著者: Parker Higgins
日本語訳: yomoyomo
以下の文章は、Parker Higgins による Why Isn't Gatsby in the Public Domain? の日本語訳である。
本翻訳文書については、Shiro Kawai さんに誤訳の指摘を頂きました。ありがとうございました。
今週末、アメリカ中の映画館で『華麗なるギャツビー』が封切りとなるが(訳注:原文は2013年5月7日に公開)、これは「偉大なアメリカ小説」とよく言われ古典文学として知られた物語の映画化である。ここに多くの人が知らない話がある。その原作は90年近く前に出版され、長年にわたって共有されてきた我々の文化遺産の一部にも関わらず、まだパブリックドメイン入りしていないのだ。
そう、F・スコット・フィッツジェラルドは73年前に亡くなっている(ので、これからさらなる作品を作り出すとは考えにくい)にも関わらず、『華麗なるギャツビー』は未だ著作権に縛られているのだ。
要するに、『華麗なるギャツビー』は2021年1月1日までアメリカ国民には本当の意味で自由にならない――それも著作権保護期間がまた延長されなければの話だが。1998年のソニー・ボノ著作権延長法のおかげで、アメリカの出版物は2019年まで何もパブリックドメインに入らない。1著作権保護期間がもう少しまともな国もあるが、米国通商代表部は TPP などの国際協定を利用して、世界中で保護期間を延ばそうと懸命に取り組んでいる。
さらにひどいことに、2012年の最高裁の悲惨な決定により、一度パブリックドメイン入りしても、議会の決議次第で逆戻りしかねない。過度に長い著作権保護期間とパブリックドメインの地位の不確かさにより、コモンズを当てにして新しい作品を作るのが困難で危険なことになってしまった。
我々は、長期の著作権保護期間を悪影響を毎日実感している。例えば、Amazon の本について行われた昨年の研究によると、1923年というパブリックドメイン期限切れの境界年以降に出版された本は、まる一世紀前の本よりも入手可能な率が劇的に低くなるという。その結果こそ本の歴史における「失われた20世紀」なのだ。
この問題は本だけに限った話ではない。MIT の経済学者による別の研究では、一部の号はパブリックドメイン入りし、それ以外は未だ著作権が課される野球雑誌のアーカイブを調査している。対照的なことに、パブリックドメインの号の画像はデジタル化して再配布可能なので、その利用しやすさがその時代の野球選手の Wikipedia 記事の質を大幅に向上させた――その結果、読者と編集者も増えた。
あなたに贔屓の1960年代の野球選手がいるかどうかはともかく、こうした状況はいろんな分野で何度も繰り返して起こっている。一握りの権利保持者の利益を守るために、我々の文化史が法的に押し付けられた暗がりの中で放置され、腐敗しているのだ。
減少するパブリックドメインは過去の作品だけでなく、拡大するパブリックドメインを当てにする未来の作品をも我々から奪う。権利保持者には作品の使用許諾を拒むだけで派生作品を禁止する力がある。そして権利保持者を追跡して確認できなければ――今しているのは百年近く前の作品の話なんだから、これは現実に起こりうる――使用許諾を得る難しさゆえに作品制作が完全に止まる可能性もある。
皮肉なことに、これはそもそも著作権延長法を後押しした映画スタジオに害を与えることになる。よく知られた作品の翻案は、その登場人物や物語になじんだ観客にリーチする強力な手段であり、強力なパブリックドメインは、新しい作品の肥沃な材料を提供する。例えば、ディズニーの初期作品は有名なおとぎ話の古典になったパブリックドメインを無料で利用したものだが、著作権の制限を拡大するロビー活動は同じことをやる可能性を他者から――大衆からも――奪い取ってしまった。
『華麗なるギャツビー』の監督のバズ・ラーマン自身、1996年の映画『ロミオ+ジュリエット』でパブリックドメインをうまく利用している。言うまでもなく、あの映画はシェークスピアの古典劇を大幅に現代化し改変したものだ――もしディズニーや MPAA と同じくらいロビー活動に長けたシェークスピア「利権」があれば、まさに権利保持者が「芸術的な誠実さ(artistic integrity)」を理由に差し止めかねない種類の映画だった。
映画は批評的にも興行的にも成功を収め、1億5000万ドル近くの興行収入を得たわけで、それがなければ映画の世界は今より貧しいところになるだろう。ハリウッドにとって、創造文化の繁栄における重要な要素としてのパブリックドメインの価値は――芸術面と経済面の両方で――明らかなはずだ。著作権保護期間の膨張は、その年の利益を守る賢い手段に思えるかもしれないが、最終的にはハリウッドと公益の両方に大きな代償をともなう。
1. つまり、出版済みの作品で著作権の期限切れによってパブリックドメインに入るものがないということだ。しかし、例えば合衆国政府の仕事は著作権の制限を受けないし、アニメ映画『Sita Sings the Blues(シーター、ブルースを歌う)』など一部の民間の作者もあらゆる著作権の拘束を放棄している。
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