ときどき思いもかけないところで思いもかけない人の名前に出くわすことがある。モンティ・パイソンのビデオをレンタルしたとき、監修者としてピーター・バラカンの名前を見つけ、不思議な気持ちになったものだ。僕にとってのバラカン氏は音楽評論家だったから。同じく監修者として名前が出ている影山民夫、こちらは分かりやすい。世間一般では、「直木賞作家」「幸福の科学信者」といったイメージを持たれたいたかもしれないが、僕にとっては何といっても「ひょうきんプロレスのフルハム三浦」なんだから。
それはともかく、よく考えればバラカン氏がパイソンの監修者でも、何の不思議でもない順当な人選である事が分かる。バラカン氏は1951年イギリス出身である。「Monty Python's Flynig Circus」が放映された1969〜74年は彼の10代後半〜20代前半という青春期にあたる。深夜番組からスタートし、最終的にはゴールデンタイムに上り詰めるこの番組に熱狂した世代であることは想像に難くない。
初めにバラカン氏を「音楽評論家」と書いたが、本人はこの呼び名を嫌っていて、「ブロードキャスター」と名乗っている。しかし、もはや死語となりつつある音楽評論家というカテゴリーに、渋谷陽一や伊藤正則あたりと共に入るのだ、僕の中では。
その彼の音楽評論家としての著作を、僕は二冊持っている。「魂(ソウル)のゆくえ」と「ミュージック捜査線」の二冊である(いずれも新潮文庫)。昨年、筆者の会社の同期がアメリカ旅行に行くことになった。彼はバンドを組んでいて、ギタリストでありバンマスである。旅行の目的の一つにそっち方面の探索があったのだが、行き先にニューオリンズが入っていることを聞いて、僕は「魂のゆくえ」を読んでおくと面白いよ、とアドバイスしておいた。もっとも彼の興味は黒人音楽というよりサザンロックに向いていたのだが。
彼はちゃんと「魂のゆくえ」を探したらしいが、目録にも載ってないぞ、と文句を言ってきた。そんなわけはないだろう、と答えておいたが、後に上記二冊とも絶版であることを知って脱力してしまった。
「魂のゆくえ」は早い話が、R&B、ソウル、ファンクなどの言葉でカテゴライズされる黒人音楽の非常に良質な入門書である。実はこれが日本においては希少価値が高いのだ。音楽批評の細分化・専門化の弊害もあるのだろうが、日本における黒人音楽評論家を名乗る連中の多くが妙な純潔主義的価値観に支配されていて、彼らは結果として例えば僕のようなロック・ポップミュージックの流れから黒人音楽に興味を持った人間を疎外している。だって心躍るポップミュージックとして聞いたモータウンサウンドなんかを「白人への迎合による商業音楽」などと断罪し、その代わりに薦めるのが火星でしか買えない骨董品のようなコンピレーションだったりすると、ソウルミュージックに対する興味まで失せてしまう。
イギリスに生まれ、ロック・ポップミュージックと同次元で黒人音楽に熱狂し、ルーツを辿っていったバラカン氏の視点は僕のようなロックリスナーと共通するものであり、前述の偏狭な黒人音楽観に染まっていない。バラカン氏は「アメリカ南部に行ったこともない癖にこんな本を書くなんて」と嘆くが、そこらへんをきっちり押さえておきながらも屑である本はいくらでもある。この本ではそれこそサム・クック、レイ・チャールズの50年代からプリンス、ロジャー(ザップ)に至る80年代まで、黒人音楽の歴史を非常に分かりやすく説いてくれる。
バラカン氏は黒人音楽の変遷の底流に流れる源泉として、「ゴスペルに繋がる高揚感」を挙げていて、これが本書に筋を通している。実際これは慧眼で、これで優れた黒人音楽が全てリンクされる。一般に軟弱視されるモータウンやフィリーソウルもそうした意味で単なる迎合商業主義音楽ではないのだ。
