From: yomoyomo Date: Wed, 27 Oct 1999 23:30:27 +0900 To: 上野 Subject: Re: 今更ながら「今更ながら宗教の話で何ですが」で何ですが 上野様 yomoyomo です。メールありがとうございました。 >こう接近してメールをお送りするのも迷惑かとは思ったのですが、興味深かったので >失礼いたします。 いえいえ、真剣に意見を書いていただくのは本当に嬉しいことです。 >「オウムは宗教ではない。ただの殺人者集団だ」との命題に論が始まって、「僕には >オウム真理教が、極めて宗教らしい宗教に思える」と続き、原始キリスト教は(仏教 >系と違って?)「狂信」的であり、マタイ伝を引いて宗教とは道徳性に狂信性を加味 >したものであるとひとまず結論付ける。(「原始キリスト教と現世利益」懐かしいで >すねえ、この命題。正しくは中世キリスト教ですよ) 当方の論の要約としては大体上の通りでしょうが、ちょっと待って下さい。 「ひとまず結論」の段階では現世利益の話は少しも出てないのではないで すよね。それなのに「原始キリスト教と現世利益」懐かしいですねえ、と 引き合いに出されても困ります、話の展開上。 というかちょっと説明不足ではないですか。何が懐かしいのでしょう。上 野さんの中世時代の記憶を辿られての感慨ではないことくらいは常識的に 分かりますが。推測するに、「今時こんなことを言ってる奴がいたとはね。 とっくに解決済みだよ」ということだと思います(違ってたらごめんなさ い)。 当方はそうした研究の進展を全く知らない人間なのでご教示いただきたい のですが、何が「正しくは中世キリスト教ですよ」なのでしょう。現世利 益を追求したのが、ですか? 「原始キリスト教と現世利益」の命題を解 決したのが、ですか? 僕としてはどちらでもいいですが。というか、「原始キリスト教と現世利 益」の命題、ということ自体何のことを指しているのか分からんのです。 僕が自分の文章でそれについて論じているとも全く思いませんし。上野さ んはどこを読んでそう思われましたか? またそれと僕が「ひとまず」出 した結論とどう(否定的に)つながるのですか? >キリスト教に代表される選民思想は確かに宗教の一面なのに、そのことについては印 >象付けただけで、話はなぜか教祖論に行ってしまい、宗教に必要なのは教祖ではなく >普遍性を持った方法論である。とまとめてしまう。(何故か最後の部分ではその役割 >を教祖が負うものだと仮定していますが) この部分だけで「なぜか」「何故か」と二度使われてますが、そんなにお かしいですかね。話を教祖論にもって行こうが、方法論を構築していく役 割を教祖が負うことだと考えようが(勿論教祖一人だけでできるものでは ない、とは思います)そんなにシリメツレツな展開だとは思わないのです が。否定的なほのめかしがあるだけで、何がおかしいのか指摘がないと、 僕の方が「なぜ?」という感じになります。 つまり、選民思想については指摘されれば「確かに宗教の一面」だと僕も 思います。しかし、それを僕が論じる/論じない、というのは単に題材の 取捨の問題ですよね。これをしっかり論じてないからこのあとの演繹がお かしい、とかいった記述をしてくれないうちに「話はなぜか教祖論に行っ てしまい」と暗に否定的な見解をされても僕は反応のしようがないのです。 >何やら記号化されただけの観念論で(残念ながら)良くわからなかったのですが、これ >は「逆立」なのではないですか?宗教に対する思考の中で既に「原始キリスト教的な >結論」が先にあり(これが悲しいほどに皮相的な誤読なのですが)、宗教を括ってし >まっている。 「結論」が先にある、というご指摘は鋭いですね。論のおさまりをよくし ようと型にはめたことは僕も書きながら感じていたことです。 でも「原始キリスト教的な結論」って何のことですか? 原始キリスト教 について当方が出した結論、のことですか? 僕の宗教観が原始キリスト 教的、なのですか? 前者でしたら表現としておかしいですし、後者なら 上野さんと僕の間に原始キリスト教についての認識にかなりの距離がある ようですから適切な比喩ではありませんね。 (その割に仏教には心情的に寛容なように読めてしまいますが、、、こ >れが僕の誤読でありますように!) ご安心下さい。それは間違いなく上野さんの誤読です。というか、あの文 章をどう読めば「仏教には心情的に寛容」なように読めるのでしょう。