著者: Paul Graham
日本語訳: yomoyomo
以下の文章は、Paul Graham による Microsoft is Dead: The Cliffs Notes の日本語訳である。
私は「マイクロソフトは死んだ」と書いたが、それは文字通りの意味ではなかった。そんなことを言えるはずもない。会社は生き物ではないのだから、死ぬこともできないわけで。
実際には、「マイクロソフトは死んだ」というのは、この業界にいる我々がメタファーと呼ぶものである。私が言いたかったのは別のことだ。この数日、私の言いたかったことについていくらか誤解が見られた。このエッセイに憤慨した人の中には、私がかなり馬鹿げたことを考えていると独り合点する人もいた。つまり、マイクロソフトは今にも倒産しようとしている、と。彼らはこれを実にもっとらしく論破してみせた。
だから、私は自分の意図を正確に説明したほうがよいのかもしれない。私が言いたかったのは、マイクロソフトが突然お金を稼ぐのを止めるだろうというのではなく、ソフトウェアビジネスの最先端にいる人たちは、もはやマイクロソフトについて考える必要がないということだ。
ソフトウェアの分野で結構な利益をあげる企業はたくさんある。例えば SAP がそうだ。彼らは大金を稼いでいる。しかし、新しい技術を開発する人が、彼らに不安を感じずにいられないだろうか? それは疑わしい。私がマイクロソフトは死んだと言ったのは、かつての IBM と同様に彼らもこの下界に足を踏み入れてしまったということなのだ(訳注:Shiro Kawai さんよりコメントをいただいたが、華々しい存在から一般レベルのインフラとして地味にビジネスをする存在になったという意味のようだ)。
重要でなくなるからといって、企業が来年には倒産ということにはならないし、それは重要でなくなったポップスターが突然貧乏になるわけでないのと同じである。しかし、前途に困難が待ち受けているとは言えるだろう。俳優やミュージシャンならカムバックすることもあるけれど、テクノロジー企業でそれはほとんどない。テクノロジー企業はロケットなのだ。だからバランスシートに何かしら問題が表れるずっと前にその会社が死ぬと言える。その正しさは企業収益を5年あるいは10年も先んじるかもしれない。
私がマイクロソフトが死んだと言うのに対して、人々はいろいろといかがわしい動機を私に押し付けた。釣り(linkbait)だとか、おおっぴらにマイクロソフトをあざけることで、彼らを Y Combinator の「顧客」にしたいのだというのさえあった(私はそんな売り込みが下手じゃない)。実は私にもいかがわしい動機はあって、それはその言いだしっぺになりたかったということだ。でも、それには少なくともいくらかリスクが伴う。あなたが何かの言いだしっぺになるなら、正しいことを言うほうが身のためだ。もし怪物が結局死んでいないと分かったら――マイクロソフトが何らかの形で、スタートアップがまた心配しないといけないものに変身できれば――私はバカみたいに見えるだろう。しかし、私は喜んでそのリスクを負うつもりだ。