイトを畳むというプランを破棄し、いつまで続けられるかは分からないが、もう少しはあがいでみることに決めた。そして、普段なら絶対に書かないことを今だけ書かせてもらう。

 僕は近藤さんを信じる。はてなを信じる。


 近藤さんが米国に旅立つことで寂しく思うところもいろいろある。

 これはミーハー的な感情によるのだけど、週刊はてなで近藤令子さんの楽しいおしゃべりを見る機会が激減するに違いないのは残念だ。

 そして何よりもこたえるのは、いつか何かの機会にしなもん会長に会えるのではないかという思い上がった望みが、今回の渡米で限りなく小さくなること。かつて「しなもんにガブリと噛まれたいんですよ! しなもんに踏まれたいんですよ! もう無茶苦茶にされたいんですよ!」と目を血走らせながら迫り近藤さんをドン引きさせたことのある(実話)当方としては……ごめん、今本気で凹んできた(笑)

 あと一点気になるのは、ITmedia のインタビューの近藤さんの写真を見て、どうも健康的に見えないこと。近藤さんも「あちら側」で無理できる季節を過ぎ、もう「こちら側」の住人なのだから、飲み過ぎに気をつけてお身体はくれぐれもお大事に(ここでの「あちら側」と「こちら側」は、梅田望夫さんの『ウェブ進化論』とは何の関係もなく、それぞれ年齢の20代と30代を指します)。

 アメリカに降り立った近藤さんが見る空が澄み切った青空であればと思う。


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初出公開: 2006年07月18日、 最終更新日: 2006年07月18日
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