おっと、タイトルだけ見て、先週から話題になっているはてなブックマークボタンのトラッキング問題の話かと思われたかもしれないが、本文でははてなブックマークの問題はほとんど扱わない。また、この問題について未だご存じない方は、ARTIFACT@ハテナ系のエントリの後半にあるこれまでの流れを辿ると分かりやすいだろう(ワタシ自身の認知にも近い)。
はてなが新サービスとしてはてなブログをリリースして4ヶ月以上経つ。当初は招待制だったが、昨年末にオープンベータに移行して現在にいたっている。
ワタシもリリース時に招待されたので少し触ってみたが、機能が何から何まで足らないことにびっくりしたものである。そして、はてなは「アレ」をやらかしたのではないかという疑念が頭をよぎったが、まさかと思う気持ちと、短時間触っただけの印象で間違った批判をしてはいけないという自制、何よりそのあたりはじきに解決するのだろうという楽観があった。
前述の通りリリースから4ヶ月以上経った。その間はてなブログ開発ブログで「○○○ができるようになりました!」と告知されるたびに、「えっ、そんな基本的な機能も今までなかったの!?」と震撼させられること夥しい。しかも、その新機能も不安定だったり、機能的に不十分だったりで不安を払拭するものではない。
そうした状態ではてなブログの有料プラン「はてなブログPro」がリリースされたので、まだ文字通りでのベータ版状態のサービスで月額980円の有料サービスをやるのかと驚かされたし、suchi さんが「私がはてなブログProをたぶん更新しない理由」に書くようにかなり疑問のある内容なのにさすがに呆れた。
はてなブログの現状については、加野瀬未友さんが「はてなブログの未来に期待するかどうかは、今のはてなを信頼しているかどうかで決まるんじゃないかな」に書く通りだと思うので、以下引用させてもらう。
「競合に比べて機能が少なすぎる?」少ないだけじゃなくて、機能があっても、その機能が低機能過ぎる。たとえばコメント欄一つとっても、spam対策はないし、何よりコメント欄を閉鎖することもできない! はてなブログを使おうとした人にコメント欄は閉鎖できないのか?と聞かれて、できないと教えたら、絶句していた。
Webサービスの世界では、50%のものを出して、悪ければ順次直していけばいい、というのがよく言われるが、それが許されるのは、今までにない新しい機能を持ったサービスだけ。ブログなんていうのは、枯れたサービスなんだから、未完成品を売り出したら、当然文句は一杯でる。
はてな社長の近藤淳也は、かつて50%の完成度でサービスを出すと書いたことがあるが、はてなブログは加野瀬さんが文章を書いた時点はおろか、リリースから4ヶ月経った現在も50%にすら達していないと言わざるをえない。ブログというもはや枯れたサービスでこの低品質は驚異である。
どうしてこんなクソなことになっているのか。
そこで上に書いた「はてなは「アレ」をやらかしたのではないかという疑念」に戻る。「アレ」とは何か? これは自分がやらなくてもすぐに誰かが指摘するだろうと高を括っていたのだが、そういう話を聞かないので本文を書こうと思った次第である。
今では Fog Creek Software よりも Stack Overflow の成功を引き合いに出したほうが通りがよいと思われる Joel Spolsky は、彼のブログ Joel on Software に Things You Should Never Do, Part I という文章を2000年に書いている。この文章はとても有名だし、書籍版『Joel on Software』にも「あなたが絶対すべきでないこと PART I」として収録されている。
なお、タイトルに PART I とあるが、このネーミングはメル・ブルックスの『珍説世界史 PART I』にちなんだもので、PART II 以降は存在しない。つまり、あなた(ソフトウェア企業)が絶対すべきでないことは、Joel Spolsky にとってこの文章に書かれることだけなのだ。それは何か?
