ファイル共有のマネタイズ:集合ライセンスが良く、ISP税はダメ

著者: Fred von Lohmann

日本語訳: yomoyomo


以下の文章は、Fred von Lohmann による Monetizing File-Sharing: Collective Licensing Good, ISP Tax Bad の日本語訳である。


先週 SXSW で、音楽業界の第一人者 Jim Griffin が、ファイル共有する人たちが、無制限にファイル共有をするかわりに ISP を通じて小額の手数料を支払うというアイデアを披露した。このようなアイデアを推奨するのはとても重要なことであるが(我々が2004年から言ってきたことなので)、それを推進するにも良いやり方と悪いやり方がある。

我々は、音楽のファイル共有のジレンマに関しては、集合ライセンスによる解決を強く支持している。つまり、音楽ファンが好きななものを何でもダウンロードし、共有する包括的な許可を得るかわりに毎月数ドル支払うというものだ。管理団体がお金を徴収し、それを会員であるアーティストや権利者間で分配する。これは過激なアイデアではない――ラジオ放送、コンサートホールでの演奏、そしてお気に入りのレストランでの音楽の演奏に対し、おおまかに言えばこうやって我々は曲の作者に支払っているのだ。

しかし、これが一部の人が呼ぶところの「ISP税」になるはずということはない。いかなる集合ライセンスによる解決も、ファン、アーティスト、そして ISP が一様に自発的であるべきである。我々は曲の作者に対して強制的に「レストラン税」を支払っているわけではない――ファイル共有に対して強制的に「インターネット税」を支払う道理はないのだ。ファンから音楽を遠ざけようとするのでなく、ファンが望むものを与えるべきなのだ――結局のところ、人為的な欠乏こそが我々に現在の混乱をもたらしたわけだから。それにアーティストには、競合する管理団体を選択する自由を与えなくてはならない。それこそが、現在の音楽業界の多くで欠けている種類の透明性と効率性を保証する唯一の仕組みである。

以下、良い集合ライセンス案とダメな「ISP 税」を区別するのに役立つクイックリファレンスガイドをお読みいただきたい。

音楽ファンが自発的に。音楽を共有しない人が、必要のないライセンスのためにお金を支払うべきではない。やはり、「レストランの音楽税」は必要じゃないのだ。レストランは、音楽なしでも、パブリックドメインの音楽でも、あるいは CC の音楽でも、そこに合うよう自由に実験を行えばよい。インターネットユーザにも同じ自由があってしかるべきだ。しかし、これはお金を支払わないがダウンロードはやり続ける人たちに対して、何らかの強制が待ち構えていることになる。それがフェアに思えるし、そういう人たちを有料契約者になるよう強制するのは、今日の RIAA や MPAA に採用されている「数人の頭をスパイクで踏みつけ、残りの人たちの見せしめにする」アプローチとはかなり違って見えるだろう。

アーティストが自発的に。アーティストは、望まないならば参加を強制されるべきではない。とは言うものの、クリエイターや権利者の圧倒的多数が、個々のインターネットユーザを訴えることを選ぶよりは、参加を選ぶだろうが。結局のところ、すべてのソングライターの99%が、現在三つある著作権管理団体(performing rights organizations:PROs)のどれかのメンバーである(訳注:ASCAP、BMI、および SESAC)。これが、ラジオ局があなたの曲を放送するたびにそれを見つけて訴えなくてはならない状況を間違いなく克服する。

単一の管理団体ではなく、複数の管理団体。アーティストの選択の自由は、彼らに選択肢があるかどうかによって決まる。競争は管理団体を公正、透明に保つのに重要である。合衆国のソングライターにサービスを提供する三つの著作権管理団体と他国の中央集権的で政府支援の管理団体と比較すると、我々のシステムはこれらの面ではっきり優位性がある。

ISPが自発的に。音楽ファンに包括許可を与えるよう ISP に強制する必要はない。自発的に提供するサービスにライセンスを抱き合わせにする ISP もあるだろうし(追加5ドルで音楽「食べ放題」パッケージがつきます)、そういうのを選択しない ISP もあるかもしれない。大学は RIAA の大学に対する訴訟キャンペーンを止めるために学内ライセンスを一括購入することを選択するかもしれない。LimeWire のようなソフトウェア企業は、サブスクリプション料金か広告のいずれかで支払われるようソフトウェアにライセンス料をバンドルするかもしれない。最終的には、ライセンスが必要なのは個々のファンなので、それを購入するたくさんの方法があってしかるべきだ。

すべての音楽を、どんな場所からも。音楽ファンは、何であれ自分たちが好きなソフトウェアを使い、地球上の「Shared」フォルダで見つかるものを、未許可のコンサート録音、レア音源、古いレコードのB面、そして別テイクを含め何でもダウンロードすることをはっきり示してきた。何とかしてそうした人たちを消せる世界を願うのでなく、誰にその代金が支払われるべきか理解すべきときである。

技術にとらわれない。Linux、Mac、Windows、iPod、携帯電話。ダウンロード、ストリーミング、バッファされるストリーミング。音楽ファンは、自分たちにとって最適なフォーマット、デバイスで音楽を欲しがる。いったんお金を支払えば、音楽をどこから入手するか、あるいはどこにいきつくかは知ったことではない。この未来に DRMの居場所がないことは言うまでもない。

プライバシーを保護する。音楽共有にお金を払うからといって、プライバシーを手放すべきじゃない。管理団体は収入のパイを分配するためにある程度人気の評価指数を必要とするだろうが、我々は巨額の広告収入をニールセンのような高度なサンプリングシステムを信頼して分配するテレビを見習うべきである。サンプリングや調査は結構――でもあらゆる人が聞くものを完全に調査することはない。


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初出公開: 2008年04月07日、 最終更新日: 2008年04月07日
著者: Fred von Lohmann
日本語訳: yomoyomo (E-mail: ymgrtq at yamdas dot org)
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