すべてのものに魔法があるのだから 釣り合いを保つためにちょっとした損失もあるわけだ
おもむろに机の引き出しを開け、その奥にあるものを取り出した。それは一般には果物ナイフと呼ばれるものだが、実際に果物の皮を切るのに使われたことは一度も無い。
鞘を取り、中の刃を返す返す眺めてみる。これが引き出しの外に出るのは十年以上ぶりになる――
ナイフを左手に持ったまま、部屋の中央に立ち、東を向く。自分としては何気ない調子を装っているが、久しぶりなので呼吸が整うまで少し時間がかかる。十分に気が整ったと感じたところで言葉を口にする。
「ここは混沌の砂漠の中央にそびえる神殿なり。形なく、姿なく、生まれなき闇の勢力たちよ、我に耳傾けよ――」
東、南、西、北の順番に向かい、ナイフで五芒星を描き、それぞれ必要な言葉を唱える。いったん東に戻ってから部屋の中央に戻り、ナイフをさしあげ「ケイオスのシジル」が頭上に浮かぶようイメージする。部屋の東西南北を基点としてこれを頂点とするピラミッドがイメージできるところまで念じたら、ナイフを胸の位置に下ろす。
「高貴なる暗黒の神殿はここにそびえたり。我こそ神殿の主、王子にして祭司、第二の太陽なり――」
およそ一年前に Boing Boing に掲載された Rock and roll and the occult というロックとオカルトの関係について書かれたエントリをワタシは興味深く読んだ。このエントリで紹介されている『Darklore』に収録されたグレッグ・テイラー(Greg Taylor)の Occult Rock というエッセイは、ロバート・ジョンソンの昔から、ローリング・ストーンズ、レッド・ツェッペリン、デヴィッド・ボウイ、そして最近のツール(Tool)やマーズ・ヴォルタ(The Mars Volta)にいたるまで、ロックという表現がオカルトと結びついてきたことを論じている。
上に挙げた中でその関わりが最も有名なのはレッド・ツェッペリン、というかジミー・ペイジだろう。20世紀最大の魔術師と言われるアレイスター・クロウリーの旧家を購入したり、3rd アルバムにクロウリーの言葉“Do What Thou Wilt(汝の欲するところを為せ)”を刻むなどその傾倒はよく知られている。
スティーヴン・デイヴィスの『レッド・ツェッペリン物語』は、マネージャのピーター・グラントとツアーマネージャのリチャード・コールの証言を多く採用した貴重な本だが、一方でこの本自体、ツェッペリンのロック史に残る成功は、彼らが悪魔と「契約」を交わしたからで、後にロバート・プラントは愛息を奇病で喪い、ジョン・ボーナムは若くして死んでしまうが、メンバーで唯一「血の署名」を拒んだジョン・ポール・ジョーンズだけは無事だったという話から始まるなど、なかなかにトンデモな本だったりする。
ロックとオカルトの関わりをあまり大真面目にとらえるのも考えもので、グレッグ・テイラーの文章にもデヴィッド・ボウイのクロウリーへの傾倒はそれが当時クールだったからという前妻の証言があるが、ボウイ自身そのあたりについては率直に語っており、若い頃はクロウリーの本をわざとポケットからはみださせて持ち歩いていたものだけど、自分に限らず当時クロウリーにかぶれていた連中がちゃんと彼の本を読んでたか怪しいものだね。だって彼の本はラテン語で書かれていたんだから、と笑い飛ばしているインタビューを読んだ覚えがある。
かつてのバイセクシャル宣言もそうだが、ボウイに受け狙いというか芸能人気質があるのは間違いない。ただ70年代中盤のロサンゼルス時代に後に映画監督となるキャメロン・クロウが、ボウイの魔術への傾倒を目撃していたという話は意外だった。確かに今年特別仕様で再発された『Station to Station』の裏ジャケは床にカバラの生命の樹の絵を描くボウイだったりする。
ワタシが意外に思ったのは、当時彼がアメリカ時代にやっていた音楽からオカルトとのつながりが連想できなかったと感じるからだが、アメリカという国とオカルトの政治、信仰、そして文化の面で密接な関係についてはミッチ・ホロヴィッツ(Mitch Horowitz)の『Occult America』という優れた本も出ている。
その週は日曜から喉の痛みがあった。要は風邪をひいていたわけだが、水曜日に職場の飲み会があり、本当ならそんなのに行ってる場合ではないのだが、仕事がうまく回らなくて荒れている私のガス抜きも開催の契機であったため出ないわけにはいかなかった。ありがたいことに喉の痛みはその日がピークだったが、症状は鼻水から咳に移り、その朝は頭痛で目が覚めた。
