訳者ノート

はじめに

本文は、Mitch Stoltz による The Case for Government Promotion of Open Source Software の日本語訳である。原文は、1999年2月に発表されている。

NetAction について

本論文を掲載している NetAction とは、1996年7月に設立された NPO である。一貫して親オープンソース、反マイクロソフトを標榜しているが、活動の趣旨、歴史については NetAction のサイトにある紹介文を参照していただきたい。

僕がこの団体のことを知ったのは、メンバーである Nathen Newman が American Prospect 誌Storming the Gates を書いたあたりを契機に始まった討論「Should Public Policy Support Open-Source Software?」を読んでからである。

書くまでもないが、訳者は NetAction のメンバーではない。本文翻訳後著者にはメールで通知したが、大学を卒業していてメール転送がうまくいかないようなので、原文に意見がある場合は、NetAction のウェブマスターにメールを送るとよいと思う。

本論文の意義

前述の American Prospect におけるディベートは、Nathen Newman をはじめ、Eric S. RaymondLawrence Lessig といった大物が参戦していて非常に読み応えがある(ありすぎて当方は今だ彼らの主張を全て把握し切れてないのだが)。

この討論において、政府によるオープンソースの支援について、大雑把に書けば Newman と Lessig は賛成、ESR は反対の姿勢を取っている。リバータリアンアナーキストを自称する ESR の政治的立場からすれば当然だろう。彼の主張は、インターネット黎明期に無料 ISP を構築し、プログラマとして Emacs の一部や Fetchmail といったフリーソフトウェアを書いてきた当事者としての現場至上主義に貫かれている。

しかし、政府によるオープンソースの助成というのは非現実的な話ではない。例えば、暗号ツール GnuPG にはドイツ政府から25000マルクの開発助成金が出ている。また日本でも、先の第百五十回国会における所信表明演説において、森総理大臣は「日本型 IT 社会」実現を訴え、挙句の果てには IPv6 を例に出して「グローバルインターネットの課題解決への積極参加」を唱えている。そこまでくれば、例えば KAME プロジェクト(BSD 系 UNIX に IPv6/IPsec スタックを実装するプロジェクト)に対する金銭的、政策的助成というのも、それほど突飛な話ではないはずだ。

先の所信表明を聞いて、実際に業務の一貫としてネットワークを利用する人間の多くは(訳者を含め)、それを嘲笑し、あげつらった。IT 講習券とやらの実際的な政策のレベルの低さを見てもそれは仕方のないものだった。IPv6 がトピックとして出たことについても、「どうせ口を出したとこでロクなことにはならないんだからほっておいてくれ」式の感想をいくつか目にしたが、これは ESR 式の自由意志論が日本のフリーソフトウェア・コミュニティにおいても多数派であるからかもしれないし、(訳者はリアルタイムには知らないが)シグマ計画といった過去の国が主導し、大失敗に終わったソフトウェア・プロジェクトの負の実績があるからかもしれない。

しかし、それと政府としてオープンソースを助成する政策を取ることの可否、またその是非はまた別の話だと思う。本論文に意義があるとしたらそこだと思う。本文で述べられた以外にも、例えばこれは訳者が以前から考えていることなのだが、知的主有権関係で政府がオープンソース・プロジェクトに協力するというのはどうだろう。現在ソフトウェア特許、ビジネスモデル特許が日本でも問題になっているが、ソフトウェア特許については一歩踏み込んで、特許局に Linux などのソースコードに知的所有権を侵害しているところがないか審査する部署などを設けて、企業がフリーソフトウェアを利用する際に挙げられる不安(というか殆ど FUD に近いが)の一つである知的所有権関係の問題をクリアし、一方フリーソフトウェア・コミュニティも、ソフトウェア特許に関して申請に先立つ実装の存在を教示する(これは営利企業には当然できない)ことで特許局の調査の労を軽減し、同時にとんでもない申請が特許になるのを防ぐといったような協力関係などどうだろう。訳者自身考えがまとまってないが、「できる限りほっておいてくれ」では済まされなくなる方向にあるのではないだろうか。

また Lessig は ESR 式の現場至上主義とは異なる次元からサイバースペース、フリーソフトウェアを捉えていて、彼の言説には ESR とはまた違った意味で新鮮な驚きを感じる。彼の評価の高い著作 "CODE and other laws of Cyberspace" は「CODE――インターネットの合法・違法・プライバシー」というタイトルで邦訳も出たのでご一読をお薦めする。

本論文の評価

本論文は1999年の初めに書かれたもので、現在(2000年10月)でも通用する部分もあれば、妥当性が薄れた部分もある。

この論文が書かれた時点ではまだ「ハロウィン文書」(におけるマイクロソフト社のオープンソースへの高評価と通信プロトコルの「脱共有化」という邪悪な考え)に対する驚きが去っていなかった。

それを差し引いても古びてしまったところはある。例えば、オープンソースの利点として2000年問題への対応を挙げているが、何とかなし崩し的に乗り切ってしまったことを知る現在の我々からすればいささか説得力に欠ける。勿論、世のソフトウェアが全てオープンソースであったなら、その対策費用は大幅に縮小できたのは間違いないだろうが、いくらオープンソースでも利用するのは人間なのだし、その人間が割けるリソースは有限であるのを忘れてはならない。

ESR の「魔法のおなべ」について、ChangeLog の田宮まやは「そもそもハッカー資源が無限だという暗黙の前提があるようだ」という鋭い指摘を行なっているが、やはりそれはおかしいと思う。思えば ESR は「ノウアスフィアの開墾」において、ハッカーをフリーソフトウェア開発に駆り立てる原理についてあっと驚く分析を行なったが、逆にいえばそれはどういう条件、環境にノウアスフィアが残ってないか、という分析でもあるはずだ。ただソースをオープンにするということでお膳立てが揃うというものではない。

あと Brian Arthur についても少し解説しておく必要があるかな。本論文にも出てくる「収穫逓増」とは、技術の優位性でなく、ある時点でどちらかが、たまたま、ほんの少し利用者が多い方が市場における優位性を拡大していくというという考えである。彼は現在ニューメキシコ州のサンタフェ研究所に属している。この研究所自体いわゆる「複雑系(complex system)」という言葉が生まれたところであり、Arthur の新古典派に与しない「収穫遁増」「予測不可能性」「創発」「ポジティブ・フィードバック」をキーワードにした学説も「複雑系の経済学」という文脈で捉えられている。

訳者は不勉強にも「複雑系」については興味はあったが胡散臭げな印象から未だちゃんと文献を読んだことがなく、Arthur の学説にどのような評価が与えられているのかはよく知らず、ソニーが彼の考えを経営に取り入れて組織改革をやっているとか、Paul Krugman が、"The Legend of Arthur""Life of Brian" といった文章で批判している(というか茶化しているというのが正しいかな。二つともタイトルがモンティ・パイソン絡みで・・・とかいった話はもううんざりですか?)、といった周辺情報を知るだけである。

「複雑系」を引っ張り出すところも後から読めば時代を感じさせるのかもしれないし、ネットワーク外部性とフリーソフトウェアの関係性に関する記述がしっくりいってないような印象もあるが、いずれにしろ ESR の「魔法のおなべ」よりも前にここまで書かれた論文というのもそうなかったと思うし、それだけの価値を持つ論文だとは思う。

謝辞

本翻訳文書については、以下の方々にご教示を頂きました。ありがとうございました。


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初出公開: 2000年10月10日、 最終更新日: 2002年07月13日
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