プログラムをスクラッチから書き直すことに決めることだ。
ここではてなブログリリースのプレスリリースを読み直すと、「既存のブログサービス「はてなダイアリー」をゼロから作り直し、シンプル、モダンで誰でも使えるブログサービスを目指します」「新しい設計:一から設計し直すことで、シンプルでモダンなブログを実現しました」ととにかくスクラッチからやり直したかった! という意思が如実に伝わる。これは加野瀬さんも指摘しているが、オープンベータ移行のプレスリリースにも、大げさに書けばはてなダイアリーという旧来のコードベースに対する敵視が垣間見られる。
はてなブログ関係者の誰も『Joel on Software』という有名な本を読んでないとは考えにくい。「あなたが絶対すべきでないこと PART I」の話を誰か指摘したはずだ。しかし、はてなブログの現状は、Joel Spolsky がこの文章に書く失敗の轍を踏んでいるように見えてならない。
私たちはプログラマだ。プログラマというのは、心の中では建築家なのだ。建築家が建築予定地に来て最初にやりたいと思うのは、その場所をブルドーザーでまっさらにして、何かすごいものを建てるということだ。私たちは、修繕して、改良して、花壇を植えて、という改修みたいな作業にはあまり興奮しない。
プログラマがいつでも既存のコードを捨てて最初からやり直したいと思うには、ちょっとした理由がある。その理由というのには、古いコードがクズだと思っているからだ。そしてここに興味深い観察事実がある。彼らはたぶん間違っている。彼らが古いコードがクズだと思うのは、プログラミングの基本法則のためだ。(204ページ)
その基本法則について知りたい人は是非書籍版を読むなり、ウェブに公開されている原文をあたっていただきたいが、はてな社員がはてなダイアリーという旧来のコードベースを敵視しているように見える理由は、上の引用を読んでいただければ想像できるだろう。
またやたらとプレスリリースに「シンプル」という言葉が使われているのも、高林哲さんが「シンプル=バッドシグナル説」に書く、シンプルという言葉が手抜きの言い訳に使われるという話に見事に合致しているように見え、ここまでくると喜劇的である(高林さんも「あなたが絶対すべきでないこと PART I」を受けて「ソフトウェアの肥大化について」という文章を書いている。こちらも必読)。
はてなブログの開発者の気持ちは大方想像できる。彼らにとってはてなダイアリーの継ぎ接ぎに継ぎ接ぎを重ねたぶかっこうで独りでにバグが湧いてきそうなコードはもううんざりなのだ。
それを捨て去り、スクラッチから書けるのは悦びに違いない。もうはてなダイアリーの古臭さに縛られることはない。自分たちが作りたいのはもっとクールでモダンなサービスなんだよ。はてなダイアリーにあった機能? カンベンしてよ。俺たちのサービスはシンプルさが売りなの。
確かにはてなブログの管理画面は新世代的かもしれない。しかし、ユーザに見える部分、しかもコメント欄のコントロールや検索機能などモダンを謳わなくてももはやブログサービスの前提の機能からしてグズグズで、ちょっと洒落てみましたという趣きのコメント欄も見た目以外にはいいことないという要は完全な見掛け倒し。
見事なスベりぶりである。一方でそもそもはてなブログの想定ターゲットユーザーとは誰か? とユーザを困惑させている時点で間違っている。本当に当初近藤淳也ら関係者が語るような射程範囲の大きいサービスなら、現状の低機能、低品質は絶対におかしいと思うはずだ。
以下、再び「あなたが絶対すべきでないこと PART I」から引用しておく。
新しいコードが古いコードよりも優れているというのは、明らかに不合理だ。古いコードは使われている。古いコードはテストされている。多くのバグが見つかり、修正されている。それについて悪いことは何もない。ハードディスクに入れておくだけでバグに感染したりすることはない。まったく逆だ!(204-205ページ)
あなたはマーケットにおけるリーダーシップを捨てている。あなたは競合に2年か3年を贈り物として与えているのであり、そして分かってほしいのだが、これはソフトウェアの世界ではとても長い時間なのだ。(205ページ)
このようにワタシは、はてなは Joel Spolsky が書くところの「絶対すべきでないこと」をやらかしたのだという見方に与する者だが、慰めは Joel Spolsky も「どんなソフトウェア企業でも犯し得る、最悪の戦略的誤り」と書くように、多くがこの失敗の轍を踏んできたということ。
実際、「あなたが絶対すべきでないこと PART I」で紹介される事例も Netscape、Borland、マイクロソフトと有名企業である。特にこの文章がかかれる契機となった Netscape、そして Mozilla については、Joel も書くように Mozilla がブラウザの正式版をリリースされた時点でそのマーケットシェアは完全に失われていた。しかし、近年は Google Chrome に追い上げられている(もう抜かれたと言ってよい?)とはいえ当時を考えればものすごく大きなシェアを誇っている。失地回復は不可能ではないのだ(たぶん)。
しかし、ワタシ個人に関して言えば、自分のはてなダイアリーをはてなブログに移行して苦難を共にする気はさらさらない。ワタシには関係ない話だ。
でもなんですね、「絶対すべきでないこと」という表現も先週露見したはてなブックマークボタンのトラッキング問題などを目の前にすると少し色あせる。思えば Joel Spolsky が原文を書いた2000年の時点でも行動情報の取得やらトラッキングやらといった話も、目先の利く人であれば問題にしていたのだろうが、ここまでややこしい、しかし重大な問題になるとは思われてなかった。
この問題についてワタシが特に意見を加えるところはないが、mala さんのツイートを追っていて、氏がここまで誠実さと優しさを兼ね備えた人物であるとは思ってなかった。こういうことを書いても鼻で笑われるか軽蔑されるだけだろうが。
株式会社はてなは上場を目指し CFO を公募している。
ワタシが知るはてなの人たちについて、今でもワタシは一様に好感を持っている。もっともそのほとんどは既にはてなを去っているが、はてながその社史の前半、具体的には2001年から2006年まで素晴らしい仕事をしたのは間違いないことで、その仕事を賞賛する気持ちに変わりはない。
上場により、創業者をはじめ当時を支えた人たちに大きな恩恵が与えられることを心から願っている。
しかし、それを除けばワタシにはもうどうでもよい話である。はてなについて長文の文章を書くのも多分これが最後だろう。
[2012年3月15日追記]:関連情報や主要な反応を紹介する後記を書きました。