著者: Michael Tiemann
日本語訳: yomoyomo
以下の文章は、Michael Tiemann による GPLv3 looks like a worthy update の日本語訳である。
私は1986年にはじめて GNU 一般公衆利用許諾契約書と出会ったが、それは私にとって天啓以外の何者でもなかった。著作権(all wrongs reversed)(訳注:all rights reserved のもじりだが、うまい訳が思いつかなかった)に対するその革命的なアプローチと GNU プロジェクトの(より優れた、しかもフリーなものを作ることで UNIX を時代遅れなものにするという)大胆なヴィジョンは、おそらくは量子物理学がアインシュタインにとってそうだったように、私にとって仰天動地のものだった(お前はアインシュタインじゃないだろと言っていただかなくても結構――そんなのは分かってる)。
1987年に GNU C コンパイラをダウンロードし、私は GNU ソフトウェアでたくさんの機能を開発した。何より自分のプログラミングスキルが著しく向上するのを体験した(私はポンコツな奴でなく「本物の」ギターを初めて弾いたクラシックギターの体験を思い出した。音楽として音が良いだけでなく、長い時間演奏するのがずっと楽でもあったのだ。GNU ソフトウェアでハックするのは、良くできた楽器で演奏するようなものだったのだ……)。この経験を通じて、私はたった一年前にはまったくの絵空事と片付けたプロジェクトに取り組む自信を得た。そのプロジェクトとは、世界初のネイティブコード C++ コンパイラの開発であり、私はそれを1987年の12月に初公開した。
『Open Sources』(訳注:日本語版『オープンソースソフトウェア』)に書いたように、私は GPL がフリーソフトウェアを商業化するまたとないチャンスをもたらすと思うようになり、そして自分と考えの似た起業家を探すのに二年かけた後、初のフリーソフトウェア企業(そして当然ながら、初のオープンソースソフトウェア企業)が誕生した。その会社の話はオライリーの本によくまとまっているが、本エントリの要点はこれだ:GPL は自由を念頭に書かれたものだが、組み込みシステムとして知られるコンピュータの世界は念頭になかった。Cygnus は組み込み市場における主要プレイヤーになり、1991年にはフリーソフトウェア財団が GPL をバージョン2にアップデートし、LGPL を公開した。思うに、こうしたライセンスの明確化は、Cygnus のビジネス展望を明るくする自由に対する妥協ではなかった(そのポジティブな影響は存在したが)。むしろ、それはある程度の経験が得られればプロトコル定義の中に見つかることが期待される技術的な改善だった。GPLv2 はウィンウィンの関係だったのだ。
GPL のバージョン2は、著作権の法律、慣行、解釈が程度と内容の両方の面で変化してきたにも関わらず、16年間修正されないままだった。GPL のバージョン2は、大小、勢力のありなし、良心的かどうかに関係なくいろんな企業が、考えられるあらゆる方法で挑戦を、あたかもそうした挑戦が一番の仕事であるかのように行ってきたにも関わらず、変更されなかったとも言える。「うん、他の成功してる企業のやり方では GPL でお金を儲ける方法が俺たちには分からないということは、GPL は破綻してるに違いない!」と言う厚かましい手合いもいる。まったく。
同じくこの間に、安全だとみなされていた暗号技術が弱いことが立証されてきたわけだが、驚くべきことではない。暗号方式(そしてセキュリティ全般)は、攻撃コストがその対価よりも大きくなる防衛力を生み出すことに意味がある。この16年の間、そのコストが大きく変化した。ムーアの法則を8〜12世代経ることで、マシンあたりの演算能力は256倍から4096倍に達し、鍵長をずらせば暗号強度が下がる楕円曲線暗号アルゴリズムの進歩は言うまでもなく、分散協働クラッキングプロジェクトが人気の娯楽になるにつれ、インターネットはこの演算能力を再び桁違いに増加させた。休みなくシステムへの挑戦に勤しむ熱心な敵がいることが前提の暗号の世界では、現状維持な人は消えることになる。より強固な防御が毎日必要とされるのだ。
GPLv2 は驚くべき成功をおさめてきたし、現在文句なしにこの世界で最もエキサイティングなソフトウェアプロジェクトのいくつかで選択されているライセンスである。しかし、フリーソフトウェア財団が保証しようと努めた自由が迂回される例外的な事例が見つかっており、そうした迂回はオープンソースの商業的成功の魅力的な論拠となる公平な契約の支障にもなる。コミュニティ全体が損失を蒙る一方で一人が成功するのは、オープンソースが目指すものではない(し、フリーソフトウェアが目指すものでも間違いなくない)。
新たに公開された GPLv3 のドラフトを注意深く読んでみたが、素晴らしい仕上がりだと思う(警告:私はアインシュタインでないのと同じく弁護士でもない。しかしながら、フリーソフトウェアや GPL に20年携わってきたこと、並びに18年ものビジネスの経験は何がしかの価値があるはずだ)。読んで思ったのは三つのこと。一つ目は、GPLv3 はなじみやすい。つまり、知ってることをすべて再学習しなければならないようなものではない。二つ目は、破綻につながる例外がもし修正されずに残っていれば、我々が全力をかたむけて GPLv3 はそれと折り合いをつける。破綻は十分ひどいことだが、予見できる破綻は恥ずべきことだ。三つ目は、フリーソフトウェア運動がこの20年以上の間享受してきたあらゆる成長や成功にも関わらず、フリーソフトウェア財団の目標がソフトウェアの自由に焦点が定まったままであり、彼らがその利用を唯一禁じるのは、そうした自由を攻撃しようとする人たちであるのを GPLv3 は再確認している。ある組織がその成功に関係なく原則を維持するのを見るのは励みになる。
今朝、片方のモニターに GPLv3、もう片方のモニターに OSD(訳注:オープンソースの定義のこと)を表示して、OSI 承認を行うのに何の問題もないであろうライセンスを読んでみた。その判断に基づき、オープンソースコミュニティ全体が、彼らもまた私と同様に思うかどうかどうかに関わらず、GPLv3 を批評し、議論し、そして OSI の理事会に推薦できる準備ができれば、私はフリーソフトウェア財団に最終ドラフトを登録することを勧める。もしそうなれば、OSI 承認ライセンスのリストに追加する必要が大なはずだし、我々は適切かつ安全なライセンスの選択を提供する公平性によって決まる役割を推奨する立場に立つつもりである。