著者: Tim O'Reilly
日本語訳: yomoyomo
以下の文章は、Tim O'Reilly による Open Source Licenses are Obsolete の日本語訳である。
本翻訳文書については、やしろさんから誤訳の訂正を頂きました。ありがとうございました。
先週の OSCON で、私は「オープンソースのライセンスは時代遅れだ」という論議を呼びそうな意見を述べた。質疑応答の時間、Red Hat、Open Source Initiative の Michael Tiemann が、オープンソースのライセンスがどれだけの価値を生み出してきたかだけを挙げて、僕の意見に異議を唱えた。彼が私の主張を本当に理解していなかったのか、それとも彼が自分の主張を通すためにわざと誤読していたのかは分からない。しかし、少なくともオープンソースの活動家コミュニティが、多くのソフトウェアが今日運用される形の変化に真剣に向かい合う必要があるのは明らかである。
とどのつまり、それが私のメッセージだったのだ。つまり、オープンソースのライセンスが必要ないというのではなく、ライセンスの条件がソフトウェアを配布するという行為によってまさに有効になるので、オープンソースのライセンスは現在最も重要な種類のソフトウェアの多く、すなわち Web 2.0 アプリケーションや他のサービスとしてのソフトウェア(software as a service)にあてはまらなくなっているのだ。
私はこのことを長年言い続けてきた。実際、今回の講演に備え、私はかつて1999年の夏にベルリンで Richard Stallman と行った議論に目を通した。私は、当時インフォウェア(infoware)(訳注:日本語訳)と呼んでおり、現在は Web 2.0(訳注:日本語訳)と呼ぶものについて講演(PDF)を行ったのだが、ソフトウェアがサービスとなる世界ではオープンソースのライセンスがうまく機能しないと主張した。Richard は私の講演の後マイクの前に立ち、以下のように言った。
私がまたマイクの前に立つのは、Tim O'Reilly が提議した問題を取り上げたかったからです(中略)ウェブサーバ上で誰かが動かしている独占的ソフトウェアであれば、おそらくその人の自由を制限するでしょうが、それがあなたや私の自由を制限することはありません。我々のコンピュータにはそのプログラムがないわけで、要するにフリーソフトウェアと所有権の問題は、我々自身のコンピュータ上にあり、そこで動作するソフトウェアに関して(のみ)生じるのです。ソフトウェアの複製を手にしたら問題となるのが、我々はこの複製を使って何をしていいのか、ということです。単に実行させていいだけなのか、それともそのプログラムでできる他の有益なことに使ってもよいのか。もしそのプログラムが他の誰かのコンピュータ上で動作しているなら、この問題は生じません。私は Amazon のコンピュータ上にあるプログラムをコピーしてもよいでしょうか? もちろん、それはできません。私はそのプログラムを持ってないので、そのせいで道徳的に問題がある立場に置かれることもないわけです。
彼は分かってなかったのだ。私は、Michael が今になってなお私の発言の意味を誤解しているのに驚いた。更に言えば、私は2003年の OSCON でも概ね同じ主張を行ったし(PDF)、当時受けた Infoworld のインタビューでは、具体的にライセンスの問題を語ってもいる。しかし、私もようやくカサンドラのような境遇から脱し、この問題に少しは注目を集められるようになってきたみたいだ。
オープンソースのライセンスで、例えば GPL が Amazon や Google を束縛し、彼らに Linux を使わせないようにウェブアプリケーションの運用を制限しようとするのが答えだと私は思わない。そうでなく、我々に必要なのは「オープンサービスの定義」であって、私は OSCON でそれを訴え始めたのだ。我々には、オリジナルにあたるオープンソースの定義(訳注:日本語訳)と同じくらい深く考えられ、挑発的なオープンサービスのためのガイドライン一式が必要なのだ。OSI にしても既にこの問題に考察を加えていたので、Michael も私に絡んでいるだけかもしれない。その後すぐに、私は OSI とブレーンストーミングの会合を設け、議論を始めたところである。オープンサービスの定義とそれに付随するオープンデータの定義の検討についてはもっと急いだほうがよいだろう。