60年代を代表するR&Bの二大勢力である北部のモータウンと南部のスタックス(オーティス・レディング、サム&デイブ、MG'sなどを擁した)の違いというのも、別に思想的な違いではなく(日本の前述の評論家どもはこれらを簡単に善玉悪玉に区別したがる)、前者は経営者が白人のニーズを見越した商才に長けた黒人であり、後者はそれが自分達のローカルな嗜好にしか興味のない田舎者の白人だった、ということなのだ。当然後者にもオーティス・レディングのような南部と北部、白人と黒人、R&Bとロック、といった二元論を超越しえる才能もいたし、彼の事故死は大損失であり悲劇であったわけだが、それはそれでまた別の問題である。
またこの本では当時の音楽業界のあり方もきっちり説明してくれる。ローカルなレーベルが出したシングルが幸運にもヒットした場合、逆にそれが原因で会社が倒産してしまう構造の話など興味深いし、そうした背景を持って地方のレーベルと大きなレコード会社との関わり合いが分かってないと、当時の音楽産業を理解しえない。アトランティックレコードの重役として南部ソウルと関わり、それらを世に広めるとともに南部ソウルをある意味駄目にしてしまった、と書かれるジェリー・ウェクスラの話もとても興味深く読める(一人の非ミュージシャンのオヤジの仕事がソウルミュージックの歴史を変えたなんてすごいじゃないか!)。
また音楽的な背景の話では、黒人が生み出したブルーズと白人が生み出したカントリーの融合によりR&Bが産まれた、という話が興味深かった。カントリーというとどうしても呑気で刺激のない詰まらん音楽というイメージがありましたからね。
しかし、この本は非常に重い命題にも必然的に突き当たる。黒人音楽を愛する白人である作者であるが、社会的向上を果たした黒人の作る音楽をどうしても好きになれない。そもそも自分はどうして黒人音楽の中にある「ソウル」を追い求めるのか、そしてそれは現在も生き続けているのだろうか・・・
結論として、80年代に入り、冒頭に挙げたプリンスやザップなどかつてのソウルミュージックをモダンに展開する数少ない例外や一部のレゲエなどを除き、「ソウル」は死に絶えた、と彼は書いている。一部の南部ソウルの残党は現在も往時のような音世界を再生産しているが、彼らにはかつてのスリルは全く感じられず、むしろラップ(この本の書かれた80年代後半はヒップホップよりラップという表記が多かった。無論ラップはヒップホップ文化の代表的な一表現形態なのだが)などのストリートミュージックにその現代的な流れを感じる。しかし、それらは自分にとって過激である、と。
当時からバラカン氏は最新の音楽に馴染めない自分を率直に表明していた。それはバラカン氏の一音楽愛好家としての誠実さであり、自分を「音楽評論家」と規定してないことのあらわれでもあろう。
90年代も最後の年に入ったが、ロック空白の10年などと呼ばれた80年代(その物言いには納得半分、苛立ち半分であるが)と比較して、90年代はブリットポップなどいろいろと楽しませてもらった。しかし、音楽産業全体から言えば、90年代はヒップポップのディケイドだった。DJ をやっていた(今でもやってるらしい)兄の部屋から家を揺らすがごとき暴音で響き、強制的に聞かされたときには異物感しか感じられなかったラップにしても、急激に音楽的な洗練を遂げ、今や完全なメインストリームである(メインストリームがヒップホップを飲み込んだのか、ヒップホップがメインストリームを飲み込んだのか)。
しかしそういう現状だからこそ、良質な黒人音楽に一貫して流れる「ソウル」について書かれた本書は貴重である。新潮文庫には是非復刻を望みたい。ニーズとしては、高橋幸宏のオールナイトニッポンの「YMO 散解ライブスペシャル」(もう15年以上前だなんて)で、「おかまのピーターさん」と呼びかけられていたことを何故か知る僕のような奇矯な人間だけではないと思うのだが。
[後記]:
冒頭に出てくるモンティ・パイソンのビデオだが、1999年に再発が始まったポリグラム版ではなく、80年代後半にビデオ化されたポニーキャニオン版である。
「魂のゆくえ」の再発であるが、うまく90年代のソウル(つまりそれは良質なヒップホップですね)の話を増補すれば今でも十分に需要はある筈だ。但し、ヒップホップとなると随分と趣味的になってしまった現在のバラカン氏には難しいかもしれない。