頭のてっぺんが定期的に痛む感じで、仕方なく空腹時の服用を避けるよう書かれている頭痛薬を飲んで二度寝した。しかし、小一時間もしないうちに父親からの電話で眠りは破られた。
用件は私の幼馴染みの訃報だった。
実は、正直それほどの驚きはなかった。そのとき私が寝ぼけていたからというのもあるが、彼が身体を悪くしているのを知っていたからだ。
彼とは実家が50メートルも離れていておらず、小さい頃からよく彼の家で遊んだ。小学生の頃は彼も私も野球少年で、軟式野球で一緒に全国大会に行った。彼は足が抜群に早く、運動神経では私より彼のほうが遥かに上だったが、打つほうに波があり、私がレギュラーだったのに対し、彼はそうではなかった。当時から彼は私のことをうまく立ち回っている奴と認識していたかもしれない。彼は運動能力に優れたものがあったが、中学以降は私同様帰宅部だったと記憶する。
学校の成績ははっきり私のほうが上だったが、彼も私も高校は公立の進学校に通うことになる。つまり、幼稚園から高校まで同じところに通ったわけだ。
基本的に彼は無口だったが、たまにちょっと変わったことを喋るのが面白く、そういう一風変わったセンスを持つ男だったし、本人もそれを自負していたふしがある。よく聞いて見ると、魔術など思いも寄らない方向への興味があったり、とっくに切れてると思ってた人間関係が続いていたり、意外性がある男だった。ただそれを誇示するタイプではなかったので、それに気付かないまま彼をやりすごした人も多かったろう。
初めての一人暮らしとなる大学生活になじめず、大学を中退したことが彼の転落のはじまりだった。
彼は実家に戻ることになるが、当時、大学受験に失敗したという思いのあった私は何かとあれば実家に帰っていたので、たまに彼の家に遊びに行った。
ただだんだんとそれが億劫になっていった。はっきりと酒量が増えた彼といるのが以前のようには楽しめなくなったからだ。彼が人間的にも打ち解けない感じになったのもある。当然彼にも屈託があったろうが、以前以上に殻にこもる感じが強まっていた。
彼は定職につかず、郵便局と新聞配達のアルバイトでお金を稼いでいた。
両親が健在で実家暮らしならそれでも当座は困らないかもしれないが、何度か郵便局の正社員になるよう勧められながら断った話をウォッカを傾けながら話されても、どうしても彼に賛同する気持ちにはなれなかった。当時私が感じた嫌悪感は、自分の未来を規定したくないモラトリアムを、大学に身を置きながらそれを執行猶予期間のように過ごしている自分の中にも見たのもあるだろう。
やがて私も就職し、それでも帰省した折に彼を訪ねたことが何度かあったが、およそ10年前、ウォッカを煽ってのびている不健康そうな姿をみて、この家に彼を訪ねるのも最後だろうと思ったことを覚えている。
この10年間、彼と顔をあわせたのは二回だけである。一度は彼の祖父の葬式、もう一回は彼の父親の葬式である。
何せ実家が近くなので、お土産を渡したり、母親から言付かった用事で彼の実家に出向くことは何度かあったが、彼の姿をみることはなかった。
正直に書けば、それにほっとしている自分がいた。こう書くと薄情といわれそうだが、一見して不健康で、頭髪が薄くなった幼馴染みの姿をみたくなかったというのが正直なところである。母親からたまに彼の近況を聞いていたが、以前帰省したときに、彼が郵便局を辞めていたことを聞かされた。理由は、父親と同じく腸を悪くしたためで、おそらくはかつてのように彼に正社員になるよう勧める人ももういなかっただろう。
このとき母親から聞いた、もう一人の同級生の現状とあわせ、何でこんなことになったのだろうと自室に戻って悔し泣きした。かつて一緒に遊んだ同級生が、三十代も半ばとなって家庭も持てず、将来に何の展望もなく貧しく暮らしているという現実。私は今は職を持ち、人並みに稼いでいるが、これもひとつレールを外れれば彼らの地点までまっしぐらなのが切実に予想できてしまう。そこに残るのは、醜く太り頭髪が薄くなった孤独な中年男でしかない。
父親から訃報を伝える電話を受けた後、私はベンジャミンに電話してそれを伝えた(我々三人は、高校一年のときに同じクラスだった)。体調がこの状態のため、日曜に日帰りで帰省し、通夜なり葬式に参列する話をした。
夕方、父親から再び電話があり、彼の葬儀は自宅での密葬とし、私らの参列は辞退するとのことだった。彼の母親は最初町内会にもこのことを報せないでくれと父親に頼んだそうだ。
