2012年02月06日
スティーブン・レヴィ『グーグル ネット覇者の真実 追われる立場から追う立場へ』(阪急コミュニケーションズ)
江坂健さんより献本いただいた。
昨年のはじめスティーヴン・レヴィの新刊が Google を題材にしていると知ったときは、正直今更? と思った。ジョン・バッテル『ザ・サーチ』に始まり、近年でもケン・オーレッタ『グーグル秘録』など企業としての Google に取材した優れた本は既にいくつもある。
レヴィの前作のテーマは iPod だったし、『ハッカーズ』の著者もすっかりエスタブリッシュメント寄りになったものだ、と少し侮っていたかもしれない。
しかし、さすがレヴィだった。本書は Google 内部を長期にわたり取材した結果できた本で、さすがの読み応えだった。それだけ読むのに時間もかかったが…。
前述の通り Google 本はいくつもあるのに、著者が変われば、その創業期についての描写も変わるのが当たり前とはいえ興味深かった。これは単にワタシが過去の Google 本の記述を読み落しただけだろうが、エリック・シュミットが lex の作者なのは知らなかった!
もっとも本書が面白くなるのは第3章「邪悪になるな」からで、ここからの例の "Don't be evil." というスローガンと企業文化、偏執的なまでの社員採用プロセス、IPO、Gmail の誕生、加速するクラウドビジネス、YouTube の買収、Android の挑戦……と次々と重要なトピックが展開して盛り上がり、ページを繰る手が止まらなくなる。Google の IPO 時、それまで一貫して好意的だった梅田望夫氏が、かなり厳しい調子で経営陣を批判していたのが印象に残っているが(原文が何故か CNET のサイトで見つけられないので、磯崎哲也氏の「Googleのコーポレートガバナンス」にリンクしておく)、本書を読むと、IPO に際して創業者らが提示した内容だけでなく、そのプロセスまでどれだけ非常識だったか分かる。
その常識外れさは本書を通じて感じるもので、創業者であるラリー・ペイジとサーゲイ・ブリン(思えば二人ともワタシと同い年なのよね……)の「世界のあらゆる情報を整理して世界中の人がアクセスできるようにする」という壮大で強烈な野心の貫徹は、IPO のときのような慣行との軋轢であったり、スピードなどに対する強いこだわり、データのためにはお金を惜しまぬ一方で広告スタッフが FAX を使うのが理解できないことなどから生じる滑稽さなどにつながっている。そして何より、その野心を全世界的に押し進めることの「善性」に対する疑いのなさが印象的である。しかし、グーグラーにとって自分たちのプロジェクトを推進するのに未だ創業者の二人の発言力が大きいのは理解できるとしても、まともにアポも取れないので、半ばストーキング的に彼らを捕まえるしかないという話にはちょっと驚いたね。
その Google の理想主義が国家体制とぶつかり合うのが第6章「谷歌」で、中国における苦闘に一章が割かれている。その顛末については既に報道でご存知の通りだが、中国当局の関与が強く疑われる巧妙なハッキング被害を受け岐路に立った経営陣は、「グーグルは邪悪な勢力の攻撃を受けているのであり、この点に関して自分の見解に同調しない人物は邪悪な勢力を支持しているに等しい」というブリンの強硬な主張に従わざるをえなくなる。日本人の我々も Google の苦闘とブリンの言葉の意味、最終的にブリンがよりどころにしたのだが(ワタシ的にはもはやギャグとしか思えない)例の非公式社是だったことについてもうちょっと考えたほうがよいと思う。
IT 業界における最大権力者となった Google が生む軋轢については第7章「グーグルの政治学」にも詳しい。前半のオバマ大統領誕生にまつわる話はラハフ・ハーフーシュ『「オバマ」のつくり方』で読んだ話の Google 的(つまりデータ志向な)解説になっているが、後半の Google Street View、そして Google Book Search でその軋轢が噴出する。
後者に関しては、出版に関する話だから著者も力が入ったのだろう、米国作家協会からの予想外の提案など意外に日本で知られてない経緯、和解案が公開された後にそれぞれ立場からの異なる反応をちゃんと記述している(それにしても温和そうなブリュースター・ケイルがそこまで憤激していたとは知らなかった)。
しかし、前者については大抵の話題について(元)経営幹部を含むグーグラーの証言を取っている本書にしてはプライバシー問題(Street View Car が無線 LAN に流れる個人データを取得していた話など)について、著者自身 Google の意図に疑問を呈しながらも取材の密度が薄くて不満だった。そうそう、プライバシーの問題については、本書で引用されるエリック・シュミットの複数の発言が矛盾しているところなど、自分たちの野心の善性を疑わないことの恐ろしさを改めて感じた。
このように非常に読み応えがあり、他の人にも自信をもってお勧めできる本書だが、邦題の副題「追われる立場から追う立場へ」は本書の中身に適合してないと思う。これを見れば、ユーザアクセスの鍵となる部分が「検索」から「ソーシャルネットワーク」にとってかわれてしまったように見える現状、本書の表現を借りれば Facebook が突きつけた哲学的パラダイムの転換との葛藤を想像するのが自然だろう。
でも、本書で Google の Facebook に対する挑戦が書かれるのはエピローグだけなんだよね。もちろんこのエピローグもかなり面白くて、Orkut で掴めたはずのチャンスをみすみす逃したり、Dodgeball を半ば飼い殺しにし、あまつさえその創業者たちが気付いていた Twitter の可能性を見逃すという失態をいきいきと描いている(その創業者たちが Google に中指を立ててケツをまくり、Foursquare を作ったのはご存知の通り)。まぁ、出版社がここを注目させたかった意図は分かるし、そのこと自体が原書刊行後の動向を物語っているわけだけど。
あと Google というと、最近 NHK の「プロフェッショナル 仕事の流儀」で及川卓也氏の長期密着取材が番組になっていたが、本書で何度も出てくる OKR(目標と主要な成果)という言葉がちらっと出てきて、おっとなったっけ。