闘わないプログラマ -- 祝250回 --


 Lepton さんの「闘わないプログラマ」が、今日連載250回に達した(正確には「新」を付けなければならないのかもしれないが、「闘わないプログラマ」で統一させてもらう)。この流行廃りの激しい個人ウェブサイト界(って何?)において五年間連載が続いているというのはやはり大変なことである。まず何より心からお祝いを述べさせてもらう。

 文章の数で「闘わないプログラマ」を越えるものはいくつもある。対象を広義の技術系に限っても、例えば藤原さんの「素晴らしきこの世界」は400回を越えている。しかし「素晴らしきこの世界」に限らずそうしたサイトの多くは不定期更新であり、「闘わないプログラマ」のような定期更新をサイト当初からまったく崩さずに貫いているのはこの人だけではないだろうか。ウェブ日記をほぼ毎日更新、というのよりある意味ストイックなものを感じてしまう。

 週の始めのブルーマンデーに会社でブラウザを開き、「闘わないプログラマ」の新作を読み、その後仕事にとりかかる。これが不変の法則か何かのように錯覚しそうになるが、その習慣は Lepton さんの律儀さあってのことである。氏が素晴らしいのは、「更新に追われる」悲壮感をあまり感じさせないところだ。友人から「お前はサイトを止める、止めると書きすぎ」と注意されるワタシなどにはそのすごさが良く分かる。


 「闘わないプログラマ」のもう一つの魅力に、そのほどほど感がある。これは作者の Lepton さんのバランス感覚に依るわけだが、恐らく氏の年齢的なところもあるだろう(氏とワタシには一回りの年の差がある)。自分がウェブサイトを持つ以前は、「闘わないプログラマ」を読んでいて Lepton さんの筆致に抑制したものを感じ、誇る部分はもっと威張ってよいし、けなすものはもっとボロクソに書いてもいいじゃないかと不満を持ったこともあった。しかし、自分のサイトでいろいろ文章を書くようになると、氏のフェアな視点が理解できるようになった。あの抑えの利いた文章があるからこそ「闘わないプログラマ」はここまで続いているのだなと得心がいくのだ(また分量的にも長すぎず読みやすいほどほどさを保っている。これも長続きする秘訣であり、また「闘わないプログラマ」が人気サイトである所以なのだろう)。

 要は Lepton さんが大人であるということだが、氏の日常的な電脳・電網生活をネタにしながら安易に自らの私生活を切り売りしないという姿勢も一貫している。それに対して何が書かれていないかという観点からいろいろ邪推するのも楽しいのかもしれないが、ここは一つワタシも大人の振りをして控えておこう。


 実はこの文章を書くため、時間をとって「闘わないプログラマ」の全バックナンバーを再度通読してみた。さきほど「長すぎず読みやすい」と書いたが、その印象が強いのでそれほど時間はかからないだろうとたかをくくっていたのだが、やはり250回となるとそうはいかなかった。

 しかしこの五年、我々の電脳・電網環境は大きく変わったものだ! 何より連載当初の職場で Pentium 90MHz のパソコンで WindowsNT3.51 を動かしてという記述に時代を感じ、氏のサイトが元々アスキーインターネット(AIX)にあったことに驚く(僕が読者になったのは現在の場所に移転後だと思う)。

 通して読みなおして気付いたこともある。250回のうちの最初の25回ぐらいでその後に登場するほとんどの題材の萌芽が見られることである。もちろんその後がネタの使いまわしだと言いたいわけではまったくなく、当時から根本にあたる姿勢、視点が明確で現在まで変節がないということである。「闘わないプログラマ」の文章群を、マイクロソフト関連ネタ、プログラミング言語(主にC言語)ネタ、プログラマの生態ネタ、ユーザからの質問ネタ、講師ネタ、システム構築作業手順覚え書きネタ…というように話題別に分類することもできそうなのだが、それは野暮というものだ。

 また氏の物腰には低姿勢な印象があるが、例えば WinGroove 事件に対して「それ以前の物の考え方がおかしい」という切り口上を読むことができるとか、何度読んでも「4がつ1にち」は狂っている(笑)とかいろいろ発見がある。


 これまでに何度も書いたことであるが、僕が自分のサイトを立ち上げたとき、目標とするサイトの一つに Lepton さんのサイトがあった。つまり僕は氏のような技術コラムを書きたいという悪しき野心を持っていたのだ。またサイト運営の方針にも共通するところが多いと勝手に感じ、その点でも非常に共感を覚えた。そうした意味で Lepton さんは僕の師匠筋であるとも言えるし(しかもうちのサイトをいち早くリンクしてくれた恩人でもある)、同時に乗り越えたい壁でもあった。

 正直に書けば、僕は自分が書いたいくつかの文章は「闘わないプログラマ」を越えることができたと確信している。しかしそれは飽くまで瞬間風速に過ぎない。毎週川の流れのように更新を続けたのは「闘わないプログラマ」であり、アクセス数にしろ何にしろうちのサイトはその敵ではない。

 アクセス数については仕方ないが、それよりも羨ましく思うのは、Lepton さんの文章にリアクションのメールが多く来る(らしい)ことである。対してうちの場合、読者からのメールは極めて少ない。呆れるぐらい少ない。もちろん「なぜ私に訊く?」と言いたくなるような質問メールはカンベンだが、Lepton さんの読者からのリアクションについてのちょっとした記述を見るにつけ、何だかうちは寂しいなあと思うのも正直なところだ。


 さて、この「蘊蓄links」のコーナーについてたまに誉めてくださる方がいるのだが、正直年々このコーナーの新作を書くのが困難になりつつある。「蘊蓄links」で取り上げるサイトは、何より僕が愛していないといけないのだが、そうしたサイトがそんなにたくさんあるわけはない。また愛しているサイトとはいえ、突っ込んだ記述を個人サイトに対して行うのは結構辛いものがある。だからといって非個人サイトを対象にするといくつかの例外を除けばやはり強いつながりを感じるサイトは少ない。

 そうした意味で「闘わないプログラマ」は微妙なところにあった。当サイト開設時から「蘊蓄抜きでリンクしたいサイト」のトップに一貫して置かせてもらっていることからも分かる通り常に敬意を払っていたが、Lepton さんの文章自体過剰な思い入れや批評を漂白してしまうところがあるためか、これまで単体で取り上げるだけの文章の核というかアイデアが出てこなかった。

 しかし今回連載250回記念ということで初回から再読するうちにその偉大さを再確認できたように思い、この雑文を書かせてもらった。書き残したことがあるようにも思うが、Lepton さんを見習ってほどほどの分量にし、タイトルもまたシンプルなものにさせてもらった。これから「闘わないプログラマ」がどうなるかは僕には分からないのだが、できるだけ長く続いてほしいと願っているのは間違いない。

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初出公開: 2002年10月14日、 最終更新日: 2002年10月14日
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