ど こかで仏教を個別に論じていたかしら。 >この回のコラムで辛いなと思ったのは思考の不徹底に関してです。マルクスから宗教 >を語る気持ちは解りますが、その後に展開された数多くの魅力的な宗教論(ホカー >ト、エリアーデ、レヴィ・ストロース、佐々木宏幹、つい先日おなくなりになった中 >村元等など)を何も読んでいない事が見て取れますし、雰囲気だけで論じているので >細かな間違いも目立ちます。突き詰めていない思考の甘さは論の展開の浅薄さに繋が >るのではないでしょうか。 ご明察です。上野さんが列挙された人達の文章は読んだことがありません (ストロースは流し読みした記憶があるようなないような。まあ、同じこ とですね)。不勉強の謗りは免れないでしょう。 >しかし宗教を語ることの難しさを感覚的に捕らえることができなかったのなら、流行 >り物だからといって手を出さないでほしかったと言うのが正直なところです。 当方の論理展開に難がある、といった指摘には僕も認めるなり反論するな りできるのですが、「宗教を語ることの難しさを感覚的に捕らえることが できなかった」というのは、僕の感覚の問題ですよね。それって上野さん が云々できることですかね(笑)。 僕は『実感』として「宗教を語ることの難しさ」に苦心しながら乏しい知 識を整理して書いた覚えがあるのですがね。しかし、これは飽くまで僕の 主観であって、そんな苦労話などどうでもいいことです。 論じられるべきは結果として公開された文章ですから。それを論破される のはよいのですが、僕の文章が稚拙だからといって僕の感覚にまで口を出 さないでほしかったというのが正直なところです。 あと「流行り物だからといって」って何のことですか? オウムのこと? ご冗談を。あの文章を書いたのは98年の9月ですが、オウムの話題ははっ きりいってアウト・オブ・デイトなものだったと記憶しますよ。裁判関係 なんかのニュースでの扱いも大分小さくなっていたと思います。 活動停止だの拉致疑惑だの新法案だのトピックがぼちぼち出ている99年秋 の方がよほどホットな話題でしょうね。 というか文章のタイトルは、表面上ホットな話題ではなくなったけれど、 今更ながらでもとにかく自分なりの考えをまとめてみよう、という控えめ な意思表示、であることくらい分かってもらえないのでしょうかね。 勿論上は議論の本筋とは関係ないことなのですが、上野さんのメールを読 んでもですね、上野さんの僕の文章に対する評価ははっきり伝わるのです が、その根拠が全然見えないのですよ。当方の文章を「雰囲気だけで論じ ている」と評する割には。 つまり、「原始キリスト教に対する誤解はただの無知」「皮相的な誤読」 と書かれてますが、具体的にどの記述が誤読なのか皮相的なのか指摘がな い。それじゃあ僕も反論のしようがないし、認識を改めようがない。 「辛いなと思ったのは思考の不徹底に関してです。」お説の通りなんでし ょう。「その後に展開された数多くの魅力的な宗教論を何も読んでない」? そうですよ。読まれている上野さんのような方をソンケーします。でもね、 今問題なのは僕の文章でしょ? 読んでないから駄目なわけ? そんなわ けないでしょ。僕の文章自体が駄目なんでしょ。それなら一つでも例証を 挙げないと。 僕のリプライが反論にならず「これどういう意味?」という文章ばかりに なっているのはそういうことですよ。何の具体的な論証なしに批判され、 ついでに自分が書いた覚えもないことがトピックみたいにカッコ書きされ ても困るのです。 「意味不明」「良く分からなかった」と書いておきながら、「宗教に関し て突き詰めて思考したことが無い様にも読めてしまいます」「手を出さな いでほしかった」とまで書けるところがすごいですね。いやお説の通りな のでしょう。それならその間を埋める具体的な批判が欲しいのです。 「AからBという結論を出してるが、それにはCまで押さえてないとだめ だよ」とか「例としてD、E、Fを挙げているがEに関してはそんな史実 はない」とかね。上野さんほど宗教に関する知見のある方ならいざしらず、 「宗教に関して突き詰めて思考したことが無い様」輩とまで見抜いた人間 には幾らなんでも不親切でしょう。 あと「細かな間違いも目立ちます」とのことですが、文中の誤りは少しで も修正していきたいと思ってますので、こちらの方も具体的にどんどん指 摘して下さい。できる限り対応しますので。 それでは。