魔法と喪失(3) 魂を受け継ぎ、蘇る名曲たち


でも 思いやりのある人は
背中を向けたり傷つけたりしない
人生で役を演じた人は
背中を向けたり憎んだりしない

 最初に「あれ?」と思ったのは、プリンスの(本文執筆時点で)前作にあたる『Lotusflow3r』を買い、車のカーステレオで聴いていたときのことである。ある曲のリフに何かひっかかるものを感じてたのだ。確か二度目に聴いているとき、ふと「このギターのコード、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドの "Sweet Jane" と同じじゃないか?」と気付いた。

 "Sweet Jane" といえばヴェルヴェット・アンダーグラウンドの代表曲というだけでなく、ルー・リードが現在までライブで必ず歌い続けてきた曲である。しかし、ルー・リードとプリンスという組み合わせが余りにも似つかわしくないものに思えた。プリンスはルー・リードなんか聴かなそうだし、腐っても殿下、プリンスがこうあからさまにリフを拝借することはないだろう……しかし、似てるよな、と不思議な気分になったものである。

 そして、そのときは問題の曲の曲名を確かめることもしなかった。昔は CD を買ったら、それこそブックレットを舐めるように読んだものを考えると隔世の感がある。おまけに『Lotusflow3r』は、正確には Lotusflow3r、MPLSound の二枚のアルバムに加え、Bria Valente という女性シンガー(殿下の愛人か?)の Elixer というアルバムがセットになった CD 3枚組というボリュームで、問題の曲もじきに何となく記憶の中に埋もれてしまってしまった。


 次に「あれ?」と思ったのは、映画『パイレーツ・ロック』上映前に館内に流れる音楽に耳を傾けていたときである。そのときは映画にあわせ60年代のオールディーズが流れていたのだが(おそらくは映画のサウンドトラックがかけられていたのだろう)、聞き覚えのある曲がかかった。例のプリンスの曲だ。

 しばらく混乱したが、どうやらプリンスのバージョンはカバーであり、このとき自分が耳にしているのがオリジナルらしいということに気付いた。

 映画を観て帰宅した後調べたら、問題の曲はトミー・ジェイムズ&ションデルズの1969年の全米1位シングル "Crimson and Clover"(YouTube)だった。

 恥ずかしい話だが、私は彼らの名前自体知らなかった。調べてみると60年代後半に多くのヒットを飛ばしたロックバンドで、"Crimson and Clover" を含め6曲のミリオンセラーシングルを有する。これらの曲はカバーも多くされており、ビリー・アイドルの "Mony Mony"、ティファニーの "I Think We're Alone Now" がヒットしているし、"Crimson and Clover" もジョーン・ジェットのカバーが1982年に全米トップ10ヒットとなっている(YouTube)。

 これだけヒットを飛ばしたバンドなのに忘れられた存在になっている(いや、単に私が無知なだけかもしれないが)のは不思議だが、ロックがシングルでなくアルバムを作品の単位とするようになった60年代後半に決定的なアルバムを作れなかったことが原因だろうか。


 "Crimson and Clover" の Wikipedia のページに面白い記述があった(現在は一部削除されている)。

The Velvet Underground instrumental song "Ride Into the Sun" from the Out-take V.U. album uses the same chords. Lou Reed later used the same chords for Sweet Jane on the Velvet Underground's "Loaded" album. The similarities are best heard on the Sweet Jane cover Version by the Cowboy Junkies from the Natural Born Killers Soundtrack.

 要は "Crimson and Clover" と "Sweet Jane" の類似性の話だが、ルー・リードは "Crimson and Clover" のコードに影響を受けていると考えてよいだろう。ルー・リードとサイケデリックロック(これがトミー・ジェイムズが望んだ方向性で、また時代の趨勢でもあった)という組み合わせは、西海岸のヒッピームーブメント、サマー・オブ・ラブな風潮に冷淡に背を向けていた印象があるヴェルヴェット・アンダーグラウンドに似つかわしくない気もするが、ロバート・クインによるとルー・リードはバーズのロジャー・マクギンのギターに大変感銘を受けていたそうで、サイケデリックロックを聴き、影響を受けていても不思議ではない。

