作家などの文化人が囲碁・将棋のプロ棋士と指導対局を行い、その模様に雑文を織り交ぜたものを連載するというものはいくつかあるが、(少なくとも将棋の世界では)その最高峰とされる本であり、以前から読もうと思っていた。
最近になって再評価の機運もあるが、個人的には山口瞳をそれほど大した小説家だとは思わない。もちろん、いくつも美しい文章を書いているのは承知しているが、彼の小説家としての限界が、彼と同じく被害者意識的嗜好性を持つ当方には透けて見え、それだけ点が辛くなってしまうところがあるのかもしれない。例えば「血族」、彼の小説の中でも最も優れた部類に入る作品であり、僕も好きな本であるが、小説を組み立てる上での根気、特に資料の扱い方といったところがどうしても弱い(これは日本の小説家全般に感じる不満である)。本書における山口瞳自身の表現を借りるなら、「途中まではいいんだそうだ。最後になってガタガタッとくずれる」脆さを感じてしまうのである。
上にも書いたが、彼の思考の根底にある被害者意識はよく分かるのだが、よく分かるからといってそのまま共感できるわけではないのだ。
本書が作家が書いた将棋本の最高峰とされる理由は二つある。一つにはこの連載が行われた時代背景が間違いなくある。
遅くとも三年後には、どんなに遅くとも五年後には、将棋界には中原誠・米長邦雄の時代が到来すると思う。(中略)
中原・米長時代が到来したとして、そのときに有吉・内藤の関西の両雄がどういう位置にいるか。大山・升田はいかに。大内延介は? 石田和雄、桐山清澄の二新鋭はどこまで伸びているか。これを思うと、いまから血湧き肉躍る思いがする。
今からおよそ30年前の話である。これを読んで何かしらの感慨を感じないオールドファンはいまい。事実、この文章の予言通りまもなく中原誠は大山康晴を破って名人となり、中原・米長時代が到来するのだが、大山康晴という厳しくも優しく、何より強い父親が将棋界の中心に君臨し、中原・米長という子供達が才能を十全に開花させんとし、その兄貴分としての芹沢が顔を利かせた時代、オイルショック前後とは言えまだ右肩上がりの成長が信じられた時代。
当時の将棋界、日本を全肯定するつもりはない。特に現在の将棋界は、当時からのツケに今になって押し潰されそうになっているという見方だってできるわけだが、本書の背後にある時代的な明るさ、未来への楽観の話である。
そしてもう一つに、著者もそれを受けて立つ将棋界もこの連載に真剣に取り組んだことがある。もちろんこちらの方が大きいのだが、著者は作家という枠にいれなくてもアマチュアの強豪であり、お好み対局的なぬるい態度でなく真剣に飛車落ちでプロに挑む。そもそもこの連載自体著者が持ちこんだ企画であり、それまでの定跡書にない飛車落ちにおける6五位取りの指し方を極めようとする。
タイトルの「血涙」は決して大げさではなく、第一番の二上達也戦など、優れた「裏」自戦記の一つであり、勝つために睡眠を十分に取ろうとステーキは食うは、マッサージ師を呼ぶは、酒は飲むは、そして胃腸薬を大量に服用した挙句、翌早朝血まみれになるというとんでもない状態に陥るわけだが、こういうところ、また十番勝負の途中で一度作者が自分の将棋に対する歯がゆさから連載を終了させかけるところなど、将棋にのめりこんだことのある人間なら、誰でも感情移入するだろう。
プロ側の真剣さは、対局相手の豪華な顔ぶれを見ても分かる。先に名前を出した大山名人、中原、米長、二上に加え、山田道美、原田泰夫といった当時のA級棋士をはじめとした人気棋士がずらりと並んでいる。今、流行作家が同じ企画を行ってもここまでの質・量を揃えることはできないかもしれない。今より遥かに「豊かな時代」だったのだなと暗い感慨にふけってしまう。
山口瞳が飛車落ちにおける6五位取りにチャレンジする一方で、プロ側でその真摯さが最も出ているのは山田道美である。お好み対局の類を嫌ったインテリ肌で研究家の彼が山口瞳との対戦を引き受けると、早速彼の棋譜を調べて不安を覚え(!)、他のプロ棋士に駒落ち戦の指南を受け(!!)、更には作者の小説を読み心理的にも相手を研究するのである。A級棋士がそこまですること自体もすごいことなのだが、それを隠すことなく自戦記に書く山田の率直さに驚く。現在の、アマチュアに平手で負け越すクズプロ棋士どもも見習えと言いたくなる。
