先日、深夜に NHK で面白い番組を見た。柳田邦男が進行役で、脳死に関する最先端の医療を紹介する番組であった。これ自体再放送のようであったが、この番組は以前 NHK で放映された同趣旨の番組の感想を柳田邦男が語る場面から始まる。
ご存知の方も多いだろうが、彼の息子も植物人間になり、死んでいる。その時の父親としての体験から生まれたのが、菊池寛賞を受賞した「犠牲(サクリファイス)」である。
画期的とも言える治療法に対する驚きを語る彼の頬の筋肉が痙攣しているのを僕は見逃さなかった。「私も息子に奇跡が起きないかと祈っていた。しかし、私がこの番組で見たのはその奇跡の段階のものである。非常に衝撃的だった」という意味のことを彼は語っていたが、その後に、どうして私の息子がその治療法の恩恵を与かれなかったのか、と言いたかっただろう。彼の心中の慟哭が画面を通じ、こちらまで届くようであった。
番組で紹介された療法は、患者の身体を冷やし、血液の温度を32度程度まで下げることで脳の細胞の死を防ぎ、脳死段階に達するのを防ぐというもので、これにより、以前なら殆ど処置無しとして脳死、さらにその後の死まで手の施しようのなかった患者が、脳死どころか喋れるところまで回復する事例が採り上げられていた。
この療法にも、血液の温度を下げるため、免疫力が落ちるなど問題点もあるが、随分前に発見されていながら、殆ど見捨てられたに等しかった療法に取り組んだ医師の発想の柔軟さには感服する。こういう人を名医と呼ぶのかもしれないが、そもそも名医とは何であろうか。
筆者の身近なところで名医を探すと、祖母の主治医がまず浮かぶ。大学の長期休暇で帰省した際は、僕が祖母の病院への付き添いをやっていたから、祖母の死まで、僕自身数年に渡り彼にお世話になったことになる。いつ頃からか、僕の中で彼のことを名医と確信するようになった。しかし、僕が祖母を病院に連れて行くたび、最新の治療法を祖母に施したわけではない。どちらかと言えば鈍重な感じのする中年の医者である。肝臓の具合もよくないらしい。ただ、彼と僕(並びに僕の家族)との間に、信頼関係が築かれていたのは間違いない。
色川武大の「怪しい来客簿」の中の「たすけておくれ」に、氏が受けた手術のことが書かれている。名医と評判と医者に胆石の手術を受けたが、手術は失敗で、結果的に別の病院で、内科外科合わせても三番目に難しいという手術を二度も受ける羽目に陥ってしまう。
そして、その手術は担当医も驚くほどの奇跡的な成功を遂げ、彼は九死に一生を得る。彼の年譜によると、家族は葬式の用意をしていたらしく、短編小説「暴飲暴食」の中にも「麻雀雑誌は阿佐田哲也追悼号を組み、通常の三倍の部数を刷ったのに、何で死ななかったのか、と怒られる始末だった」という風に書かれている(念のために書いておくと、色川武大は、「麻雀放浪記」を書いた雀聖阿佐田哲也と同一人物)。
興味深いのは、色川武大が、最初に執刀した医者に執着するくだりである。手術が失敗であったのは薄々分かっている。それなのに、飽くまでその医師に感情移入し、失敗がはっきりすると、「名医」と書いていたのが「私の名医」となる。「私は命を懸けて、一人の友人を得ようとしている」と彼は書く。
ここで小噺を一つ。ある患者が請求書を見て驚いた。とても治療に見合わない法外な額がそこに書込まれていたからだ。そこで患者が医師に抗議すると、医師はいけしゃあしゃあと次のように言ってみせた。
「君の病気は非常に珍しいものなんだ。君を死亡解剖に廻したいという誘惑と戦ったことを考えると、この二倍の額を請求されても君は文句を言えないんじゃないかい?」
上の言葉が本当に医者の口から聞かれることはないだろうが、実際には彼らは患者を「死亡解剖」に廻すのに近いことをやっている。どれほど金や権力を持つ者でも、医師を前では常に弱者なのだ。
そこで前述の色川武大の言葉に戻ると、一見フリーキーにさえ思える表現も、輝きを持って響くのではないだろうか。患者を素材としてでなく、友達、つまり同じ人間として扱ってくれる医者がどれほど少ないことか。
思えば、祖母の主治医は、決して祖母を侮蔑しなかった。プロの医師としてできることを十分にしてもらったという感謝もあるが、それ以上に、余命いくばくもなかった老婆を、彼は飽くまで一人の人間として見てくれたのが、彼女の家族に分かるのだ。僕のような素人が、治療法を批評したところでたかが知れている。しかし、だからといって素人が医術を何も分かってないということはない。医は仁術、とはもはや死語だが、本来患者と医師との信頼を前提とした共同作業としての医術という意味の言葉ではないだろうか。
最後に名医と僕が交わした会話を採録しておく。
「先生、僕明日出発します」
「ああ、就職でしたね。頑張って下さい」
「先生には本当にお世話になりました。祖母も残り短いでしょうが、後はよろしくお願いします。両親もじきに先生のお世話になるかもしれません。そのときもよろしくおねがいします」
「いやー、それはまだ先の話でしょう」
「いや、僕も死ぬときには、喜んで先生に命を預けたいですね」
「(非常に暗い表情で)あのね、あなたより私の方が先に死ぬに決まってるでしょうが」
「ははは、それもそうでしょうか」
「それとね、医者の仕事は死を看取ることじゃなくて、病気を治すことなんですがね」
しかし、「私の名医」は、その数日後に一人の老婆の死を看取ることになる。祖母が死んだのは、奇しくも僕が会社に入社した四月一日の早朝だった。