Richard Stallman インタビュー

著者: Juraj Bednar

日本語訳: yomoyomo


以下の文章は、Juraj Bednar による Interview with Richard Stallman の日本語訳である。

ソフトウェアを料理のレシピになぞらえるおなじみの話をはじめとして、特に驚くような内容はないが、オープンソース運動、APSL、共有ソース、Qt のライセンス、組み込み機器、共産主義と広範な内容について穏やかに語っている。現在の RMS の主張の大枠を押さえるのにちょうど良いと思い訳してみた。

本翻訳文書については、後藤洋さん、katokt さん、きたさん、その他の方に誤訳の訂正を頂きました。ありがとうございました。


Richard Stallman は、フリーソフトウェア財団の代表であり、GNU プロジェクトの創始者である。彼はフリーソフトウェア運動のリーダーであり、我々皆が、何の鎖もつけられないで、日々利用している多くのアプリケーションの作者である。

Q: GNU プロジェクトやフリーソフトウェア財団は、全体がフリーソフトウェア・ベースのオペレーティング・システムを開発するのに大変尽力しています。ソフトウェアの自由は、我々の生活にどのような影響を及ぼすのでしょうか?

フリーソフトウェアというのは、君達ユーザが、自分たちが利用するソフトウェアを究極的に支配することを意味する。フリーでないソフトウェアでは、プログラムの所有者が、君達が利用するソフトウェアを支配することになる。

このことを理解するのに最もよいのは、料理のレシピのことを考えてみることだ。コンピュータ・プログラムは、多分にレシピのようなところがある。そのどちらも、特定の結果を得るために為すべき手順のリストだからね。

レシピを利用する人達、つまり、料理をする人の多くは、友達とよくレシピのコピーを交換する。そして、塩の量を減らしてみるとか、マッシュルームを加えてみるとか、それよりも大きな変更を加えてみたりと、しばしばレシピに手を加えるわけだ。君がレシピに手を加えていて、友達に料理を作るとすると、その友達は君に「そのレシピをもらえるかな?」と頼むかもしれない。そうなれば、君は自分流のレシピを書きとめ、渡すだろう。

プログラムを使用する人達は、これと同じことをするのが有益であるのを知っている。つまり、プログラムを配布し、変更し、そしてその修正版を配布することだ。しかし、フリーでないソフトウェアには、君達がこうしたことを行うのを止めようとする「所有者」がいる。

フリーでないソフトウェアは、君達の自由を尊重しない。そのプログラムがやることが気に入らないとしても、それを変更することはできないし、それを変更するプログラマーを雇うこともできない。そのプログラムが本当は何をやっているのかチェックすることさえできないんだ(告知されていないバックドアや、ユーザ追跡機能があるのか、誰にも分からない)。そして、君が友達のためにコピーを作成しようものなら、連中は君を「海賊」呼ばわりし、刑務所に放り込む。ちょっと想像してごらんよ、連中は、隣人を助けることを、船を襲撃することと道徳的に同じことだと主張しているんだ! これは、道徳の曲解だね。

フリーソフトウェアなら、自由に利用できるし、自分に合うように自由に変更できるし、利用や変更する過程で、他のユーザと自由に共同作業できる。

Q: フリーソフトウェア運動とオープンソース運動では何が違うのでしょう? 何が同じなんでしょうか?

簡潔に表現するなら、フリーソフトウェアは政治理念である。オープンソースは開発手法のことだ。

フリーソフトウェア運動は、倫理的義務として、ソフトウェアは自分自身や他人を助ける自由を尊重すべきであると主張している。オープンソース運動は、実用上の問題として、ソフトウェアが自分自身や他人を助けることができれば便利だと主張している。二つの運動は、立場を同じくして協力し合う場合もあるが、哲学の不一致が根本にある。

Q: Apple は、基本的に BSD ベースの Darwin というシステムを開発していて、それが MacOS X のコア部分になってます。それはオープンソースですが、あなたはそれがフリーソフトウェアであるとは考えていない。何故でしょう?

