著者: Bruce Perens
日本語訳: yomoyomo
以下の文章は、Bruce Perens による It's Time to Talk about Free Software Again の日本語訳である。文章中のリンクは全て訳者の判断でつけられたものである。
本文は Perens が OSI の役員を退く際に発表した文章である。この後二人の間で生じた対立はご存知の通りである(ESR によれば、和解に至ったようだが)。
僕はブルース・ペレンス。「デビアン・フリーソフトウェア・ガイドライン」や「オープンソースの定義」の主著として知られている。僕は ElectricFence malloc() debugger も書いたし、Debian でも幾らかソースを書いた。TIGER の地図データベースをフリーソフトウェアに持っていったことで知られているかもしれない。もしそのコピーが欲しければ、Dale Scheetz を通して手に入れられる。
凡そ一年前、僕は「オープンソース」を知らしめる文章を発信した。エリック・レイモンドと僕は、非ハッカー社会にフリーソフトウェアを紹介する一手段として、オープンソース・イニシアティブを設立した。そしてエリックのおかげで世間は注目してくれた。そして今こそ第二期、つまり世間が注視しているのだから、我々はフリーソフトウェアというものを彼らに教え始めるべきときなんだ。注意してね、僕はフリーソフトウェアと言ってるんだ。オープンソースではないよ。
大部分のハッカーは、フリーソフトウェアとオープンソースが同じ物を指す二つの用語に過ぎないことを分かっている。けれども不運にも、オープンソースという用語は、フリーソフトウェアという用語に含まれる、自由というものの重要さを強調しなかった。今こそ我々がそれを修正するべきときなんだ。世間に対し、そうした自由が今なお重要であり、Linux のようなソフトウェアはそうした自由なしにはありえなかったことを明らかにしなければならない。
オープンソースにまつわる不幸の一つに、フリー・ソフトウェア財団の功績が曇らされてしまったことがある。これは決してフェアなことではなかった。リチャード・ストールマンのレトリックや、「全てのソフトウェアはフリーであるべきだ」という彼の信念に賛成しない人間がいたとしても、「オープンソースの定義」はフリー・ソフトウェア財団の目標と完全に一致しているし、この二つのグループの分裂は許すまじき展開だった。僕はその分裂には異議を唱えたが、二つの党派を合流させることはできなかった。もう一つ不幸な事実を挙げると、Software in the Public Interest とオープンソース・イニシアティブとの間で丸一年続いているオープンソースの認定についての論争がある。これはまったく僕の責任だ。
残念ながら、僕がオープンソースよりもフリーソフトウェアという用語を奨励するようになるに従い、エリック・レイモンドはフリーソフトウェアに対する焦点を失っていっているように見える。オープンソースの認定が、既に不当で、僕には我慢ならないやり方で悪用されてきた。僕は、我々が元来創り上げたフリーソフトウェアの価値からオープンソース・イニシアティブが離れてしまうことを恐れる。皮肉だが、1995年にそうしたように、自分の所属を再び Software in the Public Interest とフリー・ソフトウェア財団に戻そうと決めた。僕は「デビアン・フリーソフトウェア・ガイドライン」をコピーしてできた「オープンソースの定義」が未だに我々の基準であるべきだと思うし、その定義に適するソフトウェアを奨励するのに努めるだろうが、オープンソース・イニシアティブからは独立する。
感謝をこめて
ブルース・ペレンス