ルー・リードの何度目かの全盛期を形作った三部作(残りは「ニューヨーク」「マジック・アンド・ロス」)の真ん中の作品。Velvet Underground 以来約20年ぶりに実現したジョン・ケールとの本格的なコラボレーションであり、この作品の成功がヴェルヴェッツの再結成へと繋がった。
書くまでもないが、このアルバムはヴェルヴェッツが世に出るのに大きな役割を果たしたアンディ・ウォーホルの追悼盤である。しかし、安易な情緒垂れ流しや死人は皆いい人的な視座は全くなし。冒頭の曲でルーは歌う。「近眼で汚い肌のゲイのデブ、そんな君を人々は奇異の目で見ていたね」(スモール・タウン)
またその視線は自分達にも向けられる。正に夢のようなぼんやりとした音像の中でケールが語る「ドリーム」では、「ジョン・ケールは酒を止めたというのに意地悪だ」「僕はルーが嫌いだ。本当に嫌いだ。」と晩年の小心極まりないウォーホルを代弁する。筆者が92年に見ることのできたルー・リードの来日公演は全体的には冗漫であったが、この曲は格別で、音の闇に吸い込まれそうだった。
このアルバムは、フィクションと称しつつアンディ・ウォーホルという希代のアーティストの実像を描き切っている。ルー・リードの詩は極私的なものが素晴らしいことは分かっているが、80年代追求したジャーナリスティックな視点からの詩作の試みは無駄ではなかったようだ。
臆病で小心で名声好きなロクデナシとしてのウォーホル、そして彼がでっちあげた「ポップ・アート」という名のイカサマ、それらがいかに偉大であり、二人に大きな影響を与えたということを、このアルバムは十全に伝えてくれる。恐らくルー・リードのキャリアの中でも頂点といえる "Forever Changed" のギターワークの余韻の中、「アンディ、君がいなくてとても寂しいよ」と歌う "Hello it's me" はそれが踏まえられているからこそ感動的なのだ。
最近本屋で立ち読みしたイギリスの音楽誌の中で、ジョン・ケールはルー・リードのことを「最後にルーに会ったとき、俺は奴を殺してやりたかった。あいつは時折大馬鹿野郎に成り下がりやがる」と言い切っていてのけぞってしまったが、ルー・リードに対してそこまで言えるなんて世界中で彼一人だろう。このアルバムはそんな傲岸不遜で偏屈大王のエゴイスト二人の最後にして至高のコラボレーションである。ジョン・ケールのピアノにルー・リードの歌声だけ、あとはドラムもベースもなし、という構成でここまでパワフルで鮮烈で真っ暗闇な(笑)ロックを創り出すことのできる人間は他にいるか?
96年、ウォーホルの大規模な回顧展を見ることができた。分かっていたつもりだったが、彼の作品は一貫して本当に「美しかった」。ビリー・ネームによるファクトリー内を写した写真も多数掲示されていたが、美青年であったルーの若き日の勇姿を眺めていると、「ビリー・ネームがイカれて部屋に閉じこもってしまったとき、あんたは俺にシャブを寄越せと言ったっけ。俺はあんたが自分でヤルんだと思ったんだ。あんたの良心を疑ってすまなかった」(ハロー・イッツ・ミー)のくだりを思い出し、妙に切ない心持ちになったのを覚えている。