これは彼の死の状況がいささか特殊だったというのがある。もちろん彼の死に事件性はない。ただその日警察が来て長く調べていったそうだが、30代半ばの男が自宅で未明に衰弱死に近い形で死ぬのを不審に思う気持ちは分かる。
私や両親がそれを不思議に思わないのは、彼が病院に行くことをひどく嫌っていたのを知っているからだ。医者嫌いというより、自分の弱みを見せるのが許せないプライドの高さが災いしたと私は考えている。また、彼は母親に対して一貫して横暴で、彼女も彼に強く言えないことも知っているからだ。一歩引いてみれば異様な死に様かもしれないが、彼の母親も私の両親も、彼の死に至る衰弱を日常の中で見落としていたとも言える。
夜に再度父親から電話があり、両親が通夜に参列したとのこと。彼の母親の落ち込み方が尋常でなかったとのこと。彼は相当に苦しんで死んだに違いないが、死に顔は穏やかだったとのこと――
80年代には主にヘヴィメタルが黒魔術、悪魔信仰を煽っていると槍玉にあがったが、これは70年代のレッド・ツェッペリンやブラック・サバスからの流れがあるのだろう。ただ70年代にしてもキッスはそのあたりを明快な娯楽として演じていたし、ブラック・サバスのメンバーだったオジー・オズボーンは、ソロ転向後も「ミスター・クロウリー」なんて曲をやっているが、ロックファンでそれを真面目にとっていた人はどれくらいいたのだろう。
もっともヘヴィメタルが題材とする黒魔術、悪魔信仰がすべてファッションということはなくて、『ブラック・メタルの血塗られた歴史』に書かれるノルウェイのブラックメタルシーンの話は結構ガチなようだ。この本については園子温が映画化するという話があるし、ワタシは未見だが『ライト・テイクス・アス〜ブラックメタル暗黒史〜』もこの題材を扱っているようだ。
ただヘヴィメタルのようなイメージとして「いかにも」から遠く離れたところでオカルトを題材にするミュージシャンがいる。ワタシがこよなく愛するルー・リードである。
ルー・リードの70年代までのニューヨークアンダーグラウンドシーンの退廃の帝王的イメージにしろ、80年代以降の「タフな精神と引き締まった文体で社会の暗部を照らし出す」的なロック詩人としてのイメージにしろ、魔術など超自然性とはまったく似つかわしくないように思える。
しかし、実際には彼は何度か魔術を歌詞の中で正面から描いている。
例えば、彼の復活作となった80年代を代表する名作『The Blue Mask』の1曲目 "My House" は、彼の詩作の師匠であるデルモア・シュワルツ(彼の人生については坪内祐三『変死するアメリカ作家たち』に詳しい)に捧げられた曲である――と、皆ここまでは紹介する。しかし、この曲の中で、ルー・リードと当時の妻であるシルビアが降霊術によりデルモアの霊と交信したことを歌っていることを誰もなぜか触れようとしない。
これはワタシの曲解でも何でもなく、歌詞にちゃんと書かれているのだ。
私とシルビアは霊応盤をとりだした
霊と出会うために――部屋中とかけめぐる霊と
私たちは自分たちの見たものに喜び驚いた
誇り高く 堂々としたデルモアという名前が輝き現れた(梅沢葉子訳)
ガチである。"My House" はクリーンになったルーが健康的な生活を歌い上げる曲と紹介されるのが皮肉である。
もちろんこの曲だけではない。アルバム『Magic And Loss』の中の "Power And Glory" には以下のような歌詞がある。
男が鳥になるのを見た
鳥が虎になるのを見た
男がつま先で涯からぶら下がっているのを見た(沼崎敦子訳)
これだけでは分かりにくいが、彼はインタビューで『Magic And Loss』が比喩でなく文字通り「魔法と喪失」についてのアルバムであることを明言している。以下、rockin' on 1992年10月号よりかなり長くなるが引用する。
●ところで、『マジック・アンド・ロス』というのは友人二人に捧げられているということですが――
「ああ」
●その二人の死は、あなたにとって痛ましい出来事だったんでしょうが、やはりそれが『マジック・アンド・ロス』制作の直接の動機となったんでしょうか。
「いや、そうじゃなくて、そもそも俺は"マジック"だけについての作品を書いていたんだ。だけど、そうこうしているうちにこの二人が死んでしまって、それで『マジック・アンド・ロス』になってしまったということなんだよ」
●あのー、その"マジック"とは言いますけど、それは文字通りの意味での魔術?