そして、その対局後まもなく山田道美は、36歳にして急死してしまう。本書における山田道美の死についての記述も歴史的な価値を持っている。こうしたドラマも、本書を特別なものにしているのは間違いない。
またそういう風に読んでいくと、本書の裏の主人公が浮かび上がってくる。それは、奇しくもその山田道美を死ぬまで嫌い抜いた芹沢博文である。
それは彼が当時の将棋界のスポークスマンであり、本書においても将棋連盟と著者の間を取り持つ役割としてたびたび登場しているからだけではない。実際のところ、本書における芹沢との飛車落戦自体は本書の中で最も内容の薄い対局なのだが、一方で「天才芹沢」と言われながら、A級から陥落し、酒、博打、女で駄目になったと言われた芹沢について友人として正面から書いた文章は、かなり踏みこんだ内容になっている。
その芹沢博文が、あるとき、激しく泣いた。
芹沢が屋台のオデン屋で飲んでいて、急に涙があふれてきたというのである。
そのとき、芹沢は、突如として、
「ああ、俺は、名人にはなれないんだな」
という思いがこみあげてきたのだそうだ。
名人位というものに特別な権威がなくなった現在では、芹沢の号泣は理解できないかもしれない。棋士的な愚直さの代わりに理知があり、そしてその理知故に自身の超一流でない将棋を悟ってしまった芹沢は、畏友色川武大が「精神的自殺」と評した状態へと転落していくことになるのだが、本書が書かれる時分は、それでもまだA級復帰を目指していたし、何より指し盛りであった。
芹沢と中原がB1級最終戦で昇級をかけて戦った一戦は語り草となっている。本書にも触れられており、これに勝った中原は名人位に近づくこととなったのだが、実はこの対局に勝っても、大阪で行われていた大野源一と米長の対局で、大野が勝っていたら順位の関係で中原も芹沢も昇級できなかった。しかし、芹沢は投了する際、「負けました」でも「ありません」でもなく、「おめでとう」と中原に声をかけている。盤側に陣取る記者の姿に、大阪の結果を察しただけなのかもしれない。しかし、何よりこれだけの好局を制すれば道は開かれると二人とも己を信じていたのだと僕は思いたい。実際、大阪では昇降級に関係ない米長が、大野を下していたのだが、これは「(自分には大きな影響はなく)相手にとって重要な一番こそ全力を尽くして相手を負かす」という現在では広く棋士に受け入れられている米長理論の実践として知られているが、本書はそういう時代の将棋界を切り取った本である。
ただ芹沢の章に代表される、著者の突っ込んだ記述には功罪もあると思う。本書の影響は別として、棋士に忠言めいたことをして逆恨みを買った人も何人もいるし、事実後年芹沢の逆鱗に触れ、将棋連盟への出入りを禁じられた作家もいた。本書の著者にしても、米長が最初の名人戦に望む際、著者による観戦記を拒否するという事件があったことが昨年暴露されている。
個人的には、口外しないと男の約束をしたことをぬけぬけと公表した輩は卑しい豚だと思うのだが、それはともかくとして、本書において一貫して好意的な記述がなされ、実際「解説」を手がけている米長にしてそうしたトラブルがあるのだから難しい。芹沢や米長のように将棋界以外の付き合いも深い、世間を知っている人達ですらそうなのだから、大半の世間知らずな棋士ならいわずもがな。
もっとも米長の一件にしても、先の芹沢と同様に、当時の名人位がどういうもので、そして彼がどれほど熱望していたか知らないと分からないところもあるだろう。個人的に、それだけ神経質になっていたという事実に、米長が長らく、更に書けば大山の死後まで名人になれなかった遠因があるように思うのだが、本書から外れた話を書きすぎたかもしれない。
さて、最後に本書についてもう一点書いておくと、棋譜と図面の関係。レイアウト的に図面の近くにある棋譜が、その図面からの棋譜でなく、その図面にいたるまでの棋譜になっており、個人的には激しくフラストレーションを感じるほど読みにくい。最近ではあまり見なくなった形式だが、せっかくの文庫版再発なのだから、これは直していただきたかった(後記:勝手に将棋トピックスによると、講談社から刊行された単行本では通常の形式だったそうで、今回、もしくはその前の文庫本化時にこうなってしまったようです)。