Morrissey 「Southpaw Grammar」


Southpaw Grammar ジャケット

 1987年に The Smiths が瓦解したとき、誰もがもりしの将来を案じた。何しろこいつは曲が書けない。周りに有能なソングライターなどのブレインを固める、といった戦略からも程遠いし、何より友達と言えるのがビデオ作家のティム・ブロード(数年前に癌で死亡)しかいない、と当時自ら公言するほどの偏屈者である。今から考えると隠遁することなく矢継ぎ早に作品をリリースしていたのも、自らのキャリアへの不安の裏返しだったことが分かる。しかし、そうした作品は出来はともかく(というかクオリティーの面でも)、スミスの距離感でしか評価されなかった。

 一方かつての相方まーは、制約の多かったスミス時代の呪縛から解き放たれたかのように色んな連中の作品に顔を出しまくり、自由を謳歌していた。インタビューでの受け答えも確信に満ちてたし。90年代前半のもりし&まーの対比は余りに無残に思えたもんだ。


 それがどうだろう。まーの馬鹿がいい気になってエレクトロニックなんぞで才能を無駄遣いしている間に、もりしは90年代半ばにしてスミス時代すら遥かに凌駕するパワフルなアルバムを作り上げた。前作はスティーブ・リリーホワイトの好プロデュースもあって美しい作品だったが、攻撃性に欠けた。それが今作では音にも詞にもかなり戻ってきている。"Boy Racer" の「あのスカした野郎をぶっ殺してやろうぜ」という歌詞に白熱した人も多かった筈だ。

 スティーブ・リリーホワイトも80年代前半、XTC やピーター・ガブリエルのプロデュースで見せたラジカルさはなくなったが、英国本流の名プロデューサーとしてのいい仕事を本作でもしている。


 何よりも楽曲自体がこれまでのもりしとは比較できないくらいしっかりしていて、ロカビリー好きのロクデナシ集団と思われていたバンドもそれに応じた成長を遂げている。その分もりしの歌詞が一歩引いているような印象もあるが、前述の "Boy Racer" や、おどろおどろしいM1などの暴力性でチャラだろう。何より最終曲の美しさには死にそうになる。

 モリッシーにはこれからも「ロック界の大いなる逆説」としてがんばって欲しいものだし、死ぬまでに一度は彼のライブを見てみたい。


[アルバム10選] [読観聴 Index] [TOPページ]


初出公開: 1999年05月04日、 最終更新日: 2000年01月04日
Copyright © 1999, 2000 yomoyomo (E-mail: ymgrtq at yamdas dot org)