「ああ」
●というと、どんな魔術?
「祭儀的な魔術だよ」
●具体的には?
「だから、"パワー・アンド・グローリー"で描かれているような魔術だ」
●といいますと?
「人が鳥に姿を変えるとか、そういった類の魔術だよ」
●……どうしてそんなものに興味を持ったんですか。
「っていうか、もうずっと昔から興味を持っているものなんだ」
●で、それを作品化することで自分を解放したかったとか、そういうこと?
「いや、それについて詳しく知ってる人が、このレコードが出たのをきっかけに何か色々教えてくれやしないかと思ったんだ」
●……で、誰か何か教えてくれましたか。
「いいや」
●……(笑)すると、どうなんでしょう? 人々があなたのメッセージを受け取ってないということなんでしょうか。それとも皆、押し黙っているんでしょうか。
「俺が大真面目でこういう話題について語っているんだとわかってくれていないんだろうな」
ワタシは以前から彼にこの話題について聞く人がいないのを不思議に思っていたが、このインタビューを読んでも分かる通り、こういう話をされてもまず何より面食らってしまい、ルーもそれ以上喋りたくなくなる気持ちが失せるのだろう。
最初に違和感を覚えたのは、室温が下がり嫌な感じの冷えに触れたことだ。これが良くない兆候なのは理解していたが、だからといってここまできて私に出来ることは特になく、状況に身を任せるほかない。
やがて背後に気配を感じて振り返り、そのまましばらく「それ」を眺めていた。
どれくらいの時間が経っただろう。もはや部屋の壁は意識の外に消し去り、私が中央に位置するピラミッドのイメージが「それ」に押され圧迫される感覚だけが残った。
視覚的に説明するのは難しい。頭から角が生えていたり、蝿の形をした悪魔が目の前に現れるわけはない。ただ黒っぽい空気のかたまりが気配として認識できるのみだ。
しかし、私には自分が何を呼び出したかった分かっており、目の前にかすかに蠢くその塊がそれであることを承知していた。もっとも、自分がそう思いたいだけかもしれない、と考える余裕はあった。ぼんやりとR・A・ラファティの「町かどの穴」を連想した。あの小説では怪物が我が物顔で家の主である主人公を名乗り、またその妻は違いが分からず怪物に食われるままになる。
「それ」は、いや「彼」は私の意識の聖域を圧迫し、その境界の一線を乗り越えようとしているように見える。その蠢きに邪悪なものを感じて身を硬くしてしまうが、一方でそうでないのかもしれないと思う気持ちが自分を混乱させる。かつてそうだったように、私は彼の横柄な要求に対してまごつき、うまく言葉を返せないでいる。
彼を迎えてよいのだろうかと一瞬考え、それはないだろうと自分に呆れる。しかし、そうなのか? 既に分からなくなっている。何がしたかったのか。彼に対して何か言いたかったのか。何か返したい借りがあったのか。もう分からなくなっている。
部屋の温度は下がりきり、ナイフを持つ手が震えた。そのとき黒い空気の塊が形を変え、その加減で彼の顔が浮かんだように見えた。
「こうちゃん」と私は声をかけた。「こうちゃんは自業自得だ」声が震えるのは寒さのせいだけではない。「だけど、ずっと好きにやりたかっただけなのに……それに対する罰は大きすぎた」
そのとき彼は、かつての溌剌さと不穏さが同居した笑顔を見せてくれた。手からナイフが滑り落ち、もはや彼を止めるものは何もなかった。「ゼッキョー」と叫ぶ間もなく炎に包まれたような痛みを全身に覚えたが、そのとき私は笑みを浮かべていたはずである。
In memory of K. U. (1973-2010)