本書は rockin' on に連載された「ロック広辞苑」に数本の書き下ろしを加えてまとめられたものである。書き下ろし分以外は既読であったが、こうしたロックに社会学的視点から光を当てた文章を僕もいつか書きたいと時々思っていたので、今後のお手本にするつもりで購入した。
ロックと真剣に関わり出して優に十年は経つ。その間に聴いたディスクは数知れず、ロックに人生を狂わされた自覚は十分にある。渋谷陽一に決定的な影響を受けたためか、僕にはロックに理屈を求めてしまう傾向がある。それがはっきりと足かせに感じるときもある。しかし、ロックという音楽そのものが、そうした論理性・社会性を引き受けてきたからこそ発展を遂げた部分があるのは否定できないだろう。
例えば、著者の鈴木あかねがあとがきで書くように、この本の目次を見て、「失業やうつ病や階級制度やアイルランド紛争とロックと何の関わりがあるんだ?」と考えるような人はロック初心者なのである。そうした社会性こそがロックをロックたらしめているのだから。
僕は、日本国際政治学会会員(!)でもある著者の文章に衒いを感じてあまり好きではないのだが(章題の名前の付け方とか。好みの問題ですが)、ロックとファッションという最も繋がりの分かり易い題材にしてもまとめかたの手際が良く唸ってしまう。アイルランド紛争の章など、この手の問題の入門編としてもよくできている。
但し連載当時にも感じたとことであるが、初期の数回で見られるウケ狙いの問題形式の図表の類は見事なまでに陳腐である。同性愛者のリストに聖徳太子を加えるといったデタラメが修正されてないのも気に入らない(「日出処の天子」のファンということならお仲間ですがね)し、一個所「さんすう」の間違いもある。恥ずかしくないのだろうか。
書き下ろし分にも触れておくと、ロック英語屋としての苦労話なんてのはどうでもいいとして、Rolling Stone と NME (New Musical Express) という米英を代表するロック雑誌についての文章は両誌の編集方針や雑誌運営の変遷など知ってるようで知らなかったので、とても興味深かった。
さて、改めて全編通して読んでみると、社会学的な見方というのが、イギリスのロックシーンにより収まりがいいことに気付かされる。これは著者の英国趣味のせいではなく、アメリカという国が、もっと広大で不気味なまでの多様性を持つ、というか懐がブラックホールなみに深いところなのだろう。
それは終章となる「90年代の闇」であきらかになる。早い話90年代ロックの背後に流れるドラッグ文化の英米比較なのだが、この温度差の差異は何なのだろう。ドラッグとロックは非常に密接な関連があるのは誰でも知るところであるし、本書にも終章とは別にその関係性を論じた章はある。しかし、80年代以降のヘルシー志向の流れの中で旧来の「セックス、ドラッグ&ロックンロール」構図は過去のものという意識はあった。確かにその通りなのだが、ブラインド・メロンのボーカリストだったシャノン・フーンのオーヴァードーズ死の記述を読むと、ロック暗黒時代だった80年代を脱したかに見えた90年代も別の形での深い闇が巣食っていたことが分かる。
ローカルレベルで「脳天気であさはかな(原文ママ)」パーティであるレイブに興じていたイギリスのガキぶりに比べ、業界シンポジウムで涙ながらに出口の見えない問いに苦闘するアメリカのロック業界の大人ぶりの違いはどうだろう。
当然どちらがいい/悪いというのではない。しかし、その温度差は90年代ロックの英米の温度差としてはっきり出ているだろう。それはつまりはグランジとブリットポップの温度差ということだ。僕はどっちかと言うと後者の方が好きだったりするのだが。
最後にロック・ジャーナリズムについて一言書いておきたい。著者は Rolling Stone、NME 両誌についての文章の中で、「(ロック雑誌にとって)ネットや一般誌が真の敵でないことは一目瞭然」と断言している。基本的には僕も同感である(というかインターネットで真の民主主義を実現とか、紙メディアは全て駆逐される、とか書いてネットを持ち上げる人間は馬鹿だ)。
しかし現実は異なっている。rockin' on でもかつてネットに流れるデマを鈴木喜之がそのままナイン・インチ・ネイルズの新譜情報として掲載した前科がある。アメリカの良質なロックがヒップホップの直接性と対峙しながら苦闘しているように、望むと望まざるに関わらずそうした新興メディアと批評的に対峙しながら自らのメディアを再構築する必要があるのではないか。rockin' on のここ数年顕著な雑誌としての質の低下は、その擦りあわせが足らないことも影響しているように僕には思える。それはロッキング・オンも公式 Web サイトを開け、とかいった次元の話ではない(12月7日追記:ついにロッキング・オンも満を持して公式 Web サイトをオープンさせた)。
90年代はおろか、20世紀もすぐに終わっちゃうんだぜ。何てこったよ。かくしてロック(と周辺産業)は時代から逃れられない。