 ここまできて私は、栗原裕一郎『<盗作>の文学史』で紹介されていた大岡昇平の短編小説「盗作の証明」を連想した。

 「盗作の証明」は、1978年度に群像新人賞を受賞した小幡亮介「永遠に一日」が開高健『夏の闇』の盗用を含むとされた事件に材をとったものである。ただ、作品Aが作品Bの盗作とされ、作品Aの作者がそれを頑として認めなかった理由は大岡昇平によるフィクションで、この短編のオチにあたるその理由は、実は作品A、作品Bの両方が、先行する有名な小説の影響下で書かれた結果、意図せず兄弟関係のように似てしまったということになっている。


 プリンスによる "Crimson and Clover" はトミー・ジェイムズ&ションデルズのカバーなので、この曲とルー・リードの "Sweet Jane" を上記の作品A、作品Bの構図には当てはめることはできないが、うっかりパクリ元(のカバー)をパクリと考えていたことにはヒヤリとくるものがある。

 私はあえて「パクリ」という言葉を使ったが、楽曲の類似が神経質に糾弾される最近の風潮には少し息苦しさを覚える。"Crimson and Clover" が多くの人にカバーされた優れた楽曲であるように、それに影響を受けた(であろう)"Sweet Jane" も名曲なのだ。

 上に引用した Wikipedia の記述に面白い示唆がある。"Crimson and Clover" と "Sweet Jane" の類似性が最も分かりやすいのは、カウボーイ・ジャンキーズの "Sweet Jane" のカバーだと言うのだ。

 カウボーイ・ジャンキーズの "Sweet Jane" のカバー(YouTube)は1988年にリリースされているが、当時本格的に洋楽を聴くようになった頃なので、私もよく覚えている。正直に書くと、はじめ私には彼らの "Sweet Jane" がただ退屈に聞こえ、どこがよいのかよく分からなかった。

 これは当時、私がヴェルヴェット・アンダーグラウンドのベスト盤しか聴いてなかったことも影響している。ベスト盤に収録されていたのはアルバム『Loaded』に収録された、サビの部分が高いキーで歌われる、高揚感に満ちたオリジナルバージョンである。

 ルー・リードのファンなら皆知っていることだが、長らく彼のライブの1曲目だった "Sweet Jane" は、そのサビの部分がオクターブを下げて歌われ、その点に関して言えばカウボーイ・ジャンキーズのバージョンに近い。

 ただそれは瑣末な話で、要は当時の私の音楽解釈力の問題である。"Sweet Jane" を収録したカウボーイ・ジャンキーズのアルバム『The Trinity Session』は、このバンドにとって奇跡の一枚と言ってよい。

 ルー・リードは、カウボーイ・ジャンキーズのカバーを「自分が聴いた中で最高かつ最も本物なバージョン」と賞賛しているが、もしかしたらルーもカウボーイ・ジャンキーズのスローで陶酔感のあるバージョンに、"Crimson and Clover" へのつながりを感じたのかもしれない。


 『Loaded』に収録された "Sweet Jane" のオリジナルについて触れたので少し解説しておくと、「オリジナル」と言いながら、『Loaded』に収録されたバージョンは曲の後半部にある "Wine and roses..." と始まるブリッジ部を削除されたバージョンで、ルー・リードはそれに強い不満を表明している。

 "Sweet Jane" の真のオリジナルは『Loaded』の Fully Loaded Edition が発売されてようやく聴けるようになったが、問題のブリッジ部はこの曲において異質な感じがするのも確かで、正直これがなくなって楽曲として締まった印象がある。事実、ソロになったルー・リードがブリッジ部を削除したバージョンを採用している。

 1990年代のヴェルヴェット・アンダーグラウンド再結成時に披露された "Sweet Jane" はブリッジ部付きで、そこに入るとき客席から歓声があがる(YouTube)。それよりも貴重なのは、このときの "Sweet Jane" がオリジナルよりも遥かにテンポアップしていたことで、1992年の来日公演におけるレイドバックしたバージョンの記憶が強かった私など印象の違いに驚いたし、何より前のめりな瑞々しさに感動した。

 それほど評価が高くなかったヴェルヴェット・アンダーグラウンドの再結成だが、私としてはこの瑞々しい "Sweet Jane" と、ジョン・ケイルのヴィオラが入り限りなく美しくなった "Pale Blue Eyes" を聴けただけで満足だった。

 名曲はその魂をコードやメロディーにのせて受け継がれるもので、またそれ自体何度でも蘇る力を持つものなのだろう。


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初出公開: 2010年09月05日、 最終更新日: 2010年09月05日
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