Apple が Darwin のコードに適用している、Apple Public Source License というライセンスは、我々がフリープログラムに不可欠だと考えている自由の一つを欠いている。それは修正版を作成し、それを実環境で利用しながらも、公開はしないという自由だ。

フリーソフトウェアなら、自由に修正版を作成し、それを利用し、そしてそうしたいなら、その修正版を自由に公開することもできるけど、修正版の公開は義務ではない。選択次第なわけだ。

Apple は、このライセンスを MacOS のあまり興味を惹かない部分、つまり我々が GNU/Linux において既に手にしているソフトウェアと、おおよそ同じくらいの領域にのみ適用し、それよりずっと優れたライセンスを適用して、自由世界(Free World)に大幅に前進しようとはしなかった。Mac OS の本当に興味深い部分は、今でも秘匿されたままで、オープンソースではない。

[注記:私や他の人が「自由世界(Free World)」と言う場合、それはフリーソフトウェアのみが利用されている世界のことを意味し、冷戦の間、非共産圏を表すのに使われていたのと同じ用語を、わざと我々は使用している。その比喩は、意図的なものだ。]

Q: マイクロソフトは、「共有ソース」プログラムを発表しました。それは、マイクロソフトの考えの前進の一歩でしょうか、それとも後退の一歩でしょうか?

ちっぽけな一歩だよ。大企業や大学が、NDA にサインして、ソースコードを手に入れることができるというだけのことなのだから。いくらか便利にはなるだろうが、仲間を裏切るという犠牲を払うことになる。一方では、通常のユーザにとっては、まったく何も変わりはしない。

Q: フリーソフトウェアの理念は生き残るのでしょうか。それとも我々は、ソフトウェア企業と独占ソフトウェアに飲みこまれてしまうのでしょうか。あなたはどちらだとお考えですか?

自由を求めるキャンペーンの成果は世論次第だ。君のとこの読者にかかっているわけだよ。十分な数の人達が自由を強く求めれば、自由を勝ち取れるだろう。

Q: ソフトウェアがフリーであり、しかも商業的である(つまり、それが利益を生む)というのはどういう場合でしょうか? それは両立することでしょうか?

ソフトウェアのライセンスが、ある特定の自由を尊重するならば、そのソフトウェアはフリーである。ソフトウェアがビジネスに結びつけば(通常、利潤にかかわる何かということだが、可能な関わり方は一通りではない)、そのソフトウェアは商業的である。これらの条件は、直交するものである。つまり、条件の両方とも真になるなら、そのソフトウェアはフリーであり、かつ商業的だといえる。

現在のフリーソフトウェア運動において、最初のフリーで商業的なソフトウェア・パッケージは Ghostscript で、これは GNU システム用の Postscript インタプリタを提供するために開発されたが、同時に10年以上に渡って、その作者がビジネスを成功させる基礎にもなった。GNU Ada コンパイラもフリーで商業的なソフトウェアだ。それの開発者は、Ada Core Technologies という、GNU Ada のサポートを提供することを唯一のビジネスにする企業を設立した。GNOME(GNU GUI デスクトップ・インタフェース)の大部分は、Ximian や Red Hat といった企業により開発されてきたわけで、彼らも営利企業だからね。

MySQL が、フリーで商業的なソフトウェアのもう一つの例だ。

Q: それ自体はフリーであるのに、例えばビルドするのにフリーでないコンパイラを必要とするソフトウェアについてはどうお考えになりますか?

それは複雑な状況だね。そのプログラムは、それ自体は非倫理的というのではないけれども、フリーなプラットフォーム上で動かすことができないのだから、自由世界においては役に立たない。

しかし、その状況を変えることが可能だ。もし誰かがこのプログラムを動かせるようにするフリーなコンパイラを開発すれば、同じプログラムが、それ自体何の変更を加えることなく、自由世界の役に立つようになるだろう。

GNU プロジェクトの初期、私が GNU C コンパイラを書く前は、我々のプログラムはすべて、こうした不幸な状況下に置かれていた。それらはすべてフリーソフトウェアなのに、フリーでない C コンパイラを利用しないと動かすことができなかった。でも、そんな状況も長くは続かないことは分かっていた。どのみち GNU システムのために、私は C コンパイラを書かなければならなかったのだからね。

例えば、Borland が GNU/Linux 用の Kylix を発表したけど、それ自体フリーなソフトウェアであるにもかかわらず、フリーなツールでビルドすることができないようなソフトウェアが出来上がってしまうことになる。君はこれを本当にフリーソフトウェアだと思うかい?

それはフリーソフトウェアではあるけれども、フリーなオペレーティング・システムでは使えないし、自由を守りたいと思う人達の役に立たない。

Q: Qt と KDE には、Qt がフリーソフトウェアでなかった頃、問題がありました。この問題は、完全に解決したのでしょうか?

