僕の趣味の一つに、将棋がある。一応アマ二段の免状を持っているし、YAMDAS でも将棋について文章を書いてみたいという気持ちはあるのだが、この世界について書くとすると、知らない人にも事情を分かっていただくために大量の説明を要することを悟って以来頓挫したままである。こんな面白い世界もないのだが。将棋というゲーム自体も、将棋界というムラ社会も。
その長年親しんでいる将棋の世界において、僕の中で米長邦雄という人の占めるところは色んな意味で大きい。人間として師事しているといってもいいと思う。毀誉褒貶ある人であるが、それは全部承知の上である。たとえるなら、宮台真司が小室直樹を師匠の一人と考えているようなものだろうか・・・と書くと宮台真司と米長邦雄に対して失礼なわけだが。
本書は米長が念願の名人位を獲得したときに団鬼六が書き下ろしたもので、先日文庫本になっているのを見かけたので購入してみた。米長邦雄が名人をとってから、単行本が文庫本になるぐらいの時間が流れたということか。実は僕がちゃんと有段者の資格を取ろうと思ったのも、米長の署名の入った免状(名人、竜王、そして連盟会長が署名する)を欲しかったのだね、何より。しかし、残念なことに準備をしている間に羽生が挑戦者となり、名人戦がはじまってしまった。かくして僕の免状には、竜王・名人羽生善治の署名になってしまった。うーむ、人生泣き笑い。
さて本書であるが、残念なことに大した作品ではない。米長の思想性の解説に成功しておらず、渥美清やオカルト話を持ち出してお茶を濁すレベルでしかない。著者には同じ幻冬舎アウトロー文庫に収められた「真剣師 小池重明」という畢生の名作(必読! SM小説だけじゃねーぞ)があるのだが、そのレベルには遥か及ばない。作者がこの本の中で認めている通り、彼はやくざな人間を書くほうが適している。もちろん米長邦雄にも(小池重明とは違った意味で)やくざな部分はあるのだが、やはり名人獲得当時だったし難しかったのだろう。
そうした意味で痛し痒しという感じの本書ではあるが、最後に米長が語る史上最強の棋士(羽生善治すら及ばない)大山康晴との確執の話は非常に貴重だ。分量は多くないが、これだけ率直に米長が大山との関係性を語ったことはなかったと思う。将棋界を知る人間なら、この二人の反目は誰でも知っていることだが、閉じられた世界であるため、タブーが多く、そうした面白い関係性が外の世界に伝わりにくいのだ。
その大山と米長も、大山が死を迎えるにあたってようやく心を近づける。奇しくも「徹子の部屋」の大山康晴追悼番組には将棋界を代表して米長が出演したのだが、大山の死の直前、二人だけが抱き合うようにして並び立って撮影された写真が紹介されていた。米長もそれを見て「信じられない」と語っていたが、本心だったろう。これが人間というものの面白いところだ。大山は米長に毎日のことを託し、名人獲得の際には毎日の広告塔の役割を果たした。
翌年の名人戦では、ある対局の前夜祭において毎日新聞の社長は、対局者米長、羽生の対局者両名を前にして、米長さんに勝ってほしい、という堂々と発言をしたくらいだ(勝負の世界に中立性は実はないのだが、これはいくらなんでもひどい話だ)。
だが、先ほども書いたが、僕も含む米長ファンが祈っていた名人位獲得から歳月を経、将棋界は前代未聞の騒乱期を迎えてしまった。米長自身も名人位を羽生に奪われた後も参議院出馬を取り沙汰されたが、理事落選事件の後A級(一流の証であるリーグ)を陥落、そのときの騒動で毎日新聞と決別した。その直後には内部告発と称する薄汚い記事が週刊新潮に掲載された。
それから時間を置かずして中原誠と林葉直子の不倫騒動が週刊文春に掲載され、将棋界の一時代を築いた両雄が泥にまみれた格好になった。米長の「告発記事」と称する代物ははっきり言ってファンなら誰でも知っている話で衝撃でも何でもなかったが、さすがに中原の方は驚いた。その中原もこの春A級を陥落してしまった。先に転んだ米長の方が、石原慎太郎の引きで、東京都の教育関係の理事だかに就任して将棋界と距離を置く形で立ち直ってきた感じですらあるが、将棋界は本当に難しい時期に入ってしまったものだ。
というわけで、団鬼六の本の話などどこかにいってしまってしまったが、とにかく将棋のことを少し書く機会を与えてくれたという点ではありがたい本であった(笑)。
いずれこのコーナーでも「聖の青春」(講談社)を取り上げるつもりである。そのときはまた別の視点で将棋界について書いてみたい。