KDE は、フリーな GUI デスクトップ・インタフェースだった(し、今なおフリーだ)が、フリーでないライブラリである Qt に依存していた。フリーでないライブラリは、フリーでないコンパイラのようなもので、あるプログラムを動かすのに、それらのいずれかが必要であるならば、そのライセンス次第では、厳密な意味でフリーであるかもしれないが、それは自由世界には立ち入り禁止だね。

GUI デスクトップ・インタフェースは、GNU/Linux システムに欠けていて、とても強く必要とされているものだ。このため、KDE の問題はとても重要なものだった。そこで我々は、その問題を解決すべく、二つの試みに並行して着手した。

最終的には、Qt の開発者は、Qt のライセンスを変更し、それをフリーソフトウェアにするという努力で応えた。Qt は今では GNU GPL の元で入手可能なので、我々は Harmony の作業を中止した(それはもはや必要なくなった)。

つまり、KDE の問題は解決したことになるが、これはたまたま起こったことではない。我々は自由を求めて断固たる立場を取り、自由を守るのに多大な努力を進んで行うことを示さなければならないんだ。

Q: ユーザが完全にフリーなオペレーティング・システムを望む場合、GNU/Linux や BSD のいずれかを使います。GNU/Hurd システムや Atheos などの、これから登場するその他の代替手段もあります。そうしたものについてはどうお考えになりますか?

一番重要なことは、どれかフリーなオペレーティング・システムを使い、その上でフリーなアプリケーションを使うことで、自由を手放さないことだ。どのフリーなオペレーティング・システムを使うかということは、重要な問題ではない。

Q: 最近になって、GNU/Linux をベースにした、組み込みハードウェアのソリューションがいくつか出てきました。例えば Agenda Computing は、安価な GNU/Linux ベースの PDA を売っています。これを好ましい状況と見ますか?

そうだね、すごくそう思うよ。けれども、これらのシステムは、ハンドヘルド・コンピュータの領域に自由を広める準備をするために、もっと実績が必要だ。

Q: 例えば携帯電話などの、特定のハードウェアに載るソフトウェアについてはどのようにお考えですか? それもフリーであるべきでしょうか?

私は、この問題について、十年以上に渡って何度も考えてきた。コンピュータが時計や電子レンジなどのハードウェア製品に組み込まれる場合、それがコンピュータとして目に見えない形で組み込まれる(その上にプログラムをインストールする方法がない)なら、フリーソフトウェアの論点は、問題にならないわけだ。誰も電子レンジにインストールする独占ソフトウェア・パッケージを配布してないのだから、問題はない。

しかし、PDA がそうであるように、また(まだそうなってなくても)近いうちに携帯電話でもそうなるように、ひとたびそれがコンピュータとしての姿を現すとなると、コンピュータやソフトウェアについての論点が問題になってきて、ソフトウェアはフリーである必要がでてくる。

現在では、ソフトウェアがフリーであるべき状況が一つ加わったことになるが、その根拠がこれまでとは異なっている。それは、そのデバイスがネットワークと通信ができる場合のことだ。ここでフリーであるべき根拠は、そうしたデバイスが、バックドアとなったり、君達を追跡したりしかねないからだ。そのデバイスが信用できることをユーザが確かめられる唯一の手段は、その中のソフトウェアを調査し、変更し、再インストールできるかということになる。

この問題に関してもっと知りたいなら、www.spyinteractive.com を見るとよい。そこでは、インタラクティブ・ネットワーク接続型 TV 装置の具体的な例が挙げられているが、ネットワークにつながるようになれば、それは電子レンジだって当てはまることになる。

Q: フリーソフトウェアの理念と、共産主義の考えには、どの程度関連があるのでしょうか?

我々のコミュニティとソビエトのシステムの間には、少しも共通点はない。我々が重要視するのは、自由、集権排除、そして自発的な協力であって、それらはソビエト連邦のものとして知られているものではない。ソビエトのシステムと共通点があるのは、むしろ独占ソフトウェアの世界の方だ。このことについてもっと解説が必要なら、http://www.gnu.org/philosophy/why-free.html を見るとよい。

我々を中傷する連中は、我々の実際の信念に論駁するよりも、共産主義に論駁する方が容易いものだから、我々を共産主義者と呼ぶんだな。

Q: インタビューありがとうございました。


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初出公開: 2001年08月12日、 最終更新日: 2001年08月19日
著者: Juraj Bednar
日本語訳: yomoyomo (E-mail: ymgrtq